イランには行った事もないしイラン人も知らない。ただ何となく、特に革命後のイランは核開発や過激なイメージがある。唯一知っているのは映画「アルゴ」である。アメリカ人が脱出するストーリーだが、鋭い目つきと攻撃的な話し方のイラン兵士は、何か狂信的で怖ろしかった。
そのイラン人だが最近、身近に感じる出来事に遭遇した。それは旅先のアパートであった。
夜になると隣の部屋から大きな男の話し声が聞こえて来た。太い声で一方的に淀みなく、しかもアラブ語の抑揚は今まで聞いた事のないイントネーションで不快だった。言っている事は分からなかったが、誰かを攻撃的しているようだった。
話していた相手は分かれた元妻か?将又会社のもめ事だろうか?色々と想像した。電話は真夜中の12時を過ぎても続き、結局その晩は殆ど寝付けなかった。
流石に頭にきたので翌日その男にクレームした。彼は「俺の名前はモハード、イラニアンだ!」と握手を求めてきた。事情を話すと「ケンカしていた訳はない!」と釈明した。ただまた数日して同じことを繰り返し始めた。
その内、もうこれ以上クレームするのも無駄かと諦めた。するとその我慢は、段々内なる憎悪に変わって行くのであった。
日本に来る中国人も大声で話すし、国際空港でやはり大声で話すのは殆どインドと中東系である。世界は経済でフラット化しても、風習はそう簡単に変わらない。戦争もこうした些細な違和感の積み重ねがベースになっている、それがよく分かる。
その後、家主を通じて男の会社に連絡を入れて貰った。男は石油関係の仕事で来たスポットの契約社員だった。彼は夕方になると庭でタバコも吸っていた。結局それが決定的になり、アパートの禁煙ルールに抵触し暫くして退去になった。
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