日本に来た人も多かった。ある時会社にすらっとして可愛らしい子が入って来た。八頭身の色白で日本人離れした美人だった。聞くと「私には八分の一のロシア人の血が入っています」と言う。だとすると曾祖父はロシア革命の時にやって来たのだろうか?相撲の大鵬や野球のスタルヒンと同じルーツに妖艶さも際立った。
ところでもう一人、日本と所縁のあるロシア人がいる事が分かった。それはセルゲイ・エリセーエフ氏で、後にハーバード大で東洋研究の祖になり、ライシャワーなどの知日派を育てた重鎮である。
彼は1900年代の初頭に帝大に留学したロシア人第一号だった。ただ帰国するとロシア革命が起き、ブルジョワ家庭の一家はフランスへの亡命を余儀なくされた。
その半生を綴ったのが倉田保雄氏の「エリセーエフの生涯」(中公新書)だった。著者の「ナポレオンミステリー」や「エッフェル塔物語」など、その軽快でウィットに富んだ文章は快く、本書にも至る所でその才覚が発揮されていた。やはり語学に長け、広い交友関係を持つジャーナリストの筆は違う。
本の中に、ヌイイの森にある「アメリカンホスピタル」が出て来る。ヨーロッパでも最高の病院で、アラファトの子の出産のようにアラブからやって来る人も多い。全館個室で食事は三食フランス料理というので、患者は退院する時に体重が増えるのが悩みである。
その病院だが、かつてエリセーエフ家の別荘だったと聞いて驚いた。エリセーエフ家はロシアの大富豪だったが、こんな所にも露仏の繋がりがあった。
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