Tuesday, 6 May 2025

ミュゲの日

 先日、とある女性が着ていたTシャツに目が留まった。そこには花模様のデザインに「Le jour de muguet」と描いてあった。女性にその由来を話すと、とても喜んでくれた。

「Le jour de muguet」はスズランの日の意味である。ヨーロッパ中では、毎年5月1日にスズランを贈るのが習慣になっている。

スズランは花言葉で「幸せが訪れる」や「幸福の再来」である。今にも折れそうで弱々しい白い蕾だが、健気に季節を彩っているのがとてもいい。

発祥はフランスである。昔の王様が民衆に贈ったのが由来とかで、フランスではその日だけ、一般市民が自身で栽培したスズランを売ることが出来る。

パリの街角には朝から自宅の机を持ち出して、スズランの束を並べて売る姿が風物詩になっている。

今では一束2ユーロ程度と聞くので300〜400円程度だろうか。中々捌けない人を見ていると、「だったら3束を4ユーロで売ればいいのに?」と思ってしまう。ただそんなせっかちな人はいない。売る人も買う人も、春の訪れを知るミュゲは格別な日なのである。

Saturday, 3 May 2025

躁うつ病とMPD

広末涼子が双極性感情障害を公表し、芸能活動を休止する事になった。先日交通事故を起こし、看護婦への暴行で逮捕された矢先だった。病名は長いが、所謂「躁うつ病」であった。

最近は傷害を起こしても、まず加害者の責任遂行能力を検証する。医学が発達し過ぎて、立派な病名が付けば免責される事も多いと聞く。これは兼ねがね何とも腑に落ちないし、被害者の立場を考えると猶更である。

思い出すのは、シドニー・シェルダンの小説「Tell Me Your Dreams(貴女の夢を教えて)」である。物語はアシュレーという美しい女性の傍で、殺人事件が連続する処から始まる。そんな彼女の不安から、ある晩刑事が付き添うが、翌朝その彼まで死体で発見された。やがて精神医が、彼女が多重人格障害(MPD:Multiple Personality Disorder)の犯人であることを突き止めた。

彼女は夜になるとアレットという狂暴な別人格に変身し、事件を起こしたのであった。ところが裁判ではそのMPDが認められ、彼女は無罪になり療養に入るのであった。本の末尾には、MPDの支援組織の一覧まで載せられていて、著者も加害者に寄り添う姿勢が見られた。

シドニー・シェルダンの小説は、「ゲームの達人(Master of the Game)」が有名だが、女の魅力と怖さをスリリングに描いたという点からは、この本が一番だと思っている。最後に医者が「貴女の夢を教えて下さい」と聞くと、彼女は「普通の女になりたい」と応えるが、何とも複雑な気持ちになった。

それにしても昔は狼男やジキルとハイドなどもいたが、決して許されるハズもなかった。時代は変わった。

Wednesday, 23 April 2025

近衛文麿のホールインワン

先日縁あって、旧細川伯爵邸(今の和敬塾本館)と、隣接する博物館「永青文庫」を訪れた。大正から昭和にかけての面影が残っていてタイムスリップした感覚になった。特に旧細川邸では二・二六事件の影響で、賊から守るために窓に鉄格子や、避難用の通路や隠し部屋などが生々しかった。

思い出したのは首相官邸である。こちらも安倍首相の頃に見せてもらったが、やはり二・二六事件の時の銃弾の穴や、絨毯を剥がすと野営した兵隊が焦がした床跡を現存していた。昼休みになったので、閣議を終えた安倍さんが地下通路と通ってひょっこり現れた。それはまるで昨日のようである。

その細川家の当主、護貞氏に嫁いだのは近衛文麿の次女温子(よしこ)であった。その流れで近衛文麿の住居だった荻窪の「荻外荘」も訪れた。近衛氏は太平洋戦争の頃、東条英機に代わるまで三期に渡って首相を務めた人である。しかし終戦後、戦争犯罪人としてGHQに出頭ずる朝、書斎で自決した。庭に面したその部屋は当時のまま残されていて、冷たい空気が漂っていた。

遺書は志那事変以降の戦争責任を痛感する一方で、友好としていたアメリカから裁かれる屈辱に耐えきれなかった無念を綴っていた。また昭和3年の軽井沢ゴルフ倶楽部の5番のパー3で、ホーインワンした時のカップなどもあった。スコアカードも残っていて、ホールインワンした後の7番パー5では10を叩いていた。その無念さが伝わって来るようで、特に以前雲場池近くにある軽井沢の別荘にも行ったので、ここから倶楽部に通ったのかとやけに身近な人になった。

どちらの旧跡は良く管理されていて、多くの裏方さんやファンの存在も感じた。

Tuesday, 22 April 2025

赤沢氏の格下発言

トランプの関税を巡って、先日訪米した赤沢氏の言動にガッカリした人は多かったと思う。特にワシントンでの、「格下の私にトランプ大統領が会って下さった!」の会見には耳を疑った。忌み字句も彼は日本の全権大使、それがまるで餌を与えられた犬のように豹変してしまった。折から高関税を課されケンカを売られた矢先である。本来ならば毅然とすべき処、国民の一人として腹が立った。

赤沢氏の人選に、もっと適任者がいなかったのだろうか?何やら石破首相と同郷の縁とか、櫻井よしこさんは「チーム鳥取」と比喩していたが、改めてトップの度量も問われた。

今回の要求の中に非関税障壁が話題になっている。自動車の安全基準とか消費税などを指している。ただ私は兼ねがね、この非関税障壁こそが日本を守る要と思っている。その最たるものが日本語である。非効率に見えても長年の慣習にはその理由がある。そこは慎重にやるべきだ。

また日本の防衛費にも言及があった。「アメリカは日本を守っているのに、日本はアメリカを守らない」と言っている。とんでもない話である。何も日本が頼んで駐留して貰っている訳ではない。この際、「日本は核武装して自分で守るから、アメリカは出て行ってもらって構わない」位の気概が必要だ。

ただマスコミの報道を見る限り、今回の人選やその対応を好意的に受け取る向きもある。トランプを怒らせては更なる要求が降ってくるから、それを回避するにはこれで良かったと。確かにそれには一理あるし、そう思うと余計に不甲斐ないのである。

Thursday, 17 April 2025

サクラと香水

サクラの季節である。我が家には樹齢90年の桜の木がある。先代が戦前の夜店で買ってきた苗木が大きくなり、今では区の保護樹木にもなっている。最近でこそ老朽化が目立ち、幹が落ち始めているが、未だ何とか持っている。

その木の下で、随分前からご近所の方々と花見を楽しんでいる。場所とビールは提供するが、ご馳走は各々の奥さんが作って持って来てくれる。だから至って気楽な会で、お陰様でご近所とは長屋のような関係が出来ている。

その桜であるが、見ているだけで誰もが幸せな気分になる。夕方になると気温が下がって寒くなるので、一斗缶に枯れ枝を焚いて暖を取る。辺りが暗くなっても、酔いが廻って来ると時間が経つのも忘れて話が続く。これは本当に不思議な現象である。

この不思議は香りについても同じである。香水の魔力は女性の魅力を一層引き立てるのは勿論だが、最近は男性のオーデコロンもある。こちらは汗の香りがベースとか、だから汗臭い男も結構モテるのである。

「香水(Das Perfum)ある人殺しの物語」という小説があった。嗅覚に優れた男が、究極の香水を作る話である。彼は若い女性を殺し、そのシーツに染み込んだ体臭をろ過し、究極の香水を作ったのである。ただある時その殺人が発覚し死刑に処せられる事になった。処がその究極の香水をバラまくと、観衆は狂ったかのようなエクスタシーに満たされ、処刑を忘れてしまうのであった。

作者はドイツ人だが如何にもフランス的な作品である。フランス語でカエルという名前の男は、最後は陶酔から覚めた浮浪者に食べられてしまうオチも付いていた。

Sunday, 13 April 2025

パクリの太陽の塔

大阪万博が始まった。当初から前評判は芳しくなかったが、やはり盛り上がりは今一の感がする。個人的には、万博は既に役割を終えた気がしている。ネットの時代に加え、凄いスピードで時間が流れている。栄華盛衰も早いから、計画しても5年後には既に終わっている商品企画も多いはずだ。

ところで前回(1970年)の大阪万博では、岡本太郎の「太陽の塔」がシンボルになった。埴輪のような顔をして博覧会の象徴になった。ただこれは1881年のパリ万博のパクリだから、今でも恥ずかしい事この上ない。

当時のパリ万博ではそのシンボルに、ギュスターブ・エッフェルの鉄の塔と、ジュール・ブリーデによる石の塔が競い合った。最終的には今のエッフェル塔で決着したが、その対抗馬の名前が「太陽の塔」であった。

計画では高さ366mの石の塔の先端に反射鏡を設置し、そこに地上から送る光を反射させ、パリ市を煌々と照らす案だった。正に夜でも太陽が照らす処に由来した。その辺の裏話は、倉田保雄氏の本で知った。

岡本太郎の作品に、渋谷駅の「明日への神話」という大きな絵もある。原爆の悲惨さを描いたようだが、兼ねがね毎日の通勤通学途上で目に入り不快感を持っている。一説によると、余りに大き過ぎて引き取り手のない中、駅ビルへの貸与が決まったという。大阪の「太陽の塔」もそうだが芸術性はゼロ、その上何より気持ちが悪くなる。

Wednesday, 9 April 2025

和敬塾

暫く前に、石破首相が1年生議員に10万円を配った話が話題になった。旧安倍派の裏金問題であれだけ叩かれた後だっただけに、その政治感覚が疑われた。何より党内でその批判を繰り返してきた先鋒だっただけに、正に「ブルータス、お前もか!」であった。

「信なくば立たず」、政治は信頼があって初めて人は付いてくる。特に公人と言われる人は、その言動に気を付けなくてはならない。思い出したのは、当時文科次官だった前川喜平氏である。随分前だが、歌舞伎町の出会い系バーに頻繁に出入りし、社会的に大きな話題になった。

ご本人は「若い貧困女性の調査」とか訳の分からない事を言っていた。ただ教育行政を司るトップが、毎夜そんな処に通っていたと想像しただけでゾッとした。法的には問題なかったとはいえ、子供や青少年も含め、教育現場に与えた影響は計り知れなかった。

そんな事を思い出したきっかけは、ご縁あって訪れた文京区の和敬塾であった。実業家の前川喜作氏(喜平氏の祖父)が、細川家から譲り受けた敷地に作った寮である。今では400人ほどの学生が寄宿していた。行き交う学生は訪問者に必ず挨拶する、古き伝統は今でも守られていて気持ちよかった。

庭の真ん中に氏の銅像が建っていた。入塾は東大に入るより難しかったと言われる。その学生らを見下ろしながら、孫の汚名に嘸かし苦い思いをしたのではと、思いを馳せたのである。

Thursday, 3 April 2025

JFK暗殺と第三の銃弾

JFKが暗殺されて今年で62年が経つ。関連文書が全て公開されると話題になっている。何か新しい事実が出て来るのか?事件直後も証拠の隠滅が多かったようだし、正直余り期待できないが、興味は尽きない。

個人的には、JFKの事件現場になったダラス市のエルム・ストリートを訪れてから大きな関心を持っている。オズワルドが撃ったとされる教科書倉庫など、周囲のビルは当時のまま保存されていて、大統領の頭が吹き飛ばされた地点には、白い×印が付けられていた。だから誰でも当時を検証できるのが、アメリカらしい計らいだった。

ただ狙撃のあった教科書ビルの6Fから現場を見ると、相当の距離で木も邪魔になる。それに連射のない単発式のライフルだったから、素人から見ても精度に疑問が残った。そこで現場に行った人なら誰しも思うのが、グラシー・ノールと称する小高い丘である。進行方向に向かって右側の至近距離で、実際「白煙を見た」という証言もあった場所である。

これに対しスティーブン・ハンターは、小説「第三の銃弾(The Third Bullet)」で別の見解を出していた。彼は犯人はもう一人いて、教科書倉庫の奥のダル・テックスビルから撃ったと推測した。オズワルドが一発目を外し、二発目で喉に当たった所謂「魔法の銃弾」を撃った。そして決定的になったのが第三の銃弾だった。銃弾の痕跡を残さない爆発型の特殊弾で、別のプロがそれで頭を吹き飛ばしたと・・・。

ワシントンのアーリントン墓地でも、JFKの一角は長蛇の列が続き、今でも人気が色褪せていないのが分かった。弟のロバートの墓も一緒にあった。

それにしても犯人は誰だったのだろうか?

Monday, 31 March 2025

メテオラの修道院

MLBが開幕した。今年も大谷選手の活躍に一喜一憂する毎日が始まった。ドジャースの勝敗で、日本中の人の気分が明るくなったり暗くなったりする。この人のオーラは凄いものがある。

ある人が「大谷選手は修行僧のようだ」と語っていた。野球に対する集中力は半端でなく、例えばパスタに塩だけ掛けて食べる食の管理や、観光とも全く無縁である。その徹底振りに改めて驚かされるが、彼は極めて自然にやっている。

処でその修行だが、昨年旅したギリシャを旅した時、やたらに修道院が多かったのを思い出した。ギリシャは東のイスラム国と西のキリスト教国に挟まれ、長年その不安定な地政から、逃れてきた人達が多かったからだ。

ギリシャの国土は起伏が激しいから、場所は人を寄せ付けない岩山が選ばれた。有名なのは北部のテッサリア平原のメテオラ(Meteora)である。今では世界遺産になってる、2000mを超える奇岩を繰り抜いて作った修道院群は圧巻である。正に俗世界から離れ、瞑想に耽るのには絶好の場所に思えた。

アトス半島で島ごと修道院の一角もある。私は行った事がないが、作家の立花隆氏が潜入体験し、その仮修行を「エーゲ、永遠回帰の海」という本にしていた。修行僧に邪念が湧かないように、(女性も乗せた)観光船は半島から距離を置いて運航するのが義務付けられているそうだ。

修行が厳しい分その反動も大きい。ギリシャの土産物屋に行くと、実物大の男根の形をした色とりどりのキーホルダーを売っていた。初めて見た時はビックリしたが、山から下りてきた僧侶の本能が爆発したのかも知れない。

Sunday, 30 March 2025

マロリーの手紙

暫く前から「終活」なる言葉が横行している。人生の終わりに向かって身辺を整理・準備する。アルバムや日常品の廃棄から始まって、お墓を買ったり遺言書を書いたり、いくら暇を持て余しているとは言え、何か違うのではと常々思っている。

人はいつ終わりが来るのか誰もが予期できない。植物人間で100歳まで行くのか、将又交通事故で明日その日が来るのか、正に神様のみが知る人の運命である。せめて最後の時まで、精一杯生きるのが人の道と思っている。だから前倒しで整理する何てとんでもいない。

処が自身が死んだあと、その日記が白日の下に晒さたらと心配になる一冊があった。それは長年のファンであるジェフリー・アーチャーの小説で、「遥かなる未踏峰(Paths Of Glory)」である。物語はエヴェレストの初登頂を試みた英国登山家のマロリーの話であった。彼は稀有な運動能力でエベレストの初登頂に抜擢されたが、最後は暫くして頂上付近で遺体が発見された。初登頂したのかしなかったのか、当時は国の威信が掛かっていたので大きな話題になった。

J.アーチャーはその謎を解明しようと、マロリーが妻のルースに宛てた手紙を解読して本にした。勿論遺族の同意を得ていたのだろうが、流石この手法には不快感が募った。

漱石や鴎外の初恋の手紙もそうだったが、これは禁じ手である。ファンには垂涎ものかも知れないが、墓場の陰から「そんな事しないでくれ!」と声が聞こえてくる気がする。そう思うと終活なんて嫌な言葉だが、強ち聞き流せないのである。

Sunday, 16 March 2025

トランプ砲

連日のトランプ砲に、世界が振り回されている。グリーンランドやパナマ運河の買収、カナダの併合、最近では関税の引き上げで、自動車や鉄鋼アルミに25%、カナダ・メキシコに25%、中国に10%を表明、連邦職員のリストラやUSAIDの廃止もあった。

最初は強硬に出て取引を優位に進める、彼のやり方のようだが、果たして思惑通り進むのか甚だ疑問である。そもそも関税を高くすれば、モノは入って来ないかも知れないが、アメリカ国民は自国製の高い商品を買わなくてはならない。

事実そのインフレ懸念で、このところ株価は大きく下がっている。今後もその傾向が続けば、国民の不安は大きくなり、何処かで反動が始まると思っている。トランプに投票した共和党支持者が、気が付けば自身が解雇されたりもしている。まだ幻想に浸っている人が多いから持っているが、厳しい現実に直面すれば自ずと心も離れていく。

処で昔NYの本屋で買ったトランプの本が出て来た。「不動産投資で富を成すには」の副題が付いている。改めて拾い読みすると、つくづくおカネに対する執着がケタ違いの人なのが伝わってくる。

ウクライナとロシアの和平交渉もそうで、停戦に資源開発を使う発想や、ガザをアメリカが支配する感覚もその辺から来ているのだろう。

それから矢継ぎ早にカードを切る姿に、何か焦っているように思えてならない。78歳という年齢がそうさせるのか、将又中国の脅威なのか、アメリカはまだまだ列記とした大国である。もっと堂々と構えればいいのに。

Wednesday, 12 March 2025

アマテラスの暗号

先日、秋篠宮家の長男悠仁親王の会見があった。普段生の声に接する機会がなかったので、関心を集めた。これから筑波大に進むという。筑波は陸の孤島なので、昔から同棲する学生が多いと聞く。余計な事かも知れないが、将来の天皇になられる方なので、間違いがなければいいが・・・。

その皇室だが後継者不足が問題で、特に男子の継承者が少なくなっている。このままだと天皇制(国体)の維持に重大な危機を迎える。戦後に皇室典範の改正で宮家が制限され、もはや側室を公にする時代ではないから、当然と言えば当然の成り行きなのだが。

天皇家が弱体すれば、日本が日本でなくなる。そんな懸念から書かれたのが、今ベストセラーになっている伊勢谷武氏の「アマテラスの暗号」である。アマテラスやスサノオとは誰なのか、神武天皇に始まる日本の起源は何だったのか?中国の諜報員も暗躍する、中々の展開で面白かった。

一部ネタばれすると、天皇の祖先はユダヤ人という。確かに祇園(Gion)はシオン(Zion)、掛け声の「エンヤラヤー」はヘブライ語の「エァニ・アーレル・ヤー(私はヤァウェを賛美します)」、出雲の稲佐は否(ノー)か然(イエス)、伊勢はヘブライ語の「助け」でイザヤの語源とか、両者は不思議な程似ている。

昔エストニアのタリンに住んでいた頃、何気なく通った家に天皇家の菊の紋章が掛かっていてビックリした記憶がある。祖先はユダヤ人と言われて嬉しい人はいないと思うが、ハンティントンの「文明の衝突」でも日本民族は稀有と言っていた。一見無関係に見える元気のない日本と己の出自、その意外な繋がりに興味を持ったのである。

Friday, 7 March 2025

老人と白米

 先日の昼時、腹が空いて通り掛かった中華料理店に飛び込んだ。ただ入ると、白いテーブルクロスと豪華な装飾に圧倒された。「間違ったな?」と一度は出ようかと迷った。ただ外は寒いし所詮はランチなので、結局「まあいいか」と諦めた。

店内はガラガラで、「よくこんな店がやっていかれる?」と待っていると、暫くして白髪の老人が入ってきた。足取りが危なく、歩くのもやっとだったが、係の人が席に着かせた。その人は常連風で、昔は大会社の重役でもしていたような風格があった。

ウェイトレスは「いつものでいい?」と聞いた。ただこれにはビックリした。まるで居酒屋の女将さんが話すような感じで、立派な店には相応しくなかった。白髪の人の着ていたジャンパーはヨレヨレで、奥さんに先立たれたのか見すぼらしかった。そして遥々こんな店まで足を運ぶ余生に思いを馳せた。

その人は(いつもと同じの)麺と白米を食べていた。その(一日一回の)白米が何とも侘しかったのであった。店が立派だっただけに、そのコントラストが意地らしかった。

故吉村昭氏の短編小説「碇星(いかりぼし)」が10版を超えている。どれも人生の終わりに差し掛かった男の話である。デパートの喫煙所で毎日時間を潰す男達の成り行きや、定年後に会社から斡旋された葬儀会社の男が、元上司から死後の世話を頼まれるとか、中年女を後輩に世話する話など、場末の人間模様であった。

吉村さんは「長編小説を書いた後、2〜3カ月は放心状態になる。そんな時短編を書く」と言っていた。息抜きで筆が走ったのは分かるが、こればかり弱った男の暴露小説だった。もしも彼が存命なら、こんな復古版なんか許さなかったのでは?と思った。

老人は体力も衰え、人と交わる機会が少なくなるから喜怒哀楽がなくなり、預金も尽きるから行動範囲は狭くなるし、特に伴侶に先立たたれると食事に困る。やっと定年を迎え自由な生活が待っているかと思いきや、晩年になると坂は益々キツくなるのであった。

Wednesday, 5 March 2025

ボブ・ディランの映画

久々の雨日が続いている。こういう時は映画とグルメに限ると、久しぶりに都会に繰り出した。

まず映画だが、ボブ・ディランの若き日を描いた「名もなき者(A Complete Unknown)」である。音楽には余り詳しくないが、1960年代から始まったフォークソングの草分けで、ジョーン・バイズとも個人的に親しかったようだ。

実は彼が初来日した1978年に、武道館で行われたコンサートに行った事がある。とある人に連れて行って貰ったのだが、知っている曲は「風に吹かれて(Blowin'in the Wind)」だけだった。それ以外はロック風で、けたたましい響きは私の好みではなかった。

ただ今回映画を見てその理由がよく分かった。彼は60年代前半から活動を開始したが、4〜5年して弾き語りからロックに転向していたのだった。映画でも突然の変わり身に、観衆のフォークファンから不評を買うシーンがあったが、それこそが今回の作品の焦点だった。

もう一つは「孤独のグルメ」である。テレビでは時々観ているが、流石に映画になるとあまり期待しなかった。処がパリ・韓国、東京を舞台にした中々の出来で面白かった。いつも思うのだが、「他人のしかも中年男性が一人で食事するのを見て何が楽しい?」と不思議であるが・・・。

そしてグルメである。今回はミシュランの星が付いたラーメン屋があるというので行ってみた。それは新宿の「黄金不如帰(ホトトギス)」である。10席ほどのこじんまりした店で、半分以上の客は外国人であった。待つ事1時間、辿り着いたその味はとても複雑であった。「孤独のグルメ」の主人公になって楽しんだのである。

Saturday, 1 March 2025

森林火災

岩手県の大船渡の火事がまだ続いている。今日で4日目になろうか、懸命な消火作業があっても、一度発生すると中々鎮火出来ないようだ。


オーストラリアでも、郊外に車を走らせると火災の跡がはっきり残っていた。茶色に焼け焦げた低木が数十キロに渡って続き、その規模の大きさが伝わってきた。町の人に聞くと、昨年のクリスマスに起きた火災で、車に取り残された人が被害にあった嘆いていた。

原因はユーカリやガムツリーと呼ばれる引火性の高い植物と風である。ロサンゼルスやハワイのマウイ島の火災は記憶に新しいが、風は山から海に向かって吹くのであった。その勢いは想像以上で、ゴルフの手押しバギーが簡単に飛ばされた。

オーストラリアは2016-17年と2020-21年の大きな森林火災で、何と国土の森林の35%を失った。コアラも8000頭が犠牲になった。加えて昨今の大雨による洪水もある。

有名なゴールドコーストも、この1~2月は3分の1の日が雨で散々だった。折角訪れた観光客もさぞかしガッカリしただろうし、来年以降の人が来るのだろうか?と心配になる。自然に恵まれた国土だが、改めて共存の難しさが伝わって来る。

Thursday, 27 February 2025

NSWのゴルフルート

 そのゴルフだが、INSIDEGOLFという雑誌の表紙を松山英樹選手が飾っていた。1月のハワイのカパルアで行われたPGAツアーで優勝した記事だった。35アンダーのコースレコードも出した彼だったが、やはり同胞の活躍を海外で知るのは誇らしい。

早速読んでみたが、中々オーストラリア特有の記事が面白かった。例えば南ア、ベトナム、ポルトガルなど、各国のゴルフ場を巡るツアーであった。日本もその例外でなく、8日間で横浜CCや大洗など5か所でのプレーが入っていた。夜は居酒屋で和牛や魚を堪能し、一人8450ドルというから85万円とまあまあの値段だった。

人気なのはタイのホアヒンでの13日コース、こちらは1955ドルの20万円弱と安った。何故かメンズオンリーなのが気になったが、ピンクのお揃いのシャツに身を包んだ大勢のゴルファーが参加していた。

その他、グッズ販売の中に多かったのが個人の電動カートである。メンバーになると倶楽部の倉庫に置いてくれるので、いちいち借りる必要もない。歩く人にはリモコンの付いたバギーもあった。一度使って見たが、上り坂でこれがあると楽だった。

ゴルフ場は都市の近くに点在する。大きな都市になればなるほど、その数は多くなる。結婚式やパーティーなどの会場を兼ねている。ただ大都市になると移動も大変なので、中くらいのブリスベンやパースが最適と思っている。

ただこの雑誌に、メルボルンとシドニーの間、ニューサウスウェールズ(NSW)の海岸線900㎞に多くのゴルフ場が点在しているのも分かった。滞在型もいいが、いつか試してみたいルートになった。

Monday, 24 February 2025

オーストラリアの物価

 オーストラリアの物価だが、やはり昨今の円安もあって日本からの旅行者にとっては高い。例えばハンバーガーのマック、Big Macは日本だと480円だが、オーストラリアは7.9ドルなので@100円換算で790円と約1.6倍である。

ただ一般的な実感はそれ以上である。例えば店で飲むビールは、5年前の2020年で1パイントは6ドルだった。為替は@80円弱だったので日本円で500円もしなかった。処が今では13ドルである。価格は2倍になり、更に円安の@100円で一杯1300円になっている。

背景には経済格差、特に賃金があるようだ。日本でも賃金アップが叫ばれて久しいが、時給は日本だと1200円ちょっとだが、オーストラリアの最低時給は28ドルになったので、換算2800円と約2.3倍の差がある。

たたその例外がゴルフである。一般的なパブリックのゴルフ場だと一人35〜40ドル程度だから、今の為替でも4000円程度である。日本のゴルフ場だと安くても12000円するから、1/3〜1/4程度で済む。またコンセッションと称する年金生活者への割引制度を使うと更に安くなる。パース郊外の立派な18Hのコースでこれを使うと17ドル(1700円)で廻れた。オーストラリア人の所得は元来高いから、彼らの感覚ではワンラウンド1000円程度かも知れない。

そのゴルフ場だが、どこに行っても親切でおおらかにプレー出来る。一応予約は入れて行くが、空いているから到着順で随時スタート出来る。カンガルーや色とりどりの鳥は愛嬌があるし、終わってからクラブハウスで飲むクラフトビールが何とも美味しい。1パイントならアルコールも基準値以下なので帰りの運転に心配ない。皆さん実に楽しそうに19Hを堪能しているのがとても心良い。

不思議なのは男性は男同士、女性は女子会みたいに別々が多い。普段の真面目な生活ぶりのお国柄、ココだけが息抜きな場所かと思った。

どこのゴルフ場も広いからOBは殆どなく、ドライバーを思い切って振れるのがいい。日本のチマチマしたコースに慣れていると、この解放感は大きい。おおらかな国民性もその辺が原点になっているのがよく分かる。

Saturday, 22 February 2025

豪州のtransportable offence

パースの郊外、フリマントルに刑務所跡がある。今では使われていないが、1800年半ばには1万人程の囚人が収容されていた。当時のオーストラリアは流刑の地、「19人の囚人」という指名手配の写真まで付いたワインも売っている位だから、囚人は国のシンボルである。

オーストラリアに来た囚人は16万人、本国のイギリスとアイルランドから送られてきた。イギリスは産業革命で都市に人口が集中し犯罪が多発し、アイルランドはジャガイモ飢饉で荒廃していた頃だった。

当初イギリスの犯罪者はアメリカ大陸に送られたが、合衆国が独立してからオーストラリアに変更になった。犯罪者といってもその殆どはスリ、窃盗、家宅侵入、偽造といった軽犯罪者であった。勿論殺人やレイプといった重犯罪者もいたので処刑場もあった。犯罪者の7人に1人は女性だった。殆どがスリなどだったが、何故か売春婦は対象外だった。

驚く事に先の刑務所のホームページには、収監されていた囚人の実名をリスト化し公表していた。氏名、生年月日、結婚の有無と子供の数、職業、犯罪歴、刑期等々、そんな事をして子孫は大丈夫なのかと心配になった。

刑期は窃盗だと3〜10年、殺傷は15年、放火が14年、レイプが10年、強盗が15年と様々である。ただ本国から船で地球の裏側のオーストラリアに辿り着くと、(神の)試練を乗り越えたと減刑されたのである。英語でTransportable offenceという措置で、如何にもキリスト教の国らしい計らいだった。「人は罪を犯すが神によって赦される」のであった。ただ売春(婦)だけは例外だった。売春だけは神が許さなかったようだ。

釈放された囚人は社会に出て、今のオーストラリアの礎になって活躍した。20年位前の調査で、オーストラリア人の5人に1人は先祖に囚人の血を惹く人々と分かった。事実Wikiには、罪を崇めて社会で名を馳せた人のリストも載せて名誉回復を図っている。

Friday, 21 February 2025

フリマントルの高射砲

西オーストラリアの首都パースの近郊に、フリマントル(Fremantle)という綺麗な港町がある。サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフに似て、大きな倉庫を改造した地ビールの店が立ち並ぶ観光地である。

フリマントルは日本の南極観測船の出発港でもある。隊員は日本から飛行機でパースまで行き、ここで越冬に必要な食料を調達して船に乗り込む。

かつてその町は、連合軍の最大の潜水艦造船基地でもあった。インド洋の防波堤として、地理的に優れていたからだった。その防衛に多くの高射砲が設置され、(今では殆ど撤去されたが)その名残が残っていると聞き見に行った。

地下要塞を兼ねた基地は1942年に建設が開始され、1944年に完成した。1942年といえば日本がミッドウェー海戦で敗れた頃、以後制海権はどんどん北に押し戻され、完成した頃にはサイパンを失っていた。だからここ迄飛行機が飛んでくる事もなく、一度も実戦がないまま終戦を迎えたのであった。

ただ日本軍への恐怖は想像以上で、例えば1944年に今のインドネシアのチモールから一人の日本人が八ミリを持ってやって来たのを、上陸の前兆と警戒した。事実当時、日本政府発行の豪ドル紙幣まで作っていたから猶更であった。

説明してくれたオーストラリア人の係員は、此方が日本人だと分かると、暫し黙ってしまった。その沈黙がとても長く感じられ、早くここから逃げたくなった。

以前、クーランガッタというゴールドコーストの丘に夕陽を見に行った時も、さり気なく海に向かった公園のフェンスに、日本軍によって沈められた多くの船の碑が掛かっていてドキッとした。オーストラリアの人は陽気で人がいいだけに、「大変な事をしてしまった」と時代を超えて負い目を感じるのであった。

Thursday, 20 February 2025

イラン人への憎悪

イスラエルとハマスの人質解放が進んでいる。いい事だが両者の対立は、これからも永遠に続くと思うと喜んでばかりはいられない。そのハマスの背後にはイランがいるという。

イランには行った事もないしイラン人も知らない。ただ何となく、特に革命後のイランは核開発や過激なイメージがある。唯一知っているのは映画「アルゴ」である。アメリカ人が脱出するストーリーだが、鋭い目つきと攻撃的な話し方のイラン兵士は、何か狂信的で怖ろしかった。

そのイラン人だが最近、身近に感じる出来事に遭遇した。それは旅先のアパートであった。

夜になると隣の部屋から大きな男の話し声が聞こえて来た。太い声で一方的に淀みなく、しかもアラブ語の抑揚は今まで聞いた事のないイントネーションで不快だった。言っている事は分からなかったが、誰かを攻撃的しているようだった。

話していた相手は分かれた元妻か?将又会社のもめ事だろうか?色々と想像した。電話は真夜中の12時を過ぎても続き、結局その晩は殆ど寝付けなかった。

流石に頭にきたので翌日その男にクレームした。彼は「俺の名前はモハード、イラニアンだ!」と握手を求めてきた。事情を話すと「ケンカしていた訳はない!」と釈明した。ただまた数日して同じことを繰り返し始めた。

その内、もうこれ以上クレームするのも無駄かと諦めた。するとその我慢は、段々内なる憎悪に変わって行くのであった。

日本に来る中国人も大声で話すし、国際空港でやはり大声で話すのは殆どインドと中東系である。世界は経済でフラット化しても、風習はそう簡単に変わらない。戦争もこうした些細な違和感の積み重ねがベースになっている、それがよく分かる。

その後、家主を通じて男の会社に連絡を入れて貰った。男は石油関係の仕事で来たスポットの契約社員だった。彼は夕方になると庭でタバコも吸っていた。結局それが決定的になり、アパートの禁煙ルールに抵触し暫くして退去になった。

Sunday, 19 January 2025

トランプの3ルール

トランプ氏の若き日を描いた映画「アプレンティス(見習い)」が公開された。辣腕弁護士氏の下で、叩き込まれた3つのルールが話題になっている。

その1は「攻撃・攻撃・攻撃(atacck,attack, attack)」、その2は「非を認めるな(admit nothing and deny everything)」、三番目は「勝利を主張し続けろ(no matter what happens, you claim victory and never admit defeat)」である。 

 今までにも「弱みは見せるな」とか「至らぬは他人のせい」「反対する奴を黙らせろ」など、過激な発言は多かったから今更驚かない。それにしても一国の大統領となると、その品位に改めて首を傾げたくなる。

 こうした恫喝と強要で相手を揺さぶるのはトランプに限った話ではない。アメとムチを使い分け、人参をぶら下げながら鞭を入れるのはビジネスの常套かも知れない。ではそんな人にどう立ち向かうのか? 先日とある国際通と話していたら、その力を上手く使う事、つまり柔道の返しだという。 

 例えばUSスチールの例を取ると、アメリカが「日本の買収を認めない」というなら、日本は「だったら中国の鉄鋼会社を買収する」と切り返す。中国の世界シェアは約50%、今の不況で一社ぐらい売りに出る処もあるかも知れない。

 まして訴訟なんて以ての外、真向に組めば高い弁護士料を取られて泣くのがオチである。この際、違約金は払ってでも一度撤退した方がいい。その辺のブラフのセンスが政治家にあるといいのだが・・・。

全豪オープンテニス2025

全豪オープン2025が始まった。今年は何と言っても錦織選手の復活である。香港OPで準優勝してランキングも100位内に入った。2回戦でPaulに敗れたが、サービスは以前に比べとても良くなったし、ストロークも安定していた。ただ問題は体力で、グランドスラムの5セットを戦い抜くのは限界なのだろうか。

 今回の大会の注目を集めたのは10代の若手の台頭だ。ルブレフに勝ったブラジルの18歳のフォンセカや、チェコの19歳のメンシルクなど、体型もしっかりして十分世界で通用する風貌だった。彼らは若いから、疲れと怖さ知らずなのが良く分かる。

一方かつてのレジェンドが早々敗退しているも気になる。チチパスやメドベージェフ、フォンセカなどが姿を消す中、ジョコが一人残って頑張っている。

 そしてもう一人、フランスのモンフィスもいた。昨日は強豪フリッツに競り勝った。緩い球にフリッツがイライラし、強打してアウトになる場面が多かった。彼は38歳、そんな老獪な戦法があれば、錦織の35歳にもまだまだ可能性が残っている。

 そのモンフィス(Monfils)の名前は、読んで字のごとく「私の息子」である。テニス選手には変わった苗字の人が多く、例えば優勝候補のシナ―(Sinner)は「罪人」である。

 中でも笑ってしまったのが、予選を勝ち抜いたオーストラリアのスクールケイト(Schoolkate)である。ダニエル太郎に1回戦で勝った人だが、直訳すれば「学校のケイトちゃん」になる。まさか苗字に好きだった女の子の名前を付ける訳もないだろうが・・・。

Monday, 13 January 2025

エリセーエフの生涯

ロシアを出て他国で暮らすロシア人は、約1500万人もいるらしい。昔NYのタクシーに乗ったら、運転手は英語が片言のロシア人だった。アメリカには300万人のロシア人がいると云うが、ラフマニノフやロストロ・ポービッチのようなインテリ層だけではなかった。

日本に来た人も多かった。ある時会社にすらっとして可愛らしい子が入って来た。八頭身の色白で日本人離れした美人だった。聞くと「私には八分の一のロシア人の血が入っています」と言う。だとすると曾祖父はロシア革命の時にやって来たのだろうか?相撲の大鵬や野球のスタルヒンと同じルーツに妖艶さも際立った。

ところでもう一人、日本と所縁のあるロシア人がいる事が分かった。それはセルゲイ・エリセーエフ氏で、後にハーバード大で東洋研究の祖になり、ライシャワーなどの知日派を育てた重鎮である。

彼は1900年代の初頭に帝大に留学したロシア人第一号だった。ただ帰国するとロシア革命が起き、ブルジョワ家庭の一家はフランスへの亡命を余儀なくされた。

 その半生を綴ったのが倉田保雄氏の「エリセーエフの生涯」(中公新書)だった。著者の「ナポレオンミステリー」や「エッフェル塔物語」など、その軽快でウィットに富んだ文章は快く、本書にも至る所でその才覚が発揮されていた。やはり語学に長け、広い交友関係を持つジャーナリストの筆は違う。

 本の中に、ヌイイの森にある「アメリカンホスピタル」が出て来る。ヨーロッパでも最高の病院で、アラファトの子の出産のようにアラブからやって来る人も多い。全館個室で食事は三食フランス料理というので、患者は退院する時に体重が増えるのが悩みである。

その病院だが、かつてエリセーエフ家の別荘だったと聞いて驚いた。エリセーエフ家はロシアの大富豪だったが、こんな所にも露仏の繋がりがあった。

Saturday, 11 January 2025

アランの話

ロシアの戦争が長引いて、既に死傷者は80万人を超えたという。戦闘員だけでなく不審死も多い。記憶に新しいのはワグネルのプリゴジン氏や反体制のナワリヌイ氏である。その他にも財閥の長や軍の要職もいた。

 ロシアのこうした政敵を葬る風土はいつから来たのだろう?思い当たるのはスターリン時代の大粛清である。その数1000万人とロシア革命の時の皇帝派もそうだったが、そんな殺戮が無ければ今のロシアの人口は2億人を超していたかと思う。

一方で不思議なのはそれを支持する国民も多いという事実である。情報操作もあるだろうが、今のプーチン時代もそうだし、その保守的な国民性は自身にとって謎である。

ロシアには今まで行った事も無ければ、話したロシア人もいない。ただ昔の本や映画、少しの体験を通じて興味は尽きないのである。真っ先に出て来たのが旧知のアランであった。

昔パリで一緒に仕事をしていたポーランド移民の末裔である。名前はアラン・〇〇スキーと言って、ポーランドからフランスに逃れてきた4代目、金髪に青い目をした大人しい人だった。 

彼の曾祖父はポーランドの農民だった。当時のポーランドはロシアの支配下にあり、そのロシアもクリミア戦争に敗れて国は疲弊を極めていた。取り分け土地を持たない農民(農奴)の生活は困窮し、各地で蜂起や反乱が頻発した。 

 ポーランドもその例外でなく、1863年1月に大規模な反乱が起きた。政府は取り締まりと弾圧を行い、その結果7000人近い農奴が難を逃れてフランスに亡命したのであった。彼の曾祖父もその一人であった。

 アランは寡黙な人で多くを語らず、勿論そんな先祖の話なんかした事はなかった。今ではひっそりと緑多いパリ郊外に住んでいた。ただ彼の仕事場はパリ中心地だったのに、ある時「家族は今まで一度もパリの都会には出た事がない」と聞いて驚いた。100年以上経っても、未だに目立たない生活を余儀なくされていたのかも知れない。

Monday, 6 January 2025

USスチールの買収

日鉄が買収しようとしたUSスチールだが、バイデン大統領の政治判断で阻止された。咄嗟に思ったのは「その付けを誰が払うのだろう?」の素朴な疑問だった。先方の経営と労組も賛成していたのに、全米労組が反対し大統領選挙に政治利用されてしまったようだ。所詮これは経済の話だから、また二転三転あるかも知れない。

そもそも、アメリカの製鉄産業の斜陽はいつ、どこから来たのだろう。先日、元鉄鋼会社の人に聞いてみると、それは90年代から始まり、「ヒトがいなくなった」のが原因と言う。優秀な技術者は南のサンベルト地帯や東海岸、シリコンバレーに行ってしまい、鉄鋼、自動車産業には来ないらしい。だから今ではこの一帯を、ラストベルト(錆びついた工業地帯)と呼んでいる。 

 アメリカの製鉄会社がここまで持っているのは、「(手前味噌かも知れないが)日本の製鉄各社が長い間現地に人を派遣して、技術支援して来たから」かもしれない。ただ嘗ては世界一の粗鋼生産を誇った日本の鉄鋼産業は、今や中国の1/10以下である。誠に情けない限りである。 

日本の製鉄技術で、大きく成長を遂げたのがその中国である。代表的なのは70年代の宝山製鉄であった。山崎豊子の「大地の子」の舞台にもなり、仲代達也演じる日本の技術者と、上川隆也こと陸一心の日本人残留孤児の物語には胸が詰まった。文革で疲弊した中国を救ったのは、日本の鉄鋼技術だった。

 韓国の浦項(ポハン)製鉄もあった。新日鉄の支援で進められ、韓国の経済成長のエンジンになった。ところが昨今の徴用工の資産差し押さえなど、恩を仇で返された気分である。今回の事件を通じて日本の人の好さと、業界の不条理を感じるのである。

Saturday, 4 January 2025

振込詐欺の被害

先日、履き慣れた靴がすり切れて来たので、ネットで同じものを探した時だった。古い型だったので中々在庫がなかったが、偶然それも希望のサイズが見つかった。しかも値段が通常の1/3程度と安かったので、早速申し込む事にした。

すると支払いはビットキャッシュという。その時初めて知ったのだが、BitCashとはコンビニで買えるカードであった。ひらがなのIDが付いていて、それを入力すれば支払いが完了する仕組みであった。馴染みのない決済方法だったが、金額も左程大きくなかったので言わるままに済ませた。

ところが数日して「注文の商品が欠品しているのでキャンセルする」と連絡が来た。「ついては返金するから」と返金担当者のLINEに誘導された。そして受付サービスセンターと称する別人から、「PayPayで返金するのでコードは?」と聞いてきた。 

 PayPayなんかやっていないし、「返金額はいくらか?」とおかしな事を聞いてくる。その時初めて何か変だな?と気が付いた。多分その番号を連絡すると、更なる被害に繋がる仕組みなのだろう。

 ショップのサイト名は「KA Store」、振り込め詐欺は他人事かと思っていたら、まさか自分が引っかかるとは、皆さん用心しましょう。