Tuesday, 24 December 2024

祝祭日のない国

今日はクリスマスイブである。クリスマスツリーを飾り、子供ならサンタクロースを待つ晩になる。若い人ならお互いの存在を確かめ合う、一年で一番大事な日だろう。

ただ歳を取ると何故か不思議と無縁になってくる。悲しいかな、今ではシャンパンの代わりに焼酎を飲んでいる。

そのクリスマスだが、キリストの誕生を祝うお祭りである。最近日本でもすっかり定着したハローウィンも、嘗てはケルト人が始めた収穫のお祭、ドイツのオクトーバーフェストも今では大規模なビール祭りだが、これも収穫のお祭だった。感謝祭(Thanksgiving day)もそうだし、西洋では国を挙げて祝う祭りが祭日になっている。

一方日本はどうだろうか?先日ある人と話していたら、日本には国の「祭り」儀式が無ないという。確かに祝日はあっても祝祭日は聞いた事がない。GHQが戦後、日本人の民族の再高揚を懸念して、「祭」の文字を取り去ったからである。 

 その典型が「新嘗祭(にいなめさい)」という。新嘗祭はその昔、毎年11月23日にその年に植えた新米を満月に刈り取る儀式であった。今でも宮中や各地の神社で続いているが、嘗ては全国的な行事だった。

ただ戦後にその日が「勤労感謝の日」に代えられた。GHQが集会を禁止したからであった。

今の中国や北朝鮮、アラブ諸国と同じで、その功罪はアメリカだった。最たるものは憲法だろう。原文は戦後に駐留した、アメリカの法律学者が2週間で書いたと言われる。それを金貨極上の如きに信じる国民もどうかと思うが、9条に至ってはもう限度を超えている。条文に縛られて国が滅びてしまえば本末転倒である。 

「日本人の民度は高いから憲法なんてなくてもいい」と言う民族学者もいた。確かに英国など憲法がない国も多いから一理ある。ただ流石になくなると、法体系も崩れるから現実的ではないのかも知れない。

 なくなったモノに教育勅語もあった。最近改めて読み直してみた。親への孝行、兄弟の友愛、夫婦の和、朋友への信、自身の謙虚と人々への博愛と修学など、本当に今でも素晴らしい内容である。

日本経済が弱くなったのは、その精神的な支柱がなくなったからとも言われている。来年は戦後80年、もう一度日本を見つめ直すいい機会だと思っている。

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