Sunday, 22 December 2024

満洲とノモンハン事件

日本からウランバートルへの飛行ルートは、ロシアと北朝鮮上空を避け、韓国から中国を経て入る。少し時間は掛かるが仕方がない。

 帰り道、窓から外を眺めていると、モンゴル共和国と内モンゴル自治区の国境線に沿って飛んでいるのが分かった。どちらも白い大地が延々と続くが、内モンゴル自治区は幾何学的な地形で、国境がはっきり識別されていた。

モンゴル共和国には300万人のモンゴル人が、内モンゴル自治区には2400万人の漢族が住んでいるという。しかし実際は殆ど人の住めない砂漠である。一体国境とは何なのか?況やその国境紛争とは何なのか?つくづく考えさせられた。

 その内モンゴル自治区は、嘗て満州国と呼ばれた。満州は日本が主導する五族協和で経済も大きく発展した。いつぞや偶然入った大阪の北新地で、老夫婦が営む居酒屋があった。店にはハルビン時代のアルバムが置いてあり、「自分たちの一番幸せな時でした」と語っていたのが象徴的だった。

その満州国に暗雲が射したのが1939年のノモンハン事件だった。場所は何処かのソ連国境かと思っていたが、今のモンゴル共和国の東端であった。 改めて半藤一利氏の「ノモンハンの夏」や五味川純平氏の「ノモンハン」を再読してみた。

「赤い夕陽に照らされて・・」の何処までも続く地平線、そんな石油や鉱物資源もない不毛の地で多くの人が亡くなった。関東軍の越境も、戦利品の地図が不正確だったのが原因という。 

 現地は今でも地雷や要塞跡が残っていると聞き、長春やチチハルの名前と共に、郷愁に誘われるのであった。

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