モンゴル共和国には300万人のモンゴル人が、内モンゴル自治区には2400万人の漢族が住んでいるという。しかし実際は殆ど人の住めない砂漠である。一体国境とは何なのか?況やその国境紛争とは何なのか?つくづく考えさせられた。
その内モンゴル自治区は、嘗て満州国と呼ばれた。満州は日本が主導する五族協和で経済も大きく発展した。いつぞや偶然入った大阪の北新地で、老夫婦が営む居酒屋があった。店にはハルビン時代のアルバムが置いてあり、「自分たちの一番幸せな時でした」と語っていたのが象徴的だった。
その満州国に暗雲が射したのが1939年のノモンハン事件だった。場所は何処かのソ連国境かと思っていたが、今のモンゴル共和国の東端であった。
改めて半藤一利氏の「ノモンハンの夏」や五味川純平氏の「ノモンハン」を再読してみた。
「赤い夕陽に照らされて・・」の何処までも続く地平線、そんな石油や鉱物資源もない不毛の地で多くの人が亡くなった。関東軍の越境も、戦利品の地図が不正確だったのが原因という。
現地は今でも地雷や要塞跡が残っていると聞き、長春やチチハルの名前と共に、郷愁に誘われるのであった。
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