逃げて来たのはブリヤート人(Buryatian)である。聞き慣れない民族の名前だが、バイカル湖の東南に位置するブリヤート共和国の人であった。人口は95万人、チベット仏教を信仰するモンゴル系の少数民族である。
モンゴルは過去三回の独立を宣言している。一回目は辛亥革命で清が倒れた時(1911年)、二回目はロシア革命でソ連が出来た時(1924年)、三回目はそのソ連が崩壊した時(1992年)である。いずれもロシアと中国の大国に挟まれた地理関係から生まれたものである。独立とは言え「めでたさも中ぐらい」なのはその為である。
辛うじて国として成立したのは、中国よりソ連に付いたからである。中国に残った地域は内モンゴル自治区になっている。ドイツが東西に、朝鮮が南北に分割されたのと同じである。
だから今でもロシアへの気遣いをしながら、この避難民の受け入れもこっそりやっている。
この9月にプーチンを受け入れ、ノモンハン事件の戦勝を祝ったのにもそんな事情だった。また2016年の国交樹立95年記念にロシアのラバロフ外相が来た時、彼はジーンズ姿でタラップを降りてきた。外交上の公式訪問ではあり得ない非礼だったが、モンゴル国民はロシアの侮蔑に耐えたのだった。
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