狭い空間に家族が同居するスタイルは、とても日本のアパートの比ではないが、中は思った以上に暖かく快適だった。部屋の真ん中に石炭ストーブがあり、左右にベットが一つずつ、あとは汲み水と簡素な洗い場、祭壇があった。
そんな彼らが着ていたのがモンゴル服だった。映画で見た中国服に似て、縦長で厚い生地の下にズボンを履いていた。学ランのような立った襟は乗馬の風除けという。
宮脇淳子さんの「満州国の真実」によれば、体にピッタリしたチャイナドレスに襟が付いているはその名残と言う。チャイナドレスは天津の居留地にいた英国人の仕立て屋が、女性の足が綺麗に見えるようにスリットを入れて加工したのが始まりという。そう言えばベトナムのアオザイも襟が付いていた。ただこちらは普段着としてズボンは残していた。
服に纏わる話は面白い。何かの本に書いてあったが、軍服の袖を飾るボタンは、ナポレオンがロシア遠征の時に、兵士が袖で鼻水を拭かせないために付けたのが始まりとか。やはり軍服のカーキも、インドに駐在していた英国軍が、白から目立たないようにヒンズー語の「土埃」を意味する茶色にしたのが起源とか。
ジーンズのデニムも、フランスのニーム(Nimes)市が語源である。「ニームの織物(Serge de Nimes)」が転じて、現在の「デ・ニーム(de Nimes)」になった。ジーンズの発祥はてっきりアメリカと思っていたので、意外だった。