氏は当時8000m級の14座の内、9座を制覇した世界的クライマーだった。その時はそんな偉業も知らず、食事が終わると体験談を話してくれた。生死を彷徨った一流の人の話はとても面白く、特に頂上でのトイレの話は耳に残った。それから暫くして、McKinleyの冬山で逝ってしまった。
もう1人、身近にNさんと言う鉄人がいた。Nさんは植村直己氏のエベレスト遠征にも参加した本格派で、「青春を山にかけて」にも登場した人だった。40歳を過ぎて金融界に入り、仕事の方でも一流を証明してみせた。そのNさんが(山の事故ではなかったが)亡くなった時に、盛大なお別れ会が披かれた。
山仲間や仕事関係の沢山の人が集まり、弔辞を読んだのは大会社の社長さんだった。一ツ橋山岳部の同僚だった。その時知ったのだが、一ツ橋山岳部のOBは大町に別荘を買うという。大町は白馬や槍ヶ岳への起点である。晩年はそこを拠点に仲間と山を満喫するらしい。聞いていて、その繋がりがとても羨ましく思えた。
最近、日本を代表するクライマーの平出和也さんと中島健郎さんが亡くなった。K2に登攀中に滑落したという。諏訪のローカルニュースで、生前の平出氏と家族とのビデオが紹介されていた。植村さんの時もそうだったが、奥さんのサバサバした感じが気になった。生死を共にしていたかのようで、その姿に打たれた。