思い出すのは「サラエボの銃声」である。ボツニア系セルビア人の撃った弾がオーストリア皇太子に当たり、第一次世界大戦が切って落とされた事件である。その一発で1000万人の命が失われることになった。
犯人の男はその時パンを食べていた。そこに偶然皇太子の馬車が通り掛かり、咄嗟に飛び出て撃った。馬車はその前に起きた爆発の負傷者を見舞いに、病院へ向かう途中だった。
普段ならば大通りを通る予定が、近道をしようと狭い路地に入った時だった。銃撃場所の壁にはプレートが掛かっていた。直前のルート変更は、後のJFKの時と同じだった
犯人の男の名前はプリンツィップ(Princip)という。彼は事件後プラハ郊外のテレジンという収容所に収監された。テレジン収容所は第二次大戦に入り、ポーランドの最終処理場に向かう大きな中継収容所になった。何年か前にそこを訪れた時、プリンツィップの写真を発見してビックリ、世界を混乱に陥れた男の末路は虚しかった。
余談だが、彼は今ではセルビアの英雄になり、ベオグラードには銅像も建っているらしい。確かにハプスブルク家の支配から解放されたセルビアかも知れないが、それはこじ付けである。伊藤博文を撃った安重根の銅像もそうだが、暗殺は美化してはいけない。
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