Thursday 12 September 2024

自民党総裁選に一言

自民党の総裁選挙が始まった。立候補には推薦人20人が必要という。各候補者は議員に電話攻勢しているようだが、この貸し借りが又新たな集団に繋がるのだろう。所詮政治は数である。裏金は良くないが、政治とはそういうものかも知れない。

 男女別姓が選挙の焦点になっている。本当かと疑いたくなる。そもそも何故旧姓を残さなくてはならないのか?よく分からない。女は生まれた家を捨てて男に嫁ぐ、男は外で働き女は家庭を守るのが日本の文化である。今の世の中がそうでないならば、昔を取り戻すのが政治である。

少子化の問題はそれに深く関係する。赤ちゃんが安心できるのはやはりお母さんである。近所でも平日に若いお父さんが、育休で子供と遊んでいるを見ると情けなくなる。そんなお母さんが安心して育児に専念できる環境が大事だ。男性社員の家族控除や扶養手当、子供支給も破格に上げたらいい。

 それには何より社会のダイナミズムを取り戻す必要がある。仕事の効率化、取り分け生産性を生まない仕事は止めた方がいい。その最たるものがコンプライアンス業務である。今の法令遵守は独り歩きしていて、法が人を縛る本末転倒になっている。所詮同じ日本人、逃げても逃げられない島国の国民性である。そんな文化を差し置いた外来の規制なんて即やめた方がいい。 

 もう一つは国と民間の関係だ。小さな国だから、役人と民間がもっと一体にならないと強くなれない。その為には同じ釜の飯を食い、大いに酒を酌み交わし日本の未来を語って欲しいと思っている。接待費なんてその対価を考えれば安いものである。いっそ青天井にして堂々とその交流をやればいい。優秀な人もまた霞が関に戻って来るだろう。

 選挙というとマニュフェスト、これもナンセンスだ。選挙公約は時と共に刻々と変化するものだ。それを金貨極上の如きに守るのは、お互いにとって不幸である。駄目なら次の選挙で投票しなければいいだけだ。外来用語を使ったキャッチフレーズは、往々にして女子供を煙に巻く常套句である。

Wednesday 4 September 2024

熊の話

熊が各地に出没し被害が出ている。最近友人の家にも現れ、飼っていた鶏が食べられてしまった。毎晩やって来て、遂に七羽も死んでしまったと嘆いていた。

幸いそんな怖い思いはした事がないが、スポーツ店のゼビオの入り口に立っているヒグマの剥製を見ると圧倒される。悠に300〜400Kgはあるだろうか?森の中で対峙したら終わりだ。

 熊は今まで「パディントン」や「くまのプーさん」のイメージがあるから可愛い対象だった。顔も我が家の愛犬に何処となく似ているから尚更である。

 しかし吉村昭氏の「熊嵐」など読むと、現実に引き戻される。クマと人間の闘いは壮絶で、例えば人家を襲ったクマが食べるのはボリューム感がない子供より大人、それも女だという。射殺後に胃を切り裂くと、中から消化しきれなかったヒトの髪の毛や着物の切れ端が出て来るから怖い。

 因みに熊の肝は貴重品だったらしい。便秘や高血圧に効くと、熊を仕留めたハンターが持ち帰る習わしがあったそうだ。確かに今でも「熊膻圓(くまたんえん)」という薬が売られていた。ただ価格は普通だった。今時、胃腸薬で使う人も少なくなったのだろう。