Monday, 29 July 2024

ロードス騎士団の話

ギリシャは島が多く全部で3300もある。ただ行くとなると飛行機かフェリーなので、結構おカネも時間も掛かる。そうは言っても一つぐらいはと、今回はロードス島(Rhodos)を訪れた。

アテネから飛行機で1時間、ヨーロッパ有数のリゾートと言われるだけあって、多くの観光客で溢れていた。ビーチには色とりどりのパラソルが並び、旧市街には多くの土産物屋やレストランが立ち並んでいた。おしゃれを気にする文化なのか、美容院がやたらに多かった。折角なので散髪してもらうと、島人の気分になった。  

 空港から市内に向かう途中、タクシーの運転手が対岸の山はトルコだと教えてくれた。それはまるで台湾から見た中国大陸のようで大きかった。攻めて来られたら一溜りもないと思っていると、面白い話を聞いた。それは1522年にペルシャの大軍が押し寄せた時だった。 

 島を守っていたのは、エルサレムからキプロスを経てやってきたロードス騎士団であった。今でも立派な館が残っていたが、彼らはその戦いで敗北して島を去り、辿り着いたのがマルタ島だった。そして名前をマルタ騎士団に変えて今に至っているという。

マルタ島はその後のオスマン軍の包囲や、第二次大戦の対ドイツにも耐え抜いて、1964年には遂に独立を果たした。ロードスを去った騎士団がマルタ島で花を開き、占領されたロードスも地元のギリシャに戻った。歴史を知ると今の平和の重みも違ってくるのであった。

Friday, 26 July 2024

「滅びた事ない国」1位の日本

ミシュランガイドを頼りに2〜3つ星を目指して廻った。コリントス(Korinthos)、ミケーネ(Mycanae)、エピダブロス(Epidavros)、ミストラス(Mystras)、メッソーニ(Methoni)、オリンピア(Olympia)、ヴァッセ(Vasses)、メテオラ(Meteora)、エレフシナ(Elefsina)等々・・・。

どれも広大な敷地に広がる遺跡である。最初は珍しがっていたが、次第にどれも同じ瓦礫に見えてきた。ただ年代を調べると、ミケーネが紀元前16〜12世紀と一番古く、大方は紀元前6〜3世紀、ミストラスの町やメッソーニの要塞跡、メテオラの修道院に至っては14世紀と比較的新しかった。同じ廃墟とは言え、建造目的や用途も異なっていた。

 破壊した側も時代によって違った。古くは東西のローマ帝国、中世からはオスマン帝国だった。ただバルカン半島を旅すると「オスマン=侵略者」のイメージが強かったが、気のせいかギリシャはそれがなかった。歴史の半分を東西ローマ帝国に仕えた名残だったのだろうか、将又ギリシャ人の反西洋意識なのか、いつか識者に聞いてみたい。

ところでこの古代遺跡を前にすると、日本の歴史が小さく見えてきた。縄文時代か弥生時代頃だろうか?しかし帰ってから改めて調べてみてビックリ、何と世界で「滅びた事のない国」の1位は日本であったのだ。

紀元前660年の神武天皇から今に繋がる天皇制は2700年にもなり、ギネス認定されていた。因みに2位はデンマーク、3位は958年の英国、中国に至っては80年にも満たなかった。日本はギリシャより古かった!

 複雑な感情を持つのは、今のギリシャ市民も同じである。レストランでワインを頼む時、当然「ギリシャのローカルワインね!」と言うと、ボーイは「ギリシャをマケドニアって言う奴がいるけれど、これは本物のギリシャワインだ!」と訳の分からない言い訳をする。

ヘレニズム文明を築いたギリシャの英雄アレキサンドロス大王は、隣国マケドニアの出身、今では西マケドニアはギリシャの隣国だったりするのが引っ掛かるのだろう。過去を遡ると自分の国ではなかったりして、自身のルーツは誰しも気になるのである。

Wednesday, 24 July 2024

オリンピアのトラック

間もなくオリンピックが開かれる。今年はパリが舞台である。あの汚いセーヌ川で泳ぐというので大丈夫かと思うが、レトロで粋な計らいもフランスの特徴である。選手は柔軟でタフであった欲しい。

そのオリンピックの聖地、オリンピア(Olympia)の遺跡を訪れた。アテネから南西へ360㎞、崩れたとはいえ、古代遺跡が当時のまま残っていた。今でも聖火のスタートとなるゼウス神殿や選手宣誓の館など、高度な精神文化が宿っていたのが伺えた。

中でも感動的だったのはトラック競技場である。一周300m程だろうか、トラックの真ん中に下りてスタンドを見上げると、「テルマエ・ロマエ」の映画に出て来るような歓声が聞こえてきた。

 古代オリンピックは紀元前776年から西暦393年まで、4年ごとに1200年の永きに渡りこの地で開催されたというから驚きである。オリンピックの起源は戦火、疫病を逃れた人々の健康を志向したようだ。そう言えば、Epidavrosというやはりミシュラン3つ星の遺跡には、今でも使える野外劇場があり、これも病んだ人々の精神回復が目的だったという。当時のギリシャ人は、今にも増して健全な社会を追求していた。

処でマラソンの起源になったアテネ郊外のマラソナス(Marathonas)にも足を運んだ。BC490年にペルシャ軍に勝利した報告を、一人の兵士が42㎞を走ったのが由来だった。マラソンとはその兵士の名前かと思いきや、戦場となった町の名前だった。

因みにその町にあるマラソン博物館には、歴代の優勝者の写真と靴が飾ってあった。Qちゃんや野口みずき、円谷選手や有森さんも含めて、日本人ランナーに取り分け多くのスペースを割いていたのが印象的だった。

Tuesday, 23 July 2024

Lafcadio Hearnの生地

ギリシャ人で思い出すのはマリア・カラスとJFKのジャクリーヌ夫人、最近ではテニスのチチパスぐらいである。処がガイドブックには、ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)こと小泉八雲が出てくる。折角なので、彼の名前の由来にもなった生地レフカダ(Lefkada)島を訪れてみた。

ギリシャの北西に位置するこの島は、90度回転する移動式の桟橋と、モンサンミシェルのような土手道(Causeway)を通って入った。途中大型ヨットが通過するのを待つ事10分、島の玄関口に彼の胸像が建っていた。

 ハーンは英国陸軍の軍医の子供として1850年にこの地で生まれた。アメリカのジャーナリストとして来日したのが1890年、40歳の時だった。以来松江を皮切りに早稲田、東大などの教師を務め54歳で没した。日本人の妻(節子)を娶り、その彼女をヒロインにしたNHK連続小説「ばけばけ」が来年放映されるというので楽しみだ。

 帰ってから早速彼の作品をいくつか読んでみた。来日当初の「日本瞥見記(Glimpses of Unfamiliar Japan)には、人力車から眺めた風景を、「東洋の額縁の中に西洋(ミシン屋や写真館)が入っている。全てがミニュチュアの世界だ!」と興味深い表現で語っていた。また有名な「怪談」や「骨董」など、多分妻から聞いた話なのだろうか?日本の怨霊や霊魂に強い関心があった事も伺えた。

また面白かったのは、距離をマイル、重さをポンド表記していた事だった。内容は全く日本で訳も素晴らしかったが、これだけはどうしようもなかったようだ。

時を経て、異国への旅を通じて、古き幕末の日本と日本人を垣間見るきっかけにもなった。不思議な気分である。島から北に車を走らせると、夏のこの季節、ビーチは多くの海水浴の人でごった返していた。

Monday, 22 July 2024

アテネの落書き

今年は日本とギリシャの外交125周年、佳子さんに肖った訳ではないが、そんなギリシャをゆっくり旅してみた。 

まずアテネに着いて驚かされたのは、落書きの多さである。至る所の壁や施設にペンキが塗られていた。2009年から始まった財政危機の煽りなのか、一見人心の荒廃ともみれたが、当時の人々、取り分け若者の怒りが伝わって来た。

一連の発端は政府による財政赤字の隠ぺいだった。GDP比で5%の財政赤字は実は12%もあった。背景には国民の4人に1人は公務員で定年は53歳、年金は現役時代と同じ額が支給されるなど、財政破綻は縁故主義の蔓延だった。

EUは緊急支援の見返りに改革を迫ると、失業率は2014年には26%にも上がった。勤勉をモットーとする西洋流のリストラにも反感があり、落書きに繋がったようだ。ギリシャ人は肌が黒いし、ギリシャ正教はキリスト教でもイスラム教でもない。その特殊な民族性と、それでも何とか西洋社会の中で生きるジレンマだった気がする。

改革は消費税が未だに23%と高いように道半ばである。ただ今の治安はいいし、街も落ち着きを取り戻していた。オリーブとレモンをふんだんに使ったギリシャ料理はヘルシーで飽きが来ないし、何より素朴なワインが美味しい。

ソクラテスやプラトンを生んだ栄光の古代、ローマとビザンチンの間の微妙な立ち位置、その過去の遺産で生きる観光立国、エメラルドのエーゲ海と白い大理石に代表される風景を思い出しながら、これから旅を振り返ってみたい。