Friday, 21 June 2024

小池知事の学歴疑惑

都知事選が始まった。50人以上が立候補する混戦である。300万円を出せば誰でも出れる。だから売名行為を目的とする人もいるのだろう。それにしても本命の4人を含め、これといった人がいないのも困ったものである。

消去法で行くと、やはり小池さんかと思っている。過去の実績で無難にやってくれるだろう。ただ例の学歴詐称が気になる。元側近は刑事告発したり、カイロ時代の旧友の書いた記事も信憑性がある。特に元環境省の人は、昔から存じ上げている誠実な人だけに猶更である。

所が残念な事に、これがスタンフォード大やハーバード大ならいざ知らず、カイロ大となると関心度はグッと下がる。「そんな処(と言っては失礼だが)出ても出なくても、どうでもいい!」というのが率直の感想である。

一方で思い出すのは、松本清張の「砂の器」である。名を馳せた音楽家が、過去を知る恩人を殺害する事から事件が発覚する。孤児だった彼は、戦後のドサクサに紛れ焼失した戸籍を使い、別人に成り済ましたのであった。時間と共に嘘がバレていく恐怖は、名を成した人ほど大きいのである。

 それにしても何故マスコミも含めて、カイロ大に照会できないのだろう?と不思議である。普通は問い合わせれば、「そんな人は卒業生にいません」と返ってくる。その辺の曖昧さが事態をより複雑にしている。

Thursday, 20 June 2024

古代の列石群

英国のストーンヘンジに、ペンキのようなものが掛けれられた。犯人は環境保護団体という。暫く前にも美術館で同じような事件があったが、環境とは真逆の行為に理解に苦しむ。

そのストーンヘンジだが、古代の習慣、儀式など謎に包まれている。ただ規模はこじんまりしていて、他の列石群に比べれば点のようなものである。ロンドンから近いせいだろうか?

 代表的な列石群の一つは、フランスのブルゴーニュ地方のカルナック(Carnac)だろう。数にして3000個はあるだろうか、高さ4m程の巨石が、1kmに渡って続いているのば圧巻である。ブルターニュ地方には、他にも沢山のメンヒルと呼ばれる列石が多く、ケルト人の祖先の足跡が伺える。 

 もう一つはスコットランドの北端に位置するオークニー島である。こちらはストーンサークルと呼ばれる直径にして30m程の石柱群、古代住居跡や円墳が残っている。時代はカルナックもそうだが、紀元前3000年頃と言う。今でも寒くて不便な島に、太古から文明が栄えていたかと思うと人間の逞しさを感じるのである。

エジプトのピラミッドもそうだが、誰がどうやってこんなに重い石を運んで組立てたのか?石は当時のまま現存しているから、触れる事によって古代のロマンが蘇るのである。

Wednesday, 19 June 2024

ラ・ロッシェルと島々

映画「史上最大の作戦」は史実に忠実な作品で、ロケも殆ど現存する現場で行われた。ただ上陸のノルマンディーだけは、空爆で丘も変形してしまったため、中西部のレ島(Ile de Re)になった。以前わざわざ見に行った事があるが、確かに長く続く海岸線は映画のシーンだった。

レ島は近くのオレロン島と並び、牡蛎が有名な島である。夏になると観光客が訪れるが、コートダジュールが立派なホテルが立ち並ぶ上流階級向けなのに対し、車でキャンプする極めて庶民的な場所であった。 

 フランスの島は文化が凝縮していて面白い。有名なモン・サン・ミッシェルは言うまでもないが、ナポレオンの故郷コルシカ島には、モヤイ像のような古代遺跡が多く残っていて歴史を感じた。美しい島を意味するブルターニュのベル島(Belle Ile)には、黄色い口ばしを持つパフィンという珍しい鳥が生息していた。湾には立派なヨットが停泊していて、フランス人の豊かな生活振りを垣間見た場所でもあった。 

 レ島から桟橋を通ると、大きな港町ラ・ロッシェル(La Rochelle)に出る。ここはフランスにおけるプロテスタントの牙城で、ナントの勅令が出るまでカソリックと対立した歴史の町だった。

 第二次大戦中はドイツ軍の潜水艦基地もあったので、今でも立派なブンカ―が残っている。その跡地でロケしたのがインディー・ジョーンズの「レイダーズ」であったと、それは最近知った。

吉村昭の「深海の使者」にも、大戦中に日本の潜水艦がUボートを引き取りに行った軍港が出て来る。ひょっとしてそのラ・ロッシェルかと思って調べたが、それは近くのブレストだった。

Wednesday, 12 June 2024

ロンメルの休暇

ノルマンディー上陸に纏わる小説や映画は多い。どれも興味が尽きないが、特に「上陸地点は何処?」を巡る情報戦は面白い。お互いにスパイを使って収集と偽情報の拡散を行った。

ケン・フォレットの「針の眼(Eye of the Needle)」は、英国で活動するドイツスパイの話であった。スパイは偽装を見抜いてノルマンディーを確信したが、情事に溺れて帰国出来なかった。また「烏(Jackdaws)」は反対に、パリに潜入する英国の女性スパイの話。随分前に読んだが、「上陸地点はパ・ド・カレー(Pas-de-Calais)」の偽情報の流布に成功した。

その都市カレーは、英仏を繋ぐドーバー海峡の最短ルートである。昔からフェリーの発着点で、ユーロトンネルの起点になっている。ドイツ軍の大半はここが本命と思って主力を置いていた。その為、今でも断崖には手付かずの要塞跡が数多く残っている。第二次大戦初頭に英国軍が撤退したダンケルクも近くにある。

上陸が成功した理由の一つが、司令官ロンメルの不在だった。D-Dayの6月6日は、運悪く彼の妻の誕生日であった。長らく休暇を取っていなかったロンメルは、暫くは侵攻がないものと判断し、その日に合わせて国に帰る事にした。 

 彼は前々日の6月4日の朝7時に、司令部のあったフランスのラ・ロッシュ・ギオン(La Roche-Gyon)村を発って、自宅のあるドイツのヘルリンゲン(Herrlingen)に向かった。当時は安全上の理由で、将校の移動に飛行機が禁じられていたので車だった。

距離にして約800km、コーネリアス・ライアンの「史上最大の作戦(The Longest Day)」には「夕方の3時ごろに着いた」と書いてあったので、時速100㎞以上で走った計算になる。当時の道路事情を考えると物凄く速かった。

彼が家で寛いでいた頃に侵攻が進んでいたかと思うと、何ともやり切れない心境を察する。そういえば、戦後アルゼンチンに逃亡して潜伏していたアイヒマンも、奥さんの誕生日に花を買った事で身元がバレて捕まった。身内には甘くなるのは人間だから仕方ないのだが・・・。

Saturday, 8 June 2024

ノルマンディー上陸80年

今週の6月6日はD-Day 80周年だった。ノルマンディーにはバイデン大統領はじめ、各国首脳20人が集まった。ウクライナのゼレンスキーやイギリスのウイリアム王子、そして映画「プライベート・ライアン」の主役トム・ハンクス氏も来ていた。

15万人の兵士を動員した大作戦だったが、未だにベテランと称する元兵士が数多く残っている。当時20代だった若者は今では100歳を超えている。その矍鑠とした姿にはビックリするが、流石に何年か前の式典でパラシュート降下を再現した元気もなくなり、車椅子姿の人が目立った。今年は会場に向かう途中の空港で、息を引き取ったアメリカ人の元兵士もいたようだ。

 歴史のターニングポイントとなったノルマンディーは、私のお気に入りの場所の一つである。

5つの上陸海岸には未だにドイツ軍のブンカー跡が点在しているし、物資を陸揚げしてアロマンシュの港にはその艀が置き去りになっている。英国コマンドが急襲したペガサス橋や、フレンチコマンドが墜としたウイストラムの港町も当時のまま、アメリカ101空挺師団が誤って降りたサント・メール・エグリーズの教会には、(観光用なのか)落下傘兵の人形が未だにぶら下がっている。映画「The Longest Day (史上最大の作戦)」と重ね合わせた戦跡巡りは、何度行っても興味は尽きない。

上陸はアメリカ軍がオマハとユタビーチ、英国軍がゴールドとソワードビーチ、カナダ軍がジュノビーチを受け持った。今でもその分担と結束が、西側社会の原型のような気がしている。 

今年は新たに英国ノルマンディー記念館がオープンしたり、暫く前にアロマンシュの記念館も改築されたようだ。上陸地点での早朝のデモや、最終日には花火大会もあるようだ。何時かまた訪れてみたい。