Thursday, 30 May 2024

小林一茶の生涯

友人で俳句を詠む人がいる。仲間を集い句会をやっている。粋な句が出来ると嬉しいらしい。いつぞや誘われたが、外で動き回っている方が向いているので丁重にお断りした。

 ところで先日長野から上越に車を走らせていた時、たまたま俳句界の巨匠、小林一茶の生誕地を通った。黒姫の近くの柏原という村で、立派な記念館もあった。暫し立ち寄り、知らざる彼の一生を綴ると意外な発見があった。

一茶は3歳で母を亡くし、15歳で江戸に奉公に出て修行を始めた。結婚は52歳の時だった。3人の子供に恵まれたが、幼くして全員早世してしまった。嫁も結婚から9年で亡くなり、最後は孤独の中、村の火災で息を引き取った。65歳であった。 

「我と来て遊べや親のない雀」は、母が死んで寂しかった8歳の頃の作品。「名月を取ってくれろと泣く子かな」は可愛がった長女と遊ぶ姿。「めでたさも中位なりおらが春」は、その長女が6歳で没した頃の歌。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」は喉かな村の風景を描いた歌等々。

家計は4石の遺産と俳句の指導料で賄っていた。ただ江戸時代末期の田舎生活は厳しかった。加えて子供の頃の寂しい家庭環境、成人して名を馳せたものの、やっと築いた家庭で次々と家族を失う生涯だった。人の心を打つのは、そんな色濃い人生が共感を呼ぶのだろう。

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