というのも先日、日吉の地下にある連合艦隊司令部跡を見に行った時、暗くて狭い通路を歩くととても長く感じられたが、それでも全長は2600mというから、改めてガザの規模には驚かされる。
日吉の地下壕は太平洋戦争末期に艦隊がなくなり、陸に上がった海軍の指令部跡だった。まだ飛行機が残っていたので、そこから特攻のモールス信号を受電していたという。地下壕は1944年7月から3カ月で完成したというから早かった。
同じ地下壕は松代の大本営跡も行った。こちらは完成すれば全長10㎞の地下都市になっていた。天皇も移る予定と聞いて、当時の狂気を見る思いがした。
最も大きかった地下都市は、チェコとポーランド国境のオスフカ(Osowka)の地下司令部であった。ドイツが1943年から作り始め、機関車も乗り入れできる巨大な地下要塞だった。完成すれば全長30㎞というから、反抗に備えたのかも知れない。
その他、朝鮮半島の38度線、所謂非武装地帯(DMZ)にあるトンネルも比較的広かった。北が掘って発見されたものだが、地上ではまだ両軍の兵士が睨み合っていたので、緊張感があるツアーだった。
第一次大戦にフランスが作ったマジノ線の地下壕はよく保存されていた。べトコンの地下通路は人が一人通れるだけの狭い穴だった。
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