Friday, 8 December 2023

連合艦隊と酸素魚雷

暫く前の日経新聞の「リーダーの本棚」欄に、静岡がんセンターの山口総長が出ていた。氏の父親も医者で、ラバウルで軍医として終戦を迎えたという。その影響なのか、座右の書は意外にも伊藤正徳の「連合艦隊の最後」だった。組織として理念、戦略、戦術、システムを考える上で、海軍はその手本というのが理由だった。

早速その本を取り寄せ読んでみたが、出版がまだ焼野原が残る昭和30年という事もあり、著者の気迫と無念感がにじり寄る一冊だった。確かに開戦時に254隻、その後383隻もの軍艦が建造されたが、終わってみれば49隻という事実がそれを物語っていた。 

 本の後半に酸素魚雷の話が出て来た。その速度、射程、爆薬量で英米を遥かに凌駕していた。その技術を転用した人間魚雷「回天」の成功率が高かった事もあり、終戦直後にサザーランド参謀長が真っ先に潜水艦の居場所を聞いた逸話も紹介していた。

 そう言えば昔、東海岸のアナポリス(海軍兵学校)を訪れた時、校内にその酸素魚雷が置かれていた。そこは太平洋戦争の日本コーナーで「ミッドウェイ海戦を境に戦局が好転した」の碑もあり、しばし立ち止まって思いを馳せた。

 また著者は戦争末期の指揮官の在り方に批判的だった。昔は東郷元帥のように陣頭指揮していた時代から、最後は日吉の地下壕から無線で命令を出すようになったからだ。士気も上がらないし無線の精度も悪い。その失敗が電波が届かず謎の反転が起きたレイテ戦だった訳だが、分かるような気がした。

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