ハイデルベルグで会った若いアジア風の女性も、最初は英語で話していたが暫くして日本人だと分かった。フランスのアンティーブのパブで会った男もいた。彼は常連で何故こんな所に住んでいるのか不思議だった。
かと思えば過去の足跡もある。「アラモの砦」には大正時代に日本人が贈った碑があった。長篠の戦いと思いを重ねたようだった。やはりテキサスの「太平洋戦争記念館」には、ハワイ攻撃で使った酒巻少尉の特殊潜航艇と日本庭園があった。モンマルトルの墓地にもUsuiという立派な墓があった。このブログでも書いたが、そういう時には土地にグッと親近感が湧くのであった。
先日もサマーセット・モームの「月と6ペンス」を再読していたら、何と日本人が出てきた。場所はマルセイユの港町の酒場であった。彼は日本軍艦の水兵だった。おそらく第一次大戦の頃に寄ったのだろう。明治大正の日本海軍は世界を股にかけていた。