Tuesday, 28 February 2023

虎の門事件とステッキ銃

安倍元首相の暗殺事件は、未だに海外でも大きな関心毎である。特に日本は銃が禁止されているだけに、不思議に思った人が多いのは確かだ。オーストラリアで泊めて貰った家の主人からも、「あれには驚いた」と「犯人の動機は何だったのか?」と聞かれた。「母親がカルトに入信して破産した恨みだった」と応えたが、日本は治安がいいと思っていただけにピンと来なかったようだ。 

というのも、暗殺の動機は多くが政治的なものだからだ。JFKのオズワルドは定かでないが、第一次大戦の引き金になったサラエボのオーストリア皇太子やリンカーン始め、日本の坂本龍馬や桜田門の井伊直弼、近年では社会党の浅沼委員長もそうだった。

ただ何となくその根底には、貧困と人生の歯車が狂った若者の葛藤が見えて来る。今読んでいる児島襄の大作「天皇」でも、その一例として大正時代の末期に皇太子を襲う虎の門事件が出て来る。山口出身の23歳の男が、大正12年に皇太子裕仁(後の昭和天皇)を虎ノ門で襲った事件であった。使われたのは実家から持ち出したステッキ銃であった。幸い皇太子に弾は当たらず取り押さえらえたが、その動機が関心を誘ったのである。

彼の実家は山口の名家で父は衆議院議員を務めていた。先のステッキ銃も、同郷の伊藤博文がロンドンで買い求めた逸品で、流れ流れて父が保有していたものだった。犯人の青年は四男だった事もあり、父から厳しい経済生活を余儀なくされ次第に反社会的な思想に傾倒していった。真坂それが大正の大事件を生む背景になった。一番驚いたのは父親で、事件の翌日には議員を辞職し以後ショックで部屋に籠り、半年あまりして餓死したという。

そう言えばオズワルドがJFKを狙った倉庫の窓や、オーストリア皇太子を撃ったプリンツィフというセルビア人が後に収容されていたプラハ郊外の収容所、桜田門事変の水戸藩士関鉄之助が最後に逗留した茨城の田舎などを訪れてみると、不思議と犯人と心境がシンクロしてしまうである。やった事は卑劣だが、その背後にもっと不条理な時代が見えて来るのであった。

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