Saturday, 4 February 2023

豪州のマッカーサー

ブリスベンの市街地にマッカーサー記念館があるので行ってみた。ビルの8階にある小ぢんまりした展示だった。奥に彼が使っていた部屋もあり、革張りの椅子に座っては当時を思い浮かべた。

驚いた事にその一角に、山本五十六機の操縦桿があった。ブーゲンビル島上空で撃墜された後、どうやってここまで持って来たのだろうか?そのマッカーサーだが、数年前にノーフォークにある記念館を訪れて以来身近な人になっている。

太平洋戦争では英雄だったが、朝鮮戦争ではあと一歩と言う所で議会に梯子を外された。大統領の道が閉ざされ、戦後は一人息子が偉大な父から逃れる為に失踪したりした。薄い頭を意識して終始帽子を付けていた事など、人間性を感じる部分も多い。

ノーフォークの記念館には東條英機邸から没収した軍刀や、降伏文書のコピーも土産で売られていて中々興味深かった。ただブリスベンの方は退役軍人と思われる人が屯っているだけで、何もなかった。

そう言えば、第一生命本社のマッカーサールームもあった。昔仕事の関係で訪れた時、「もし宜しかったらお見せしましょうか?」と言うので、折角なので見せて頂いた。ブリスベン同様、此方も大きな机と革張りの椅子が置いてあった。

マッカーサーはもう過去の人である。記念館を訪れる人も疎だし、若い人は名前さえ知らない人が多いようだ。ブリスベンには開戦当時100万人もの米兵が駐留していて、彼はそのトップだった。今となっては強者どもの夢の跡である。

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