Monday, 21 November 2022

エリザベート・シュワルツコップ

マリア・カラスが来日した時は行けなかったが、もう一人のソプラノ界のプリマドンナには間に合った。それはドイツリート界の華、エリザベート・シュワルツコップ(Elisabeth Schwarzkopt)である。1972年の冬、彼女は既に57歳の晩年に入っていたが2回目の来日だった。当時学生だった私は、上野の文化会館で永年の憧れの人を目の前にした。

マリア・カラスが個性が強く独創的な歌い手なら、こちらはドイツロマン派の正統派である。その時も一つ一つ丁寧に歌い上げるのが印象的だった。

その日は大好きな「愛の喜び(Plaisir d‘Amour)」や「糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)」こそ出て来なかったが、ブラームスやシュトラウスの小曲を聴いた記憶がある。

彼女は典型的なアーリア人だから、嘸かし戦中も引き合いに出されたかと思いきや、Wikiで意外な原点を知った。それは校長だった彼女の父親がナチ党大会を拒否した事によって、大学進学の道が閉ざされ、結果的に音楽の道に進むことになった経緯である。

オーストリア西部のシューベルトも良く訪れたという村には、彼女の博物館もあると言うので、また旅の寄り道が増えた。ドイツとスイス国境に近いその一帯は、随分前に旅して民宿に泊まった事があったが、英語やドルが全く通じないド田舎であった。そんな処で晩年を過ごしたのも意外だった。

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