Saturday, 25 June 2022

結婚しない若者

日本の少子高齢化は大きな問題だ。取り分け少子化は、国の将来が掛かっているだけに深刻な問題である。結婚しても子供を産まないし、そもそも結婚する人が減っている。

一生結婚しない生涯未婚率は、1980年頃までは男女ともに5%未満だった。それがその後増え続け、今では何と男が25%、女が16%という。バブルが崩壊して長期化したデフレのせいなのか、将又ユニセックスする世界的な兆候なのか、男女の役割に大きな変化が出ている事は確かだ。

先日発表された男女共同参画白書でも、「20代男性の4割がデート経験なし」と言っていた。本当かなと思ったが、意外と昔からこの数字は変わらないと誰かが言っていた。変わらないと言えば、「恋愛強者3割の法則」もあるらしい。恋愛関係に入れるのは、格好のいい男性と可愛い女性の3割に集中するという説である。後の7割は恋愛に縁のない人になる。ただ昔は恋愛しなくても結婚に漕ぎつけたのが、ここに来てどちらも無くなってきている。

若者に聞くと「結婚はめんどくさい」と言う。自由がなくなるし相手への気遣いも負担に感じるらしい。人は一人では生きて行かれない、人生の荒波を乗り越えるには伴侶が必要、というのはもう昔の話になっている。 

次の時代の生き方は若者が決める事だ。古い仕来りに拘る必要もないし、お互いそれがいいと思えば新しいスタイルで生きればいい。人口が減って労働生産性を心配する人も多いが、人口密度が改善されて快適になるかも知れない。籍は入れなくてもペットみたいな共同生活もあるし、所詮人間とて動物だから生存本能が何とかしてくれるだろう。

Thursday, 23 June 2022

顎関節症って

一カ月ほど前だったか、食事をしようと口を開けようとすると痛みが走った。また虫歯かな?と思って歯茎に触ってみたが、歯の異常はなさそうだ。ネットで調べて行くうちに、それは顎関節症ではないかと思えてきた。顎関節症は何らかのストレスで歯を食いしばるうちに、顎の筋肉に支障を来す病という。

早速行きつけの歯科医に行って相談した。ただネットでも書いてあった通り、それは歯科医の範疇でなく専門医の職域だと言う。先生は「大学病院に紹介状を書く」と言ってくれたが、自分で探すうちに、近くに顎関節学会の専門医がいる事が分かったので早速行ってみた。

そして受診する事1時間、骨には異状ない事が分かりホッとした。先生から治療は、「只管歯を嚙み締めないように心がける事」だと言われた。人は口を閉じた時に、上下の歯がくっ付かない事もその時初めて知った。そして「歯を離している?」の自己暗示を続けるうちに、大分回復してきた。 

それにしても「俺ってストレスあったのかな?」とちょっと心配になった。若い頃なら兎も角、歳を取っても無意識のうちに競争や時間に追われていたら、それは我ながら可哀そうである。原因不明のアクシデントに、ふと日頃の生活を顧みたのであった。

Wednesday, 22 June 2022

Île とisles

中公新書の物語シリーズは出ると必ず買っている。このブログでも何度も紹介したが、外交官の黒川氏の「物語ウクライナの歴史」は大変面白い本だった。同じくジャーナリストだった波多野氏の「物語アイルランドの歴史」も良かった。

ところが押しなべて学者先生の本は詰まらない。それは年表を追っているからである。最近出た「物語スコットランドの歴史」もその典型で、(作者の千葉大の先生には大変失礼だが)余りの多くの登場人物で何が何だか分からなくなった。

学者先生は年表の羅列しようとする余り、メリハリに欠ける。恐らく実社会の経験がないからか、読者が何を求めているのか気が付かないのかも知れない。つくづく膨大な歴史を物語風にするのは難しい作業だと思うが、市井感覚がないと物語にはならない。

そんな中、ひとつ収穫があった。それは「島」という単語である。スコットランドは800以上の島から成るが、島をゲール語でアイラ「isles」と呼ぶ。そう!あのアイラウィスキーの名称である。ふと気が付いたのは、フランス語でパリ近郊の地域圏を指すイール・ド・フランス(Île de France)であった。

イール・ド・フランスはパリ20区の周りに広がる通勤圏である。云わば東京周辺の関東圏にあたる。ゴッホが晩年を過ごしたオーベール・スール・オワーズやモネやピサロのポントワーズ、将又ユーロディズニーのマルヌ・ラ・ヴァレなど、今でも自然豊かな風景がパリ郊外に残っている。そのÎleはゲール語のislesであったのだ。「なんだお前そんな事も知らなかったの?」と言われるかも知れないが、何か嬉しくなったのである。

Sunday, 19 June 2022

国防費の倍額

ロシアの侵攻で、国防論議が一気に現実味を帯びてきた。台湾有事や北朝鮮の暴発などで同じような事が起きるかも知れない!そんな時に日本は戦えるのだろうか?急に不安になってきた。

国防費の増額や憲法改正も支持する人が増えているという。安倍さんは国防費を今の5兆円から10兆円にしろと言う。ただでさえも世界9位の軍事費である。倍にしたらアメリカ、中国に次いで世界3位になってしまう。流石にこれにはちょっとビビってしてしまうが、NATO加盟国の「GDPの2%基準」を適用するとそうなるらしい。

 立派な武器を持っても所詮戦うのは兵隊だ。戦後75年、一度も実戦がない軍隊って大丈夫だろうか?と心配になる。そんな矢先、今年の芥川賞作家、砂川文次氏の本が書店に並んでいたので買ってみた。 

 氏は元自衛官で、その体験を短編にしていた。「小隊」の舞台は北海道、「戦場のレビアタン」はイラク、「市街戦」は国内の行軍訓練であった。どれも模擬訓練を通した想像の世界で、何か読んでいて虚しくなった。失礼ながら芥川賞ってこの程度?とガッカリすると共に、自衛隊の実態にも心細くなった。

 中国の兵士の士気はもっと低いと誰かが言っていた。兵士になるのは党や官僚になれなかった農家の子供と言うのがその理由らしい。金儲けは好きだが、凡そ国に忠誠を誓う国民性とは縁遠い、そう思うと変に納得した記憶がある。

 誰か強くて弱いのか、今回のウクライナではないが、こればかりは戦ってみないと分からない。一つ言えるのは、対岸の火事の時代は終わったという事である。

Sunday, 12 June 2022

プーチンとピョートル

今年はロシアの大帝ピョートルの生誕350年という。プーチンはその祝賀行事で彼の栄光を称えていた。特にスウェーデンに勝利した話を引き合いに出していた。ウクライナに準えたのだろうか、何か時代錯誤の感は拭えない。

そのピョートルだが、随分前に読んだアンリ・トロワイヤの「大帝ピョートル」は中々いい本だった。工藤康子氏の翻訳も素晴らしいし、彼と彼女の三部作「女帝エカテリーナ」と「イヴァン雷帝」も傑作であった。 

ピョートルは戦略に長けていただけでなく、欧州のシステムを積極的に取り入れた。例えば外国人士官の登用、当時の将軍の半分は外人だったり、文官、武官、宮内官を12の階級に整理した官等表を作り役所の風通しを良くした。

フィスカルと呼ぶ行政監督制度もあった。500人の監督官が腐敗した裁判官や汚職官吏の摘発に励んだ。所謂スパイの先駆けである。この辺がプーチンが慕う理由の一つかも知れないが、ロシアらしかったのは、監督官が課した罰金を国と本人で折半した事である。当然それがまた腐敗を生んだので、制度は廃止になったという。

ピョートルの私生活も波乱に富んでいた。結婚はしていたが、ラトビアの田舎で部下が拾った17歳の少女を洗濯女として身近に置いた。それが後の皇后エリザヴェータであった。ただ一人息子はひ弱で父の期待に沿えなかった。挙句は父に反旗を翻したため、父は死刑を告げるなど、かつてのイワン雷帝と同じ運命を辿るのであった。

Sunday, 5 June 2022

ビゴーの風刺画

明治の外国人画家として有名なのは、ジョルジュ・ビゴーだと思っていた。在日は17年になり風刺画を通して明治を描いたフランス人である。日本人女性とも結婚したので、日本社会の洞察も深かった。随分前になるが、清水勲氏の「ビゴーが見た明治ニッポン」を通じて、彼の観察眼に感心した記憶がある。 

 例えば男女の仲、事を急ごうとする男と逢引から人目を避ける女、果てて疲れた女ともう一戦を嗾ける男などの描写、又下駄や簪の泥棒も、一瞬を捉えて漫画にするセンスに長けていた。勿論政治の風刺も多かった。

男の顔に共通するのは出っ歯と吊り目である。昔から外人が描く日本人は背が低く、丸眼鏡を掛けてカメラをぶら下げる特徴があったが、この頃から歯並びと細い目は気になっていたようだ。
それにしても、彼の風刺画はどれもコミカルである。ロートレックのタッチにも似ているし、思い出すのは暫く前にパリで銃撃されたシャルリー・エプドである。ムハンマドを冒涜したのがイスラムの逆鱗に触れたという。そのシャルリーのタッチもやはり滑稽で心を掴まれたが、フランス人特有のエスプリにはつい頬が緩んでしまう。

 府中美術館の作品の中にビゴーの作品は一点あった。他の作品の多くは英国人画家だったので、ちょっと異端であった。やはり風刺画は絵画のジャンルではなかったのかも知れない。

Friday, 3 June 2022

湿潤穏和な風景

ひょんな切っ掛けで、今府中美術館で開催の「やさしき明治」展を見に行った。日本人のコレクターが永年に渡り、世界に散っていた明治時代の絵画を里帰りさせた展示だった。 

 一点一点がとても丁寧に描かれていて、色彩も美しかった。何よりその風景が古き良き時代の日本で、素朴で平和な雰囲気が伝わってきた。描かれている人々も長閑で純粋だった。

描いたのは、明治に来日した外国人画家と彼らに影響を受けた日本人であった。外国人の多くは英国人であった。こんなに多くの、しかも無名の人が明治に滞在していたのは驚きだった。しかもその人達の質はとても高かった。

 全体の印象として、解説にあった「湿潤穏和な日本の風景」という表現が的を得ていた。見て回ること約1時間、ビルのない景色に浸るととても心良いものがあった。