Saturday, 30 April 2022

第三の性

テレビを点けると、マツコ・デラックスというオカマがよく登場する。とても気持ち悪くて見る気はしないが、世の中年女性に人気があるという。昔気質からすると、「男か女なのか、どっちなんだ?」と言いたくなるが、どっちでもない処がいいらしい。

思えばオカマの芸能人は、昔はピーターや美輪明宏位だったが、今ではIKKOやはるな愛など随分数が増えている。これも社会の風潮なのだろうか?

暫く前だったが、代々木公園を車で通った時に、ゲイのデモに遭遇した事があった。色とりどりの衣装に身を包んだ一行だったが、それは凄い数だった。ゲイも集団になると脅威である。

先日も電車の車内で、スカートを履いて女装した男を見た。昔なら公安に引っ張って行かれる処だが、誰も気に掛ける様子もない。最近友人の会社で、「自分は女だから女子トイレを使わせろ」と言い出す男性社員がいた。結局会社は障害者用の大きなトイレの利用を提供する事で折り合ったらしいが、今では性別を語るのはタブーのようだ。

昔から歌舞伎の女形や、タカラジェンヌ演じる男装もある。考えて見れば同じ演出だが、勿論全く別物である。品もあるし非日常的で芸術の世界だからだろうか。 

LGBTは社会で市民権を得た。ただ正直、男でも女でもない第三の性は、アナログ時代に育った者にとってはちょっと抵抗感がある。また一つ、時代ギャップを感じる今日この頃である。

Wednesday, 27 April 2022

プーチンを支えるロシア語

まだまだ続くプーチンの狂気、今週はオデッサを爆撃して次はモルドバに攻め込むという。彼の頭の中がどうなっているのか?凡そ理解も出来る人はいない。

ただ精一杯想像力を働かせると、いくつかの点が見えて来る。例えば彼はよく「ネオナチとの闘い」という言葉を使う。今時ナチもあったものではないと思ってしまうが、それは嘗てのソ連が味わった苦い経験と関係している気がする。

第二次大戦が始まった時、ドイツはソ連の衛星国に侵攻した。例えばバルト三国では、今までソ連に忠実だったバルトの人が、ドイツ軍を解放者だと思ってドイツ側に付いた。以前ラトビアのリガの博物館に行った時、その様子を描いた絵画を見て分かった。人々はドイツ軍に入り、昨日までの君主に銃を向けたのであった。

ところが戦争が終わってドイツが敗れると、またソ連が戻って来た。当然ドイツ側に立って戦った人々は粛清され多くの命が失われた。プーチンがネオナチと呼んでいるのは、この西側シンパである。

もう一つは点在するロシア人の存在である。例えばエストニアの場合、今でも人口130万人の内40万人はロシア語を母国語にしている。ラトビアはもっと多く、180万人の内70万人近い人がロシア語で話している。彼らはソ連が崩壊した後、ソ連(ロシア)に帰るに帰れなかった人達である。

残された人たちはある日突然、ロシア語から現地語が義務付けられた。それによって就業の機会を無くし、多くの人が無国籍者としてパスポートを取り上げられた。思えばあれから33年、あの時生まれた人が社会の中核になっている。そんな梯子を外された親の時代を恨むのは当然であろう。ウクライナ東部の親ロシア派という人達も、多分こういった変遷を経てた人だと思う。

旧ソ連圏に残るロシア人の不満が、プーチンを支えている。

Monday, 18 April 2022

アスクレピオスの杖

岡山県で、全長2mのヘビが行方不明になったという。取るに足らない話だが、あんな気色悪い生き物をペットにする人の気が知れない。時々山道を歩いていると小さなヘビに出くわすが、思わずゾッとするのは私だけではないだろう。

そんな嫌われ者のヘビだが、実は善玉のようだ。世界保健機構(WHO)のロゴにこの蛇マークが入っているので、前から気になっていた。

由来はギリシャ神話に出て来るアスクレピオスという「治療の神」から来ているようだ。彼が持つ杖にはその蛇が絡んでいる。「毒をもって毒を制す」の意味もあるようで、実はヘビは人間の味方だったのである。 

インド人もヘビを神格化している。フレデリック・フォーサイスの短編「アイルランドにヘビはいない」は、ヘビを使った復讐劇である。

アイルランドに住むインド人学生は、ある時現場の主人に嫌がらせを受けた。その仕返しにインドからヘビを持ち帰り、主人のポケットに忍び込ませた。(アイルランドにはヘビは生息しないから)主人は、始めそれをトカゲと思って侮っている内に、噛まれた毒が廻り死んでしまう。インド人にとってヘビは神が遣わした「死の使い」だった。

Friday, 15 April 2022

踝ファッション

久しぶりに町に出ると、若い人の服装の変化が気になる。まず女性であるが、ハイヒールを履いている人は稀で、殆どがスニーカーで歩いている。歩き易いのかも知れないが、スカートと全くマッチしていない。そのスカートもアラブの装束のように、だらっとしていてだらしなく映る。 

シャツの裾が外に出ている着こなしも、殆ど理解出来ない。出始めた頃、それがファッションだと知らず、会社の人に注意して恥ずかしい思いをした。おまけに昨今のコロナ禍でマスクが常態化しているから、化粧すらしていない。こうなってはもう世も末である。

男も変ってきた。今時のスーツは身体にピッタリとしている。初めは「こいつ、サイズを間違えているんじゃない?」と思った。またズボンの丈が短く、踝が出ている輩も多い。とても見られたものではないし、第一汚らしい。

ハンドバックや手提げかばんも、リュックサックに代わってきた。スーツにリュックサックのいで立ちを見ると、戦後の買い出し姿を思い出してしまう。両手が空いて機能的なのは分かるが、それにしても大人がランドセルを背負っているようで極めてダサい。たまにバックを持った男もいるが、そのバックも買い物籠の紐を長くしたようで弱々しく見える。

デフレが長期化して元気が出ないせいなのか、将又男女均等の影響なのか分からないが、このうらぶれた風潮は嘆かわしい限りである。それにしても昔は華やかだった。男はもっと男っぽく、女ももっと女ぽかった。こんな文化だから、結婚する気が起きないのも尤もだと思う。

Saturday, 9 April 2022

オペラ座の怪人の続編

「世界!ニッポン行きたい人応援団」というTV番組がある。ネットで調べながら、独自に日本文化を学ぶ外国人の多さにいつも驚いている。盆栽、空手、ラーメン、アニメ、お好み焼き等々、初めて日本に来る外国人の感動も去る事ながら、逆に知られざる日本を教えてもらっている。 

見ていて微笑ましいのは、招待された外国人のその後である。先日も椎茸栽培で招待されたアメリカ人が再登場していた。事業の拡大に成功し師匠に報告していた。こうした姿を見るにつけ、正に呼んだ甲斐があったというものだ。またそんなその後の人生を知ると、そのアメリカ人がより身近になってきた。

フレデリック・フォーサイスの「マンハッタンの怪人(The Phantom of Manhattan)」は、「オペラ座の怪人」の後編である。オペラ座で姿を消した怪人はその後どうなったのか?彼の人生はまだまだ続いた。

物語は怪人がサーカス団の見世物として鎖に繋がれている処から始まる。その彼を善良な夫人が解放してアメリカに逃すのであった。アメリカに渡った怪人は無一文から大金持ちになって復讐を決意した。それはマンハッタンに世界一のオペラ座を作り、パリから嘗て心を寄せたオペラ歌手を呼ぶのであった。彼女は一人っ子を伴って渡米するのだが、実はその子が怪人の子供で、彼を取り戻すのに成功するのであった。 

その仕掛けといい、発想の大きさといい正に一級作品であった。面白かったのは、無一文だった怪人がどうやってカネを作ったかである。まず彼はNYのコニーアイランドで郵便局がない事を発見し、前納済のスタンプを押した絵葉書を客に売って元手を作った。更に余興のボクシング試合で、対戦相手の水を鎮痛剤が入ったボトルとすり替えて賭けに勝った。

そのミュージカル「オペラ座の怪人」だが、昔NYで観た事があった。ところが時差で睡魔が襲い、何度も居眠りして最後は絶えられず途中で退散してしまった苦い経験がある。これを機会に、こちらの方ももう一度観てみたくなった。

Wednesday, 6 April 2022

ヴィルニュスのKGB本部

ロシア軍がウクライナ市民を標的にした事実が明るみになって、連日その残虐な光景が報道されている。昨日はウクライナの大統領が国連で、これはジェノサイドと訴えた。それでもロシアはフェイクニュースだとして、事実を認めようとしない。

大規模な無差別爆撃も去る事ながら、市民の処刑に至っては言語道断である。思い出すのはKGBである。世界の国々ではホロコーストと並び、ソ連時代の恐怖政治を象徴するのがKGBである。今でもあちこちに痕跡が残っているから、その実態に触れる事が出来る。

今までタリン、リガ、プラハ、ブタペストなどのKGB館を訪れたのが、何と言ってもリトアニアの首都ヴィルニスの「占領と自由への戦い」と称する元本部は圧巻だった。 ビルの地下には牢獄があり、処刑を再現したビデオが流されていたのであった。

その方法であるが、捕虜はその日、名前の確認が終わると次の部屋に行けと言われる。部屋のドアの後ろには銃を持って待ち構えている兵士がいて、入った瞬間に頭を打ち抜かれる。倒れた遺体は地上に繋がる窓から出され、バケツを持った兵士が流血を跡形もなく洗い流す。それは極めて機械的な作業であった。見ていると悲鳴が聞こえそうで、逃げるように退散した記憶がある。

今回も軍の陰に、そうした秘密警察が関わっているだろうか?だったらソ連時代とちっとも変っていない。そんな気になってきた。

Saturday, 2 April 2022

オークニー島のスパイ

古い本だが、ライト・キャンベルの「座って待っていたスパイ(The Spy Who Sat and Waited)」は大変面白い小説であった。

第一次大戦が終わった頃、ドイツである男が「スパイにならないか?」と声を掛けられる。男は承諾すると訓練を経てスイスに送られる。そこでスイス人になり、スコットランドのオークニー島に行くように指示が出る。オークニー島にはイギリス艦隊の軍港があったからだ。それから20年、男はそこで結婚して酒場を持ち、すっかり土地の人になり切る。ところが第二次大戦が勃発すると本国から指令が出て、スパイに戻るのであった。 

その生き様は、フィリッピンの島で戦後29年も隠れていた小野田さんに似ていた。ただ国に尽くすという点では同じだが、運命を受け入れ時代に逆らわずに生きる生真面目さは、如何にもドイツ人らしかった。

舞台になったオークニー島を10年ほど前に旅した。フェリーで揺られること3時間、3000年程前の石器時代の遺跡や、最北のウィスキー醸造所のハイランドパークなど、旅情たっぷりの島だった。

小説では主人公が港町ストロムネス(Stromness)でセーリング・マスターという名のパブを経営していた。名前こそ違ったが、全く同じようなパブの2階に泊まったので物語に入り込んだ気分になった。 

開戦時にここで、Uボートが戦艦ロイヤルオークを撃沈した話も出て来た。ウィスキーで有名なScapa Flowで主人公が誘導してスパイの仕事をするのだが、知っていれば旅のメニューが増えていた。