4年前のポーランドの旅でこの町を訪れたが、世界遺産の旧市街はとても美しかった。国境の町の宿命で、ある時はウクライナ領、ある時はロシア領、ある時はオーストリア領と主が変ったため、その混在した文化が街並みに反映していた。そのルブリンに行ったのは、郊外にあるマンダネク収容所が目的だった。
駐車場に車を止め入場料を払って入ると、大きな慰霊碑の先に広大な光景が広がった。広さは270haというから皇居とほぼ同じ大きさであった。鉄条網やバラックの住居、監視所、焼却所などが現存しており、約2時間急ぎ足で見て回ったが、とても全部は見れなかった。
マンダネク収容所は、ナチがユダヤ人処理に作った施設である。犠牲者は約8万人とされる。数が左程多くないのは、当初は最終処理場まで移される待機所だったからである。やはりその時の旅で、その最終処理場の一つトレブリンカ収容所も訪れた。流石建物は取り壊れて跡形もなかったが、森の中を歩くとまだ霊が漂っているようで怖かった。このマンダネクはそれ程ではないものの、ドイツ人の緻密な処理計画に改めて驚かされた。
駐車場に車を止め入場料を払って入ると、大きな慰霊碑の先に広大な光景が広がった。広さは270haというから皇居とほぼ同じ大きさであった。鉄条網やバラックの住居、監視所、焼却所などが現存しており、約2時間急ぎ足で見て回ったが、とても全部は見れなかった。
そんな嘗ての悪夢の地が、今やウクライナの人々にとっては希望に地になっているのである。
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