Thursday, 31 March 2022

独裁者の69歳死亡説

面白い記事があった。それは独裁者の69歳死亡説である。

リビアのカダフィ大佐、イラクのサダム・フセイン、金正恩の父の金正日など、歴代の独裁者は69歳で亡くなっていた。調べてみたら、カンボジアで100万人もの殺害を行ったポル・ポトも69歳だった。 

勿論これはプーチンが現在69歳である事に謎っている。彼の誕生日は1952年10月7日だから、あと半年の間に何かあるかも知れない。彼はアルツハイマーやアスペルガーを患っている噂がある。病気が悪化するか将又スターリンのように側近の手に掛るのか、暫くは成り行きを見守りたい。

記事では習近平についても触れていた。彼は現在68歳、今年の6月15日で69歳になる。ソ連邦が30年で崩壊した事を思うと、中国は建国73年目で健在である。ただそろそろ制度疲労も気になるから、何かあるかも知れないと思うのは自然である。

尤も、ヒットラーは66歳、ムッソリーニは62歳、チャウシスクは71歳、スターリンは74歳、毛沢東に至っては83歳だったから単なる偶然かも知れない。そんな事まで期待するのは、世界が一人の男の狂気に振り回されている以外の何物でもない。

Sunday, 27 March 2022

質の高い湯沢スキー

スキーシーズンが終わろうとしている。今年も何回か越後湯沢に滑りに行ったが、行く度にトータルな質の高さを感じる。

まず近いのがいい。いつも行くのは越後湯沢の石打丸山スキー場である。家を出てから新幹線に乗る事1時間、3時間で頂上に着ける。スキーの板は持っているがいつも手ぶらで行く。馴染みのレンタル屋で借りると、スキー場まで送り迎えしてくれるからだ。近場ばかりでなく、三俣かぐらまでも行ってくれるから凄いサービスである。

石打丸山の高低差は約650m、頂上から麓まで4㎞もの距離がある。数年前から6人乗りの高速リフトも入り、回転は早いので待つこともない。これを休みなしで7〜8本滑る。何よりコロナ禍でゲレンデはガラガラだから、平日なら殆ど貸し切り状態で人とぶつかる心配もない。 最近はだいたい半日で切り上げ下山する。

定宿はニューオータニである。昔は馴染みの民宿があったが、昨今のスキー離れで料金も下がって来たので此方にしている。大きな温泉に浸かると、滑り切った充実感が湧いてくる。

ひと風呂浴びた後は、お楽しみの夕食である。どこの居酒屋に行っても、酒は旨いし肴も豊かだ。特に日本海から直送の魚が新鮮でいい。最近は魚沼サーモンと称する虹マスに凝っている。酒は景虎、吉の川、麒麟山、〆張鶴・・・地元だけあってその銘柄も豊富である。高千代酒造の「うまい助」は、湯沢でしか飲めないのでつい手が出てしまう。ただ料理との相性で定番を「鶴齢」にしている。

最近はオーストラリア人や中国人のスキーヤー、食事目当てのタイ人もいないから、レストランで締め出されることもない。天気予報を見て「X曜日は晴れるから行こうか?」と気軽に行く。これ程の贅沢はないと思っている。ただこの2年でスキー場が30か所も閉鎖になったと、ニュースで聞いて心配になっている。

Saturday, 19 March 2022

ルブリンの町

避難するウクライナ人は西のポーランドを目指す。既にポーランドに入った人は100万人を超えたという。先日ニュースを見ていたら、多くの避難民が押し寄せているルブリン(Lublin)という町を紹介していた。

ルブリンはウクライナ国境から100km程の町である。人口30万人の町はごった返していた。

4年前のポーランドの旅でこの町を訪れたが、世界遺産の旧市街はとても美しかった。国境の町の宿命で、ある時はウクライナ領、ある時はロシア領、ある時はオーストリア領と主が変ったため、その混在した文化が街並みに反映していた。そのルブリンに行ったのは、郊外にあるマンダネク収容所が目的だった。 

マンダネク収容所は、ナチがユダヤ人処理に作った施設である。犠牲者は約8万人とされる。数が左程多くないのは、当初は最終処理場まで移される待機所だったからである。やはりその時の旅で、その最終処理場の一つトレブリンカ収容所も訪れた。流石建物は取り壊れて跡形もなかったが、森の中を歩くとまだ霊が漂っているようで怖かった。このマンダネクはそれ程ではないものの、ドイツ人の緻密な処理計画に改めて驚かされた。

駐車場に車を止め入場料を払って入ると、大きな慰霊碑の先に広大な光景が広がった。広さは270haというから皇居とほぼ同じ大きさであった。鉄条網やバラックの住居、監視所、焼却所などが現存しており、約2時間急ぎ足で見て回ったが、とても全部は見れなかった。

そんな嘗ての悪夢の地が、今やウクライナの人々にとっては希望に地になっているのである。

Wednesday, 16 March 2022

歌はチカラ

ウクライナ支援が世界で起きている。その一つが音楽である。NYのメトロポリタン歌劇場で行われた支援のコンサートをYoutube で見た。特に国歌の合唱には心が揺さぶられた。遥か地球の裏側からのメッセージは大きな力になったに違いない。流石アメリカは移民の国、1百万人のウクライナ系市民がいるという。 

キエフの路上でオーケストラの楽員が、戦火の合間を縫って奏でた光景も印象的だった。爆撃と恐怖で心が折れそうになっている時に、生の音楽に勇気付けられる人々の気持ちが伝わってきた。

こうして音楽の力に触れるにつけ、今まで少し鈍感だったと反省している。その典型的なのがエストニアの歌謡祭である。ソ連時代から今に続く国民的行事として、民族のアイデンティティを確認する祭典である。 

何年か前に聴きに行ったが、それは夏の炎天下に野外のドームで行われた。行くと民族衣装に身を包んだ子供から年寄りまで、大勢の参加者が集まっていて、その色彩に魅了された。特に若い女性のブロンズと赤い衣装のコントラストが美しく、写真に収めるのが忙しかった。

ところが肝心の音楽はというと、聞き慣れぬフォークソングが延々と続き、正直途中で飽きてしまった。夏の日差しも強かったので、上半身裸で日光浴を兼ねて聞いていると、後ろのおばさんから「服を着なさい」と注意されてしまった。思っていた以上に神聖な場所だとその時思った。

エストニアの人口は130万人だが、ロシア人が50万人いるので、生粋のエストニア人は80万人しかいない。今回のウクライナどころか、ロシアが国境を越えて来られたらイチコロの民族である。

メトロポリタンの支配人が「オペラは音楽の兵士であり武器になる」と語っていた。こうして戦闘と廃墟の中で初めて音楽の力を実感した次第だが、エストニアの時は何も分かっていなかったのだ。

Tuesday, 15 March 2022

シベリアのウクライナ人

ウクライナで人道回廊(Humanitarian corridor)と称する避難が続いている。人道の名の下の強制退去である。西のポーランドに逃げる人はいいが、ロシア方面に向かっている人もいたようだ。暖かい受け入れ先があるといいが、彼らの最終避難地は又シベリアかと危惧した。

思い出すのはソ連時代の強制退去である。バルト三国や東欧では、ソ連軍がやって来ると、ある時突然にドアをノックされた。兵士から「1時間以内に支度して出るように!」と告げられ、住居はロシア人に取られた。人々はバック一つを持って列車に乗せられた。行く先の多くはシベリアであった。

タリンに住んでいた頃、ある晩眠れなくて近くに飲みに出かけた事があった。パブに入ると多くの人が集まっていた。聞いてみるとその日は独立記念日だった。静かに語り合う姿を見ていると、今の平和を噛み締めているのが伝わってきた。 

昔読んだ「脱出記(The Long Walk)」という本がある。シベリアからインドまで、6500kmを徒歩で逃避行した男たちの実話である。何度から読み直したが、その都度勇気を貰う一冊であった。その本の中にバイカル湖近くで一人の少女に出逢うシーンがあった。少女はウクライナ人で、農場を経営していた両親が殺されてシベリアのキャンプに連れて来られた。施設を抜け出した所で一行に出逢うが、体力も尽きて途中で死んでしまった。

何の小説だか忘れたが、やはりシベリアの山奥でエストニア人親子に出逢うシーンも印象的だった。そんな物語がまた始まろうとしているのだろうか。ロシアの無謀な行為に怒りを感じる。

Wednesday, 9 March 2022

ロシア人とダーチャ

暫く前にプーチンの政敵が、プーチンの豪華な別荘を公開した。別荘と言うより宮殿に相応しいその館は、黒海のゲレンジークという町にあった。勿論プーチンはそれを否定したが、近くのソチ(冬季オリンピックで有名)には、あのスターリンの別荘もあったので、強ち嘘ではない気がする。ゴルバジェフがクーデターで捕らえらえたのも、クリミア半島の別荘だったり、ロシア人と別荘は切っても切れない関係にある。

別荘と聞くとブルジョア的なイメージを思い浮かべるが、ロシア語でダーチャ(Dacha)と称するサマーハウスであり、実態は意外と質素である。冬が長く短い夏に思いっきり太陽を浴びたいという人間の欲求を満たす場だから、特権階級のみならず一般市民にも浸透している。 

例えばエストニア北部のロシア国境にナルバ(Narva)という町がある。丘から見下ろすと、ロシアから出稼ぎに来る車が検問所で列を作っているのが見える。その町の郊外に物凄い数のダーチャが建ち並ぶ森がある。森の先にはバルト海の広大なビーチが広がり、人々はここで夏になると只管陽を浴びるのであった。

ただロシア人が引き揚げてからは、殆どが空き家になっている。訪れた時もその不気味な静けさに怖くなった記憶がある。何より日本と違うのは、レストランや商店が全くない事である。ダーチャはかつては農民の自給自足の耕作地だったように、食糧不足を補う場所でもあったからだ。 

人間だからロシア人とて暖かい場所を求めるのは自然である。ただ次第にその限らた場所も西側に行ってしまうと、生存本能が脅かされる気分になるのも分からないではない。一年中寒い土地に暮らすには我慢が要るが、それが過ぎると被害者意識に変る。冬のこの季節、キエフではマイナス3℃だがモスクワは10℃を超えている。侵略は決して許されるものではないものの、そんな人々の心理を思い出したのである。

Sunday, 6 March 2022

ロシア人のBluff

プーチンの狂気がエスカレートしている。市民や原発までターゲットになった。チェルノブイイであれだけ凝りているのに、一体何を考えているのだろうか。もう正常な精神状態ではないのかも知れない。 

Wikiでは彼にアスペルガー(自閉症)の症状があるという。アスペルガーは、孤立すると対人不安から極端な統制を強いるらしい。正に今回もインナーサークルに囲まれた別世界で指揮しているだけに、恐ろしい事この上ない。

それにしてもロシアの人々は何を考えているのだろう?ロシアに行った事がないので正直よく分からないが、彼らのセンスが注目されている。昔ベストセラーになった「ロシア人」の著者ヘンドリック・スミスは「欺瞞的」と評していたが、何となく野蛮で荒々しいイメージも付き纏う。 

随分前だが、空港で搭乗の順番待ちをしていた時だった。徐々に前に詰めながら進んでいると、後ろにいた女性が置いてあった私のバックを足で突っついて動かした。振り返ると大柄のロシア人女性の三人組だった。悪びれる様子もなく、彼らは話に夢中になっていた。失礼極まりない行為に腹が立ったが、何故か何も言えなかった。 

もう一つはテニスである。倶楽部でロシア人弁護士とテニスの試合をした事ある。彼は突然「車を賭けよう!」と言いだした。私の車は30万キロも走っていた三菱ギャランのボロ車だったが、瞬間取られると困ると思った。ただ唐突の挑戦状につい「OK!」を出してしまった。 

いざ試合が始まると、結果は6/3で私が勝った。ところが終わると彼は何事もなかったように去って行った。その時も私は何故か何も言えなかった。後になって彼はBMWの新車に乗っていた事を思い出し、掛け合っても良かったと後悔した。半分冗談だったのかも知れないが、そんなBluff(ハッタリ)を普通の人は使わない。