キャンプファイアを囲んで話すうちに、彼は「こうして自由に旅しているのは、私が恐妻家だからです」と言う。その時は恐妻家が何たるか知る由もなかったが、英語でhenpecked husbandと呼ぶのを覚えた。直訳すれば雌鶏に突かれる夫、つまり尻に惹かれる夫であった。
そんな恐妻家が長年の鬱積から解放され、開き直る瞬間は実に爽快である。自由を取り戻した男の姿は、第三者から見ていても共感を呼ぶ。フレデリック・フォーサイスの短編「帝王(The Emperor)」は、そんなテーマを扱った作品であった。
物語は長年、妻の愚痴と脅しに悩まされ続ける銀行の支店長の話であった。彼はある時、悪妻を伴って休暇でモーリシャスに出かけた。そこで友人に誘われフィッシングに行くのであったが、何と長時間の死闘の末に、帝王と呼ばれる地元でも有名なカジキを釣り上げたのであった。しかもその大魚を逃がしやるという懐の深さもあった。その快挙と慈悲に人々は拍手を送り、彼は勇気と自信を取り戻したのであった。陸に上がった時には彼は別人になっていて、「何その恰好?」と詰る妻に三行半を突き付けたのであった。
そう言えば、昔はよくカラオケで歌った持ち歌の一つがオフコースだった。中でも良く歌ったのが「眠れぬ夜」である。たとえ君が目の前でひざまづいて全てを、忘れて欲しいと涙流しても、僕は君の処には二度とは帰らない。あれが愛の日々ならもういらない・・・の歌詞が好きだった。
No comments:
Post a Comment