彼がファーストフードを営む家に生まれたのは1987年であった。ユーゴの内戦が始まったのが1991年だから、ちょうどテニスを始めた頃と戦争が重なった。爆音を聞きながら練習したのは有名な話である。
数年前にバルカン半島を旅すると、そのセルビアという国の特殊な雰囲気が伝わってきた。例えばコソボ紛争である。コソボ独立に反対してイスラム系のアルバニア人を排斥したため西側を敵に回した。その結果首都のベオグラードはNATOの空爆を受けた。今でも半壊した放送局が残り、町の広場には犠牲者の顔写真が掲げられていた。
セルビア人が民族浄化(ジェノサイド)を行ったスレブレ二ツァも凄かった。ユーゴ紛争では多くの犠牲者が出たが、一度に8000人を超える処刑は破格だった。殺害されたのはイスラム系のボツニア人、場所はボツニア・ヘルツゴビナでセルビア国境の近くだった。最近出来た墓地はアーリントンのように一面墓標が並んでいて、多くの人がお参りに来ていた。
またそのボツニア・ヘルツゴビナの首都サラエボも、その悲惨さが伝わってきた。サラエボは山に囲まれた盆地である。その山頂に陣取ったセルビア軍の戦車から、雨のように砲弾が降り注いだという。冬季オリンピックが終わった頃だった。
こう考えるとセルビア人は残忍で無慈悲に見えてくる。ただコソボ紛争の発端はアルバニア人がセルビア人を追いだのが始まりだったり、スレブレ二ツァでも事件の3年前にセルビア人が1200名も殺されたり、セルビア側からすると報復だったのかも知れない。いずれにしても民族と宗教が入り混じるバルカンである。素人には中々理解が難しいが、今回のジョコビッチの一件でそんな風土を思い出した。
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