Monday, 17 January 2022

ジョコとセルビア人

全豪オープンを前に二転三転した挙句、ジョコビッチ選手のビザが取り消された。オーストラリアから出て行く姿はまるで罪人のようだった。ナダルが「ワクチンさえ打てばいいのに」と嘆いていたが、大会への敬意を欠く姿勢に多くの人は不快感をもった。本人的にはあとグランドスラムで1勝すればフェデラーとナダルを抜いて優勝回数で歴代トップになれた。取り分け全豪は過去20回のうち9回の優勝をしているだけにチャンスは大きかった。その夢が絶たれただけでなく、今後3年は入国出来ないと何とも馬鹿げた結果になった。

元々彼はフェデラーがヒーローだとすると悪役だった。追い込まれると不気味な笑みを称え、勝利すると宗教的なポーズを取るし、ウィンブルドンの草を食べたり・・・、それはセルビア人という国民性も関係しているような気がする。

彼がファーストフードを営む家に生まれたのは1987年であった。ユーゴの内戦が始まったのが1991年だから、ちょうどテニスを始めた頃と戦争が重なった。爆音を聞きながら練習したのは有名な話である。 

数年前にバルカン半島を旅すると、そのセルビアという国の特殊な雰囲気が伝わってきた。例えばコソボ紛争である。コソボ独立に反対してイスラム系のアルバニア人を排斥したため西側を敵に回した。その結果首都のベオグラードはNATOの空爆を受けた。今でも半壊した放送局が残り、町の広場には犠牲者の顔写真が掲げられていた。

セルビア人が民族浄化(ジェノサイド)を行ったスレブレ二ツァも凄かった。ユーゴ紛争では多くの犠牲者が出たが、一度に8000人を超える処刑は破格だった。殺害されたのはイスラム系のボツニア人、場所はボツニア・ヘルツゴビナでセルビア国境の近くだった。最近出来た墓地はアーリントンのように一面墓標が並んでいて、多くの人がお参りに来ていた。

またそのボツニア・ヘルツゴビナの首都サラエボも、その悲惨さが伝わってきた。サラエボは山に囲まれた盆地である。その山頂に陣取ったセルビア軍の戦車から、雨のように砲弾が降り注いだという。冬季オリンピックが終わった頃だった。 

こう考えるとセルビア人は残忍で無慈悲に見えてくる。ただコソボ紛争の発端はアルバニア人がセルビア人を追いだのが始まりだったり、スレブレ二ツァでも事件の3年前にセルビア人が1200名も殺されたり、セルビア側からすると報復だったのかも知れない。いずれにしても民族と宗教が入り混じるバルカンである。素人には中々理解が難しいが、今回のジョコビッチの一件でそんな風土を思い出した。

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