Thursday, 27 January 2022

コンドラチェフ波

先日給湯器が壊れてしまった。新しいのに代えようと思ったら、輸入が止まって暫く入って来ないと言われた。コロナ禍でサプライチェーンが滞っているようだが、典型的なのは車である。半導体が関係する修理には数カ月も待たされるし、新車も半年から1年、ランドクルーザーに至っては4年待ちと云う。マンション価格もバブル時の価格を超えてきたし、一体どうなっているのだろう? 

 アメリカでもCPIが前年同月比で6.2%と過去最高になった。インフレが本格化し、連日のニュースでは食料品や生活物資の急騰を報じている。FRBも金融引き締めに転換するようで株価は暴落している。日本も遂に30年も続いたデフレが終わり、インフレ時代に入るのだろうか?生活に直結するだけに、これからの動きが気になる。

その景気の波だが、昔習った景気循環論がある。景気の周期で一番短いのはキチン波で40か月、中期のジュグラー波は10年、クズネッツ波が20年、長期のコンドラチェフ波は50年だった。難しい理屈はさておき、人の営みに例えると何となく分かる気がする。例えばキチン波、石の上にも三年と言うが就職して最初に退職者が出る流動期、10年は結婚して家庭を持つ安定期で家も買う頃、20年はその家の老朽化が始まる頃、50年は正に世代の交代期である。 

ただその説が生まれてから100年近くも経つ。今のカネ余りと富の偏りや暗号通貨の時代に通用するのか甚だ疑問である。ただ長期のコンドラチェフ波だけは、未だに説得力があるような気がする。第1波の紡績・蒸気機関、第2波の鉄鋼・鉄道から始まり、最近の第4波はエレクトロニクス・航空・原子力、第5波がコンピューター・バイオからAI、ライフサイエンスと幅広い。

そのコンドラチェフは旧ソ連の経済学者であった。ところが彼の「資本主義は景気循環を通して再生する」が国家反逆罪になり、スターリンによって銃殺に処せられたのである。享年46歳だった。ソ連邦の誕生を契機に国を出たウクライナ統計局長のクズネッツもいたが、彼は悲劇の人だった。その卓見と勇気に改めて敬意を持つのであった。 

Monday, 24 January 2022

綺羅星のウクライナ移民

年を超えても緊張が続くウクライナ、果たしてロシアの侵攻はあるのだろうか?思い出すのは2014年のクリミア侵攻である。傀儡政権を作ってあっと言う間に実効支配してしまった。また同じやり方を使うのだろうか?ただクリミアの時はロシア系の人が半分以上もいた。今回は多いとされるドネツク州でも38%に過ぎない。強行すれば荒れる気がする。

加えて西側の支援である。どうやらその背景には嘗てのウクライナ移民がいるようだ。19世紀後半から国を出て行ったウクライナ人は多く、アメリカに150万人、カナダには100万人もいた。多くはユダヤ人で、最近その人達の名前を聞いて驚いたのであった。 

例えば音楽家だと、ピアノのウラジミール・ホロビッツ、スヴャトスラフ・リヒテル、古くはミッシャ・エルマン、ヴァイオリンのダビット・オイストラフやアイザックスターン、ミルシュテインもいた。作曲家のプロコフィエフや指揮者のバーンスタイン、舞踏家のニジンスキーもそうだった。

また俳優のカークダグラスもその末裔だし、景気循環論で有名なクズネッツや、日本が太平洋戦争の時に散々やられた飛行機シコルスキーもその一人だった。その他、抗生物質ストレプトマイシンのウクスマンやソ連のフォン・ブラウンと呼ばれたロケット技術者セルゲイ・コロリョフなど。政治家ではスターリンの政敵トロツキーや、逆に側近だったカカノヴィッチ、ゴルバチェフもウクライナコサックの末裔という。

そんな綺羅星の如き人材を生んだ土地柄だが、なぜか体制は脆弱である。やはり長年のロシアによる懐柔政策が功を奏しているのだろう。そもそも1991年の独立も、その棚ぼた的な独立をして外交官の黒川祐次氏が、目出度さも中ぐらいと評していたように、自ら勝ち取ったものではなかった。

Saturday, 22 January 2022

スパニッシュ・ハーレム

随分前だが、アフリカの過激派ボコ・ハラムが女子学生を誘拐した事件があった。黒いベールを被った少女が捕らわれ座らされる姿が目に残っている。あるナイジェリア通の人が「ナイジェリアは石油が豊かで英語が通じる」とその将来性を称えていたが、そんな事件を知るとまだまだなあ!という気になってきた。

ナイジェリアは行った事も無ければ、知っているのは悲しいかなボブ・オロゴン位である。その彼も、Youは何しに日本へ?のナレーションで中々いい味を出していたかと思ったら、妻への暴行で逮捕されてしまった。やはり狂暴な国民性なのだろうか?とその時は思ったりした。

いま固め読みしているフレデリック・フォーサイスだが、「戦争の犬たち(The Dogs of War)」はそのナイジェリアの内戦、ビアフラの独立支援を題材にしていた。物語は独裁が続くアフリカの国に豊富なプラチナが眠っている事が分かり、大統領を殺害として傀儡政権を目論む話である。タイトルとは裏腹に、受け皿になる会社の買収や武器調達などの準備に多くを割いて面白かった。改めて西洋人の金儲けはこうしてやるのかと、その大胆さと周到さに驚かされるのであった。

子供の頃に聞いたビアフラは飢饉の代名詞だった。結局独立は失敗し今のナイジェリアに組み込まれた。敗れたのはキリスト教徒のイボ人、勝ったのはイスラム系のハウサ人、ここでもバルカンのような宗教対立が根にあったようだ。 

本の最後に主人公が、スパニッシュ・ハーレム(Spanish Harlem)の曲を口ずさみながら森に消えるシーンがある。早速Youtubeで聴いてみたが、中々ニヒルなメロディーだった。「石炭のように黒い瞳」の一節も、アフリカに命を賭けた傭兵と重なった。傭兵を一度やると二度と表の社会には戻れないと主人公も言っていたが、そんな運命が伝わってくるのであった。

Monday, 17 January 2022

ジョコとセルビア人

全豪オープンを前に二転三転した挙句、ジョコビッチ選手のビザが取り消された。オーストラリアから出て行く姿はまるで罪人のようだった。ナダルが「ワクチンさえ打てばいいのに」と嘆いていたが、大会への敬意を欠く姿勢に多くの人は不快感をもった。本人的にはあとグランドスラムで1勝すればフェデラーとナダルを抜いて優勝回数で歴代トップになれた。取り分け全豪は過去20回のうち9回の優勝をしているだけにチャンスは大きかった。その夢が絶たれただけでなく、今後3年は入国出来ないと何とも馬鹿げた結果になった。

元々彼はフェデラーがヒーローだとすると悪役だった。追い込まれると不気味な笑みを称え、勝利すると宗教的なポーズを取るし、ウィンブルドンの草を食べたり・・・、それはセルビア人という国民性も関係しているような気がする。

彼がファーストフードを営む家に生まれたのは1987年であった。ユーゴの内戦が始まったのが1991年だから、ちょうどテニスを始めた頃と戦争が重なった。爆音を聞きながら練習したのは有名な話である。 

数年前にバルカン半島を旅すると、そのセルビアという国の特殊な雰囲気が伝わってきた。例えばコソボ紛争である。コソボ独立に反対してイスラム系のアルバニア人を排斥したため西側を敵に回した。その結果首都のベオグラードはNATOの空爆を受けた。今でも半壊した放送局が残り、町の広場には犠牲者の顔写真が掲げられていた。

セルビア人が民族浄化(ジェノサイド)を行ったスレブレ二ツァも凄かった。ユーゴ紛争では多くの犠牲者が出たが、一度に8000人を超える処刑は破格だった。殺害されたのはイスラム系のボツニア人、場所はボツニア・ヘルツゴビナでセルビア国境の近くだった。最近出来た墓地はアーリントンのように一面墓標が並んでいて、多くの人がお参りに来ていた。

またそのボツニア・ヘルツゴビナの首都サラエボも、その悲惨さが伝わってきた。サラエボは山に囲まれた盆地である。その山頂に陣取ったセルビア軍の戦車から、雨のように砲弾が降り注いだという。冬季オリンピックが終わった頃だった。 

こう考えるとセルビア人は残忍で無慈悲に見えてくる。ただコソボ紛争の発端はアルバニア人がセルビア人を追いだのが始まりだったり、スレブレ二ツァでも事件の3年前にセルビア人が1200名も殺されたり、セルビア側からすると報復だったのかも知れない。いずれにしても民族と宗教が入り混じるバルカンである。素人には中々理解が難しいが、今回のジョコビッチの一件でそんな風土を思い出した。

Wednesday, 12 January 2022

嘗てのガリツィア

ロシアがウクライナ国境に軍を集結させている。果たして侵攻は始まるのだろうか?中国もこれを支持しているというので気味が悪い。もしもそれに併せて台湾侵攻があれば、世界規模の戦争になってしまう。まさかとは思うが、暫くはこの2つが大きな関心毎である。

プーチン大統領はNATOの包囲網が迫っていると言っていた。確かに鉄のカーテンがあった頃は東独、チェコやハンガリーが壁になっていたが、今や皆西側になってしまった。4年前にその一つ、ポーランドを一周した時それが良く分かった。首都のワルシャワから東に車を走らせると、もうそこはベラルーシやウクライナの国境だった。 

フレデリック・フォーサイスの「悪魔の選択(The Devil’s Alternative)」を読んでいると、ウクライナも嘗ては西洋の一員だった事が分かる。言語はローマ字だし宗教もロシア正教でなく東方カトリックだったり、何より今の西ウクライナは、嘗てはガリツィア(Galicia)と呼ばれたポーランドの一部だったからだ。
 
随分前にこのブログでも書いたが、バルザックが恋した女性はそのガルツィアに住むポーランド貴族だった。その時はよく理解できなかったが、こうして歴史を紐解くとウクライナに残ったポーランド人の一家だと分かる。

余談だがバルザックはその婦人との遠距離恋愛の末に結婚したが、パリとの片道2000キロに渡る馬車旅行で身体を壊してしまった。おまけに死の床に就いた時に、既に彼女には別の男がいた。その人の好さが、小説「ゴリオ爺さん」とそっくりな気がしている。 

ポーランドのウクライナ国境付近には絶滅収容所やV2のロケット実験場が点在し、旅した時はこの世の果てに見えた。ただその先には肥料をやらなくても穀物が育つ豊かな土地が続くかと思うと、又々旅の郷愁に誘われるのであった。

Monday, 10 January 2022

新年のホテル住い

年の瀬に友人夫妻から電話が架かってきて、「新年はホテルで過ごさないか?」という。聞くとインターコンチネンタルのお得なコースで、食事、飲み放題で1万円ちょっと安いらしい。都内に住みながらわざわざホテルで泊まる必要もないが、これも何かのご縁と思い乗る事にした。 

当日は電車を乗り継ぎ、昼過ぎに竹芝の東京ベイに着いた。友人夫妻は既に着いていて、アフタヌーンティーを楽しんでいた。「いやいや遅くなりまして」と挨拶方々、早速お菓子やサンドウィッチにありついた。ただそんな時間にお茶を飲む習慣がないので、何か落ち着かない。

部屋でちょっと休むと夕食の時間がきた。今度はビュッフェスタイルだった。料理は軽食に毛が生えた程度で大した事は無かったが、ビール、ワイン、シャンパンが飲み放題だったのが有難かった。お蔭で結構飲んでしまい、翌日はアルコールが頭に残った。

部屋は広くて快適だった。何より暖かいのがいい。日頃隙間風の家で寒さに震えていることを思うと天国であった。眼下に東京湾とレインボーブリッジが見え、夕陽が沈むシルエットは美しかった。 

こうして過ごした年初の高級ホテルだった。当初は夜こっそりホテルを抜け出して浜松町に蕎麦でも食べに行く羽目にならないかと危惧していたが、そこまで酷くはなかったもののやはり何かしっくりこない。ただ帰り際に友人の奥さんが「私こうして食事を作らなくていいのが嬉しくて!」を聞いて、変に納得したのであった。

Thursday, 6 January 2022

オデッサファイル

10年程前にラトビアを旅した。最初は冬、2回目は夏だった。どちらも安いホテルに泊まったのが災いし、真冬にシャワーのお湯が出なかったり、夏は夏で元兵舎みたいな宿に泊まると、シーツなしの汗臭いマットで一睡も出来なかった。

ラトビアはバルト三国の中でも治安が良くないとは聞いていた。原因は本国に帰れずにいる無国籍のロシア人の多さである。人口180万人の内2割近くの35万人もいる。歩いていると普通にカネをせがまれるし、子供が演奏している大道芸人から小銭を盗んだり、酒の入った若者がレストランで騒いだり、中々他国では見られない光景が続いた。 
 
名所旧跡も殆どないので、車を走らせても目に入ってくるのは海岸線と森だけだった。観光的には全く詰まらない旅だったが、ある時首都のリガの郊外で古い貨物列車が置かれているのを見つけた。人影もなく寂しい場所だったが、立ち寄ると戦時中にユダヤ人を移送した貨車だと分かった。

実はこの正月、フレデリック・フォーサイスの「オデッサファイル」を読み直しているとその貨車が出て来た。戦時中にベルリンとウィーンから移送した58輌の貨車だった。乗っていたユダヤ人は延べ20万人、内8万人がリガで死亡し、残りの12万人がポーランドの最終処理場に送られたという。4年前にその収容所巡りもしたので点と点が繋がり、今更だがその遠大な計画に驚くのであった。

小説はリガの収容所長だった男を見つけ出す若者の物語である。ただ彼はユダヤ人ではなく生粋のドイツ人であった。動機は彼の父を殺したのがその収容所長だったからである。オデッサはSSと称するナチ幹部を匿い支援する組織である。昔はウクライナの港町の名前かと勘違いしていた。緻密で軽快な展開にどんどん引き込まれた。この冬の夜長はまたフォーサイスを漁ってみようかという気になって来た。