Thursday, 29 December 2022

下級武士の話

百田尚樹の「影法師」は、流石ベストセラー作家だけあって、読み出したら止まらなかった。物語は江戸末期に下級武士が出世する話である。剣の道や武士の想いなど、「永遠の0」のような伏線が巧みで唸らせた。特に面白かったのは、当時の武家社会の実態であった。

例えば藩校、本来は上級武士の為の学校であったようだ。そこに主人公の下級武士が特別に入学したので虐めに遭った。また主人公が娶ったのは使用人の娘、つまり下女であった。下女から直接武士の嫁にはなれないので、書類上一度他の武士に養女として出された。婚姻は上級武士は上級武士同志、中級・下級との縁組はなかったようだし、次男に生まれると婿に出なくてはならないし、それが叶わないと居候として暮らす運命だった。 

そんな事で思い出したのが福沢諭吉である。彼が生まれたのも、中津藩の下級藩士の家だったからだ。よく「門閥制度は親の仇でござる」と口にしていたのは有名な話だが、時代が時代でなかったら、彼もその中で終わっていた。

今年は「学問のすゝめ」の刊行から150周年という。有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」の件は勇気を与えてくれる。今に通じる名言も多く、例えば「顔色容貌を快くして、一見直ちに人に厭わるる事無きを要す」は、人は第一印象が大事だから容姿には気を付けろ!だし、「一身独立して一国独立する」も正にその通りである。

Tuesday, 27 December 2022

イランのヒジャブ事件

暫く前に、イランでヒジャブの被り方を巡って女性が死亡した事件があった。抗議デモは全土に広がり、2万人近くが逮捕されたという。彼女を捕まえたのが道徳警察という。何かジョージ・オーェルの小説「1984」に出て来る思想警察を思い出してしまうが、やはりイスラム社会の怖い一面を垣間見た感じがした。

そんなイラン社会を描いたのが、映画「アルゴ」である。イラン革命の最中、脱出の機会を逃した米国大使館員をCIAが救出する物語である。SF映画の撮影隊に扮した脱出劇は間一髪で成功するが、捕まれば何をされるか分からない恐怖感が伝わってきてハラハラした。

 またトルコを舞台にした映画「ミッドナイトエクスプレス」もあった。こちらは麻薬を所持したアメリカ人青年が捕らえられ、長年の刑務所生活を送る実話であった。人生の一番大事な時に、朝から晩までコーランの中で過ごす過酷さは凄かった。 

尤もマレーシアのように、死刑を求刑する国もあるからまだいい方かも知れない。

そのマレーシアのクアラルンプール空港で昔、カバンの中に入っていた日本の週刊誌が、検閲で引っかかった事があった。検閲官がパラパラとページを捲ると、女性の水着姿の写真が出て来たのだ。悪気はなかったが、一瞬「これはまずい事になるかも知れない」と構えた。幸い没収され事なきを得たが、甘く考えると危ない。

Saturday, 17 December 2022

宇宙の旅

先日、民間の月面探査機が打ち上げらえた。宇宙は普段全く疎遠な世界だが、こうした話や前澤友作氏の宇宙ステーション滞在などの話を聞くと、少し身近になってくる。

そんな矢先、JAXAの人と雑談していると面白い事を言っていた。それは人間が住める惑星の探索であった。月や火星はどうやら住めそうもないが、もしその先に発見出来たらどうするか、問題は距離である。場合によっては光年も先かもしれない。とても人間の一生で辿り着ける時間ではない。 

 そこで出て来るのはロボットという。試験管に入った精子と卵子をロボットに任せて送るのであった。そう言えば2001年宇宙の旅でも、飛行士をカプセルに入れて冬眠させるシーンがあったり、HALという人工知能が船を支配していたから、強ちその世界では常識なのかも知れない。

因みに今なら月まで3〜4日、火星は8ヵ月で行ける。ただ木星になると2年半、土星なら5年掛かる。そんな時間があったら、この慣れ親しんだ地球で他の事をしたいと考えるのが凡人の常であるが・・・。

Wednesday, 30 November 2022

ジアンの陶器

海外に駐在すると、まず買い揃えるのが食器である。ロンドンに駐在した人なら、ミントンやウェッジウッド、ロイヤルドルトンだろう。ただその後殆ど使われないで棚の中に眠ってしまうのがオチである。 

昔ある外国文学界の功名な先生が亡くなった時、大量の食器を頂いた事がある。中には一度も使われていないイニシャル入りのヘレンドもあった。惜しげもなく使っている内に、いつの間にか消えてしまったが。有名な陶器は宮廷文化の名残である。所詮一般庶民とは無縁の文化だから仕方がないのかも知れない。

ただ旅の途中で出くわすと、土地の香りを嗅ぐようで旅に華を添えてくれる。

パリから130km程下ったロワール地方にあるジアン(Gien)は、多々ある古城と相まって華麗さがあった。面白かったのは二級品(2eme cru)と称する訳アリ品である。素人には何が欠陥なのか分からないが、安くてこれなら安心して使えた。

もう一つはマイセンである。ベルリンの壁が崩壊して間もなく、旧東ドイツを旅した時だった。ワイマールからドレスデンに向かう途中、その工場に立ち寄った。こちらは高価な芸術品といった印象で、ソ連時代の寒々しさも感じた。 

ところで陶器は英語でボーンチャイナ(Bone China)である。歴史的な背景から来るらしいが、一般名称に国名が使われているのが気になる。

Tuesday, 29 November 2022

粋な晩酌

先日、知人の陶芸家が個展を開いたので覗いて見た。学校の先生の傍ら、趣味で始めた陶芸が、いつの間にかプロ顔負けの腕前になった。その日もデパートの一角を借りて多くの作品を展示していた。

観に行ったからには手ぶらで帰る訳には行かない。ちょうど焼酎グラスに事欠いていたの、2つ求めて帰った。その晩は早速、その器で黒霧島のお湯割りを試してみた。やはり味がいつもと違う気がして、ちょっと魯山人の気分になった。

友人のW君が焼いた皿も見事なので、正月に取り出しておせちを乗せて楽しんでいる。W君は40代で会社を辞めて笠間の窯に弟子入りした本格派である。家族を残して単身修行する事3年、念願の陶芸家として独り立ちした。笠間もそれが縁で何度か行ったが、日本の奥深さを感じる町である。

普段は無縁の陶芸だが、こうしてたまに接するといいものだ。以前テレビの番組で、日本酒探訪家の太田和彦さんが、数あるぐい吞みの中からその日の晩酌に合った器を選んで楽しんでいた。そんな味わい方があるのか?と、流石太田さんだった。

この冬の夜長はそれを真似て、粋な晩酌に心掛けようと思っている。

Saturday, 26 November 2022

冬のウクライナ

ウクライナで大規模停電が続いている。ロシア軍のインフラを狙った攻撃で、発電施設が損害を受けた事による。これから2月にかけて冬が本格化するので、とても心配だ。

首都キーウの今の気温は-1度、12月から-5〜-8度になるという。昔住んでいたバルト海とちょうど同じ気温帯なので、ちょっとした親近感を持っている。

この寒さはシベリア程ではないが、ビール瓶を外に置けば凍って破裂してしまう。ただ家の中は暖かいし移動も車のため、人々の服装もダウンジャケットの下はTシャツといった軽装の人が多い。ところが暖房が止まってしまうと話は別である。その時も凍死したニュースをよく聞いた。 

 随分前になるが、冬の山荘で薪だけで過ごしてみた事がある。家の中でも吐く息は白いし、沢山着込んで薪を焚いても焚いても寒さは凌げなかった。最後は近くの温泉に入って体を温め直した記憶があるが、その薪の量は半端ではなかった。

例えば丸一日薪を燃やし続けた場合、その量はちょうど人の背丈ほどになる事が分かった。それを準備するのも、大木を倒し輪切りにして何年か寝かし、最後は斧で割ってと時間と労力が掛かる。スキーと同じで、滑り下りるのは一瞬だが、山頂に辿り着くまで物凄い時間とお金が掛かるのだ。

ウクライナの人もそんな蓄えもないだろうし、一体何で暖を取るのだろう?ユニクロのヒートテックや暖パン、練炭やこたつ冬山用品など、日本も緊急援助しなくては!

Thursday, 24 November 2022

悔しさがバネに

昨夜のW杯対ドイツ戦は興奮した。前半押され気味の日本だったが、後半2得点して逆転で勝利した。特に終了間際、浅野選手のゴールは見事だった。念願のベスト8もこれでグッと近づいた。 
 
処でその浅野選手だが、前回のロシア大会では最終メンバーに入れなかった。今回の終了後のインタビューでも、「その悔しさを4年間持って頑張って来た」みたいな事を言っていたのが印象的だった。

思い出すのは遠藤保仁選手である。彼は2006年のW杯(ドイツ)には行ったものの、唯一出場機会には恵まれなかった。その時は素人考えで、「折角なので、ちょっとでも出してやれよ!」と思った。しかし彼はその体験を基に、その後2010年(南ア)、2014年(ブラジル)、2018年(ロシア)のW杯のメンバーに選ばれた。何よりその長い選手生活で、A代表の出場記録152試合、これは歴代1位である。

もう一人、香川真司選手もいた。2010年の南ア大会で最終メンバーには残ったものの、やはり最後で外された。当時の若手エースとした確実視されていたので意外だった。しかしその後の活躍は周知の通りで、2014年と2018年のW杯のメンバーになった。

最後に何と言っても三浦知良選手がいる。55歳にして現役を続行している信じられないサッカー選手である。その彼の有名なエピソードは1998年のフランス大会前の合宿で、最終メンバーから外された事件だった。当時は日本の中心選手として活躍していただけに、大きな話題になった。結局その後もW杯とは無縁の選手生活を送っているが、あの時の悔しさがあったらこそ、今でも心を燃や続けているのではないかと思っている。

Monday, 21 November 2022

エリザベート・シュワルツコップ

マリア・カラスが来日した時は行けなかったが、もう一人のソプラノ界のプリマドンナには間に合った。それはドイツリート界の華、エリザベート・シュワルツコップ(Elisabeth Schwarzkopt)である。1972年の冬、彼女は既に57歳の晩年に入っていたが2回目の来日だった。当時学生だった私は、上野の文化会館で永年の憧れの人を目の前にした。

マリア・カラスが個性が強く独創的な歌い手なら、こちらはドイツロマン派の正統派である。その時も一つ一つ丁寧に歌い上げるのが印象的だった。

その日は大好きな「愛の喜び(Plaisir d‘Amour)」や「糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)」こそ出て来なかったが、ブラームスやシュトラウスの小曲を聴いた記憶がある。

彼女は典型的なアーリア人だから、嘸かし戦中も引き合いに出されたかと思いきや、Wikiで意外な原点を知った。それは校長だった彼女の父親がナチ党大会を拒否した事によって、大学進学の道が閉ざされ、結果的に音楽の道に進むことになった経緯である。

オーストリア西部のシューベルトも良く訪れたという村には、彼女の博物館もあると言うので、また旅の寄り道が増えた。ドイツとスイス国境に近いその一帯は、随分前に旅して民宿に泊まった事があったが、英語やドルが全く通じないド田舎であった。そんな処で晩年を過ごしたのも意外だった。

Sunday, 20 November 2022

マリア・カラスの生涯

子供の頃、小遣いを貯めてはクラシックレコードを集めた時期があった。あれは確か東中野の小さなレコード店だったか、ジャケットの美貌に魅せられ歌劇「カルメン」を思い切って買った。三枚綴りで中には写真集も入って、かなり高価だった記憶がある。それはマリア・カラスとニコライ・ゲッタが共演した1964年版の作品であった。

カラスの歌うカルメンは、ドスが効いた太い声域と豊かな抑揚がジプシー女を見事に演じていて、子供心にも虜にさせる魅力があった。特に歌詞のフランス語は完ぺきであった。後で分かった事だが、彼女の日常のフランス語はとても流暢で美しかった。 

そのマリア・カラスをドキュメンツ風にした映画「私はマリア・カラス(Maria by Callas)」が暫く前に上映された。観る機会を逃していたら、先日アマゾンプライムでやっていた。ギリシャ彫刻を思わせる美貌と、人の心に突き刺さる歌声は正に世紀の歌姫で、改めて彼女の魅力に惹かれたのであった。

ただ一方で私生活には恵まれず、長年親交のあったオナシスがJFKの未亡人ジャクリーヌと結婚したのはショックだった。それも本人に言わせれば新聞で知ったというから猶更であった。53歳の若さで亡くなったのも、そうした心労があったのかも知れない。

先日も石田純一氏の元妻、松原千明さんがハワイで亡くなった。こちらも途中から私生活には恵まれなかったようだった。華やかな表舞台とは裏腹に、やはり「女の幸せは男次第」に思いを馳せたのであった。

Saturday, 29 October 2022

習近平と父の失脚

中国共産党大会が閉幕し、習近平が三期目に入った。側近をイエスマンで固め、盤石の独裁体制という。敵を排除しても所詮人間の集まりだから、また時間が経てば新たな権力闘争が始まるかも知れない。

そんな彼は強さへの拘りが大きいという。それは父の失脚で16歳で下放した体験から来ると言う。

最近出た中公新書の熊倉潤氏の「新疆ウイグル自治区」を読んでいたら、父の習仲勲(シューチョンクン)の失脚の話が載っていた。当時ウイグル地区の第二書記だった彼は、遊牧民への過激な鎮圧に慎重で穏健化策を訴えた。そしてそれから10年程経つと文革が始まり、その時の発言が「資本主義の復活」として断罪された。失脚した時は国務院の副経理というからかなりのトップだった。 

中国共産党の怖いのは、タンアンという制度である。個人の思想言動を貯め込んだがファイルである。永遠に保管されるので、政局の風が変ると全く反対の意味になってしまう。この習仲勲の場合も、文革という大きなうねりが災いしたようだ。 

最近のウイグル自治区で起きている様々の暗いニュースも、まさか父親の名誉回復を意識している訳ではないだろうが、ついそれと結びつけたくもなってしまう。

Saturday, 22 October 2022

ストックフォルムシンドローム

フレデリック・フォーサイスの「The Kill List」は、テロ犯の暗殺計画を題材にしている。タリバンやアルカイダに対し、CIAやモサドの支援を得た特務員が立ち向かう話である。 

舞台はソマリアやパキスタンで、馴染みのないアラブの地名に今一距離感を感じてしまう。ただ米議員が暗殺されたのがヴァージニア州のPrincess Ann Golf Clubであった。3年前にこの辺りを旅した時、近くのヴァージニアビーチで銃乱射が起きて13名の犠牲者が出た。偶然かも知れないが、その事件と重ねて親近感が出て来た。

小説の中で「ストックフォルムシンドローム」が出て来た。聞き慣れない言葉だが、誘拐した犯人と人質が一緒に過ごす間にフレンドシップな関係になる現象である。ソマリアの海賊が船を乗っ取った時、その船の船長と長時間過ごす内に、一体感が生まれる場面で使われていた。 

そう言えば、SNSで知り会った男と家出の少女が一つ屋根の下で暮らす内に、不思議な関係になるのもそれかと思った。また改革を掲げて当選した議員が、中枢に入って権力を持つようになると、人が変るのも似ている。

 本の中ではテロリストをPreacherと呼んでいた。直訳すればコーランの伝道者という意味だが、アラーの神の布教を世界的なネットワークで拡散する凄さにも感心してしまう。

Monday, 17 October 2022

杉村太蔵の軌跡

TVによく出て来る杉村太蔵さんは、歯切れがよく軽妙な話しぶりがいい。持ち前の明さと旺盛な好奇心は、次は何を話すのかとつい耳を傾けてしまう。

そんな彼が世に出たのが2005年の衆院選挙だった。小泉旋風でまさかの当選を果たした。「国会議員の給料が2500万円!」「料亭に行きたい」など、数々の軽口は人々の共感を得たりした。ただそこに至るまでの軌跡も中々興味深い。
 
彼の出発点は高校時代にテニスで国体優勝だった。それが縁で筑波大の体育科に入学、祖父が弁護士だったので自分も司法試験を目指したが失敗、時は就職氷河期で仕事に恵まれずビルの清掃員になった。そこで同じビルに勤めるドイツ人に出逢い、晴れてドイツ証券に入社した。仕事で纏めたのが郵政民営化のレポートだったが、それを基にして自民党候補に応募すると採用されて・・・と。 その偶然の連続人生に、つくづく人はご縁ご縁で生きていると思うのであった。

最近では投資家として成功して、噂ではひと財産を築いたようだ。そんな事もあってどうやって蓄財したのか?彼の著書「稼ぎ方革命」を読んでみた。それは小宮一慶氏の教科書通りに企業分析する、意外と地味な手法だった。よく勉強した跡が伝わってきて、お金に苦労した中から編み出したのもよく分かった。

まだまだ若いから、これからの軌跡が楽しみだ。

Sunday, 9 October 2022

サハラ砂漠のロマン

随分前にクライブ・カッススラーに凝った時があった。主役のダーク・ピットは英知に富んでいて、次々と難破船を発見する活躍は爽快だった。その彼の代表作が「Sahara(死のサハラを脱出せよ)」であった。サハラ砂漠の地下水路を使って脱出する迫力満点の物語だった。映画化もされたがこちらは大失敗で、著者は作品を二度と映画にしなかった。

一方サハラ砂漠を舞台に高い評価を得たのが、ハンフリーボガードの「Sahara(サハラ戦車隊)」と「Rommel Calls Cairo(ロンメルの密使)」であった。特に後者はリビアからカイロに入る広大な砂漠走破劇で見所満載だった。サハラ砂漠はアメリカ合衆国並みの広さと言われるが、その大きさが伝わってきた。

そしてやはりサハラ砂漠の横断をテーマにしたのが、例のケンフォレットの新作「Never」であった。それも使われたのは乗り合いバスである。本の中でも一番ハラハラする箇所だが、チャドから移民の女が幼子を連れて、リビアのトリポリを目指す設定であった。

ブローカーに1000ドルを前払いし、ところが2週間して着いたのは砂漠の中の鉱山だった。その時は初めて騙されたと知るのだが、そこは北朝鮮の金鉱山であった。北朝鮮は暗号通貨やハッキングで犯罪やりたい放題だが、こんな所にも資金源があったようだ。 

サハラ砂漠はサンテグジュペリの「星の王子様」の冒頭にも出て来た。行った事がないだけに、聞いただけでついロマンを掻き立てられてしまう。

Thursday, 6 October 2022

素人判断にはご注意を

暫く前から運動をすると、直ぐに息が上がるようになってきた。テニス仲間に相談すると、「ジョッギング足りないんだよ!スポーツ心臓を大きくしないと!」と言われた。確かに最近はあまり走ってなかったな、と反省してジョッギングを始めた。ところが100mも走ると直ぐに苦しくなってしまう。歳もあるが何か変だと、念のため一度医者に行ってみる事にした。

幸い近所に立派な循環器の病院があったので診てもらった。そしてCTを撮ると、その場で「直ちに入院してください」になってしまった。どうやら肺に繋がる動脈に大きな血栓が見つかったようだ。先生から「手遅れになると命に関わります」と脅された。

幸い薬治療が功を奏し一週間で退院となったが、思いもしない展開であった。それにしてもあのままジョッギングを続けたら、それこそ突然の梗塞に見舞われたかも知れないと青くなった。やはり素人の判断は危ない。 

 随分前になるが夏の暑い日、テニスコートで仲間のMさんが突然倒れた。まだ40代の人だったが、突然呼吸困難に陥ってハーハーと苦しそうだった。周りにいた仲間が集まり心臓マッサージを始めた。誰かが「AEDはないか!」と叫んだ。「もっと大きく息を吸って・・」を繰り返したが、このまま酸素不足で死んでしまうかもと思った。

幸いそうこうしている内に救急車が来て、何とか一命を取り留めた。ビックリしたのは数日経った頃である。元気になって戻って来たMさんから意外な報告があった。何と病状は過呼吸だったいう。空気の吸い過ぎなのに、あの時皆が集まってやっていたのは全くその逆だった事が分かった。AEDを使っていたら致命傷になったかも知れない。それこそ青くなるどころか聞いていてヒア汗が出た。 

最近は集まると健康と病気の話が多い。くれぐれも素人判断には気を付けたい。

Wednesday, 5 October 2022

殺しのテクニック

ロシアでオリガルヒが謎の死を遂げている。銃による自害やビルから転落などその不審死に、秘密警察の影が浮かんでくる。 政敵をどう追い込むか、そのテクニックに迫ってみた。

その一つが捏造である。いい例がスターリンの後継者争いであった。後継の最右翼はNO2のぺリヤだった。彼は秘密警察のトップだったので、フルシチョフなどライバルのファイルを持つ有利な立場にあった。その彼が失脚したのが国家反逆罪であった。罪状は西側との陰謀とスターリンの葬儀時の民衆への発砲だった。どちらも謬説だったが、これが元で即処刑となった。正にミイラ取りがミイラになってしまった。

そういえば反スターリン派や最近の反政府運動の取り締まりも、殆どがこの手口が使われている気がする。伝統的というか、ロシアという国の持つ陰湿な閉鎖性から来るのかも知れない。 

もう一つは緻密な計画性である。フリーマントルの「別れを告げに来た男(Goodbye to An Old Freind)」を読んでいたら、そのいい例が出ていた。物語はソ連の宇宙開発のトップが英国に亡命する話である。彼(亡命者A)の口を如何に封じるか?KGBが考えた作戦は、もう一人の同僚Bを偽亡命させAの居場所を突き止める事だった。英国に入ったBは、Aとの面会を通じて場所の特定に成功した。手法はその晩に見上げた夜空の星だった。宇宙の専門家ならではの天体観測技術だった。Bはその後亡命を取り下げ帰国、Aは刺客によって抹殺された。 

それにしても、ゼレンスキーはプーチンの放った刺客からよく身を守っていると感心する。段々現実と小説が入り混じっている今日この頃である。

Monday, 3 October 2022

心配される報復

ロシアがウクライナ4州の併合を宣言した。インチキ選挙で住民支持も取り付けた。これからウクライナ住民の徴兵も始まるようだ。同胞に銃を向ける心境は想像してだけで過酷である。

ただ同じような事は今までヨーロッパでは幾つも起きた。典型的なのはフランスのアルザス地方である。ライン川を挟んでドイツと国境を隔てる一帯は、第二次大戦でドイツ領になったがその前はフランス領だった。更に昔はドイツ領と二転三転した因縁の地である。  

随分前だが現地を訪れた時、若いガイドが「父はフランス軍で祖父はドイツ軍として戦った」と話していたのが印象的だった。

 今回も問題は振り子が戻った時である。仮にクライナが奪還に成功すれば、ロシアに協力した現地のウクライナ兵士をどう扱うのか?嘗てのバルト三国やバルカンの小国でもそうだったが、トレイターへの報復が心配される。

 行くも地獄、戻るも地獄とはこの事である。戦争の悲惨さはこうした同胞の分断を生むから怖い。

Saturday, 1 October 2022

核攻撃が始まると

欧州では2035年迄に、全ての自動車をEV化すると言う。 アウディの担当者が「もはやEVを買うか買わないか」ではなく、「何のEV を選ぶかの時代になっている」と話していたのが印象的だった。 

それに準えると、Ken Follettの新作Never は「もはや核戦争を如何に防ぐかの時代」ではなく、「始まった場合に如何にして勝利するかの時代」になっている事を諭してくれる。

物語は北朝鮮の食糧不足から始まる。我慢の限界を超えた北は南に打って出る。まず軍事施設のあるチェジュとSino-riをミサイル攻撃する。南も直ぐに体制を整え平壌に向い朝鮮戦争が再発する。

非常事態に日本も海上自衛隊が尖閣に入るが、中国を刺激して壊滅させられる。それが日米安保のトリガーとなって、米は中国の空母福建を撃沈する。 そうこうしている内に、北は核爆弾をソウルと釜山に落とす。広島長崎以降の初めての核使用であった。これに対し米も北の基地に核を落とす。これで終わりかと思っていた処、今度は中国がハワイに向けて核弾道を発射する処で終わる。

 やればやり返すのが喧嘩である。国同士も初めは同じ数の犠牲を強いて警告するが、一度力の均衡が崩れると益々疑心暗鬼になるようだ。憲法改正の論議もいいが、こうした現実的なシミュレーションをすると目が覚めるのである。

Friday, 30 September 2022

ケンフォレットの新作

北朝鮮が又ミサイルを撃ってきた。相変わらずの挑発で、最近では「またやっているよ」と慣れっこになっている。まるで子が親の関心を惹くようで、大金を掛けた稚拙な行為には甚だ理解に苦しむ。 

そんな中友人のHさんから「読んだからあげるよ」と、トムクランシーの「北朝鮮急襲(Into the Fire)」を貰った。座礁したアメリカのフリゲート艦の艦員を人じきに取ろうと暗躍する北に対し、救出を試みる米情報機関の話である。

ただ北の動機が公海の石油掘削権だったので、そんな事で戦争するかな?と思った。トムクランシーの情報力にはいつも感心するが、小説として今一つ着いて行けないのはこういう点かもしれない。

ケンフォレットの最新作「Never」も北朝鮮の暴走を扱った小説である。食糧不足も限界に近づき、遂に核の使用に打って出るギリギリの設定である。

北の持つサハラ砂漠の金鉱や違法越境に紛れ込む情報員、中国/北/米のインテリジェンスの裏の接触など、流石ケンフォレットだと思う構成だった。 

 気になったのは、何方の小説も米大統領は女性であった。ケンフォレットの場合は、チャドに駐在する情報員の主人公や、日本の首相までも女性であった。その為、娘と接する母親や同僚に恋する中年女性の部分に結構ページを割いていた。それが物語を豊かにしているのだが、一方でスリルと緊張を求める方には生温さを感じてしまった。

 処でこの間一髪の作戦を、英語でskin of the teeth operation と言うらしい。ケンフォレットの英語はとても読み易く、何より原書は臨場感が違うと改めて思った次第である。

Sunday, 25 September 2022

遺構になったオラドゥール村

ウクライナ軍の反抗にロシア軍が撤退しているようだ。予備役の動員が掛かり、無益な戦争がまだまだ続くのだろうか?そんな中、殺された市民の集団墓地が次々と発見されている。ゼレンスキー大統領は「犯人を捜し出す」と言っているし、惨事の記憶は時間が経っても消え去る事はないだろう。 

思い出すのは、フランス中部の村、オラドゥール・シュール・グラーヌ(Oradour-sur-Glane)である。第二次大戦で連合軍がノルマンジーに上陸して間もない頃、この小さな村で大虐殺が行われた。理由はレジスタンスを匿った事だったが、女子供も含めて600人以上の村人が殺害された。

戦後ドゴールはその記憶を留めるべく、廃墟となった村を遺構として保存する事にした。随分前に訪れた事があったが、焼け焦げた車や市内電車のレール跡、集められて火を放たれた教会など、まるで昨日の出来事のような迫力が伝わってきた。静かな遺構を歩いていると、塀の陰から誰か出て来るようだった。 

犯行に及んだナチの人物は勿論特定された。ただ結局裁かれる事はなかった。先日マイケル・バー・ゾーハーの「復讐者たち(The Avengers)」を読んでいたらその訳が分かった。彼らはエジプトに脱出したのであった。多くはアルゼンチンなどの南米に逃げたが、軍を強化したいイスラムの国々も受け入れたのであった。

アイヒマンに象徴されるユダヤ人のナチ戦犯の追跡は有名である。戦争が終わればそうした復讐が始まるだろう。戦火を交えた場所に一般人が観光で入れば、その機運は一層高まる気がする。

Tuesday, 20 September 2022

エリザベス女王の葬儀

昨日行われたエリザベス女王の葬儀は、正に一大スペクタクルだった。ライブ中継された映像は、世界人口の半数以上が見たと云う。その荘厳で格式高い式典は、正に英国の歴史そのもので、色とりどりの軍服姿も艶やかで美しかった。

会場になったウェストミンスター寺院では、何人かの司祭が追悼の辞を述べた。はっきりとは分からなかったが、カンタベリー司教の後はスコットランドやアイルランドのカソリック系だったのか、英国の複雑な成り立ちを垣間見た気がした。 

式は2時間以上も続いた。途中トイレに席を立つ要人もなく、棺を背負う衛兵が落とさないか、ハラハラして観ていたが無事に終わってよかった。数日前に棺の警備をしていた衛兵が、疲労と緊張でバッタリ倒れたハプニングがあったので心配だった。

これを機に、英国ではお札やコインの肖像が変るらしい。パリでも昨日、地下鉄のジョルジュサンク(George V)駅の名称がElizabeth IIに変更された。エリザベス女王はダイアナの死に冷ややかだったと、フランスでは人気が今一だったが、それももう過去の話になったのだろう。 

ともあれ凋落の続く英国だが、昨日だけは「まだまだ世界の中心」という存在感があったのではないだろうか。

Monday, 19 September 2022

トプリッツ湖のナチ黄金

4年前にオーストリアのザルツカンマーグードを旅した。切り立つ岩山と無数の湖は、何度行っても飽きないコースであった。 

連れが、湖にせり出した教会のシルエットで有名なハルシュタットに行きたいと言うので訪れた。夏のシーズンだったので沢山の観光客がいたが、中国人の多さは群を抜いていた。驚いたのは地元のホテルのオーナー迄も中国人だったことだ。ここまで来ると興ざめしてしまった。

ハルシュタットの次はダッハシュタイン山塊へ、北側が込んでいたので南側からロープウェーで登った。標高2697mのフーナーコーゲルは、一帯が氷河に覆われていて夏だと言うのに寒かった。そしてグラーツに出たのだが、この一帯はナチの黄金の隠し場所だったと最近知った。 

 きっかけになったのが、フリーマントルの「明日を望んだ男(The Man Who Wanted Tomorrow)」である。物語はオーストリアの湖底からナチの財宝と高官リストが発見され、元ナチを追い詰めるモサドの話である。オデッサによって南米に逃亡したナチは多かったが、今回の主人公はソ連の精神分析医に成り済ましていた。 

そのリスト発見の舞台になったのが、オーストリアのトプリッツ湖(Toplitzsee)であった。どこかと思って調べてみたら、何とハルシュタットからは10数キロの場所だった。そうと分かっていれば寄ってみたかった!と悔しがった。ひょんな事で鬱蒼とした森を思い出したのであった。

Thursday, 15 September 2022

オープンな英国ファミリー

エリザベス女王の崩御に、多くの市民が弔問に押し掛けている。ニュースで見ていると、改めて国の象徴を失った悲しみが伝わってくる。思えば殆どの国民は生まれた時からエリザベス女王が君臨していたから、一入なのかも知れない。

英国に最初に行ったのは70年代の初めだった。未だポンドが630円の時代で、日本が復興から高度成長に入った頃だった。
英国の第一印象は、落ち着いた人々と成熟した街並みだった。日本から見ると大人の雰囲気を感じた。 

驚かされた一つにロイヤルファミリーの写真があった。街の土産物屋に絵葉書と並んで女王の写真が売られていた。日本と違って、英国皇室と国民の距離が近いのを感じた。あれから50年、こうして弔問に列する人々を見ていると、その絆を再認識するのであった。 

 エリザベス女王は007やパディントンの映画にも登場し、庶民的なところもあった。Mrビーンのコメディでは、Mrビーンが偽女王の尻を蹴っ飛ばすシーンがあった。流石これには「そこまでやっていいの?」と思ったが、英国のジョーク文化やパロディーにいつも驚かされている。

 ともあれ一つの時代の幕が閉じた。これからチャールズ国王の時代だ。73歳にしてやっと皇太子から解放された。英国やロイヤルファミリーはどう変わるのだろうか。

Tuesday, 13 September 2022

国葬の論議

暫く前まで、安倍元首相の国葬費が問題になっていた。高いの安いの、どうでもいい話を国会で論及していた。又野党の点数稼ぎかと、「一度決まった行事だから、粛粛とやればいいのに!」と内心思って聞いていた。

ところがエリザベス女王の崩御が報じられると、そんな論戦はパタッと止んでしまった。流石に批判する方も分が悪いと思ったのかも知れない。これには呆れてしまった。 

 与党も与党で国葬に決めた動機が不純だった。本来は粛々とやればいい処、何を思ったのか弔問外交と称して外国の来賓を優先した。その為安倍さんが襲撃されたのは7月9日なのに、国葬は9月27日だから2カ月半もダラダラしてしまった。 

 普通お通夜と葬儀は一週間で行うのが日本の慣行だし、英国も今回2週間程度で国葬を行うというから尚更である。まさか英国女王が死去するなんて想像もしなかったのだろうけれど、この選択は間違っていた。

 本来は故人を忍ぶはずの舞台が、こうして汚されてしまった事に情け無い思いがする。そもそも今回の国葬には無理があったのは世論調査からも明らかだ。本当に不道徳な人が多過ぎる。

Sunday, 4 September 2022

ゴルバチョフの死

一昨日、ロシア大手石油会社の会長がビルから転落死した。死因は自殺と言う。ロシア実業家の自殺は、今年に入ってから6人目と言う。家族も含めるとその数はもっと増えるし、その不審な死に改めてロシア社会の陰湿さを感じるのであった。

それにしても亡くなった場所がワシントンDCやスペインだったり、刺客は外国迄飛んで行ったかと思うと凄い。ふとメキシコで殺されたトロツキーを思い出した。

ロシア実業家はオリガルヒと呼ばれている。彼らのルーツは「赤い貴族」と言われた元ノーメンクラートである。ソ連崩壊でロシア経済の民営化が急速に進められ、それを担った元エリート層だった。それが最近、ウクライナ侵攻を巡ってプーチン政権と対立し始めた。不審死はその報復なのだろうか?

そんな矢先、ゴルバチョフ元大統領が亡くなった。ソ連崩壊の救世主として西側には称賛されたが、ロシア内では敵も多かったようだ。プーチンも葬儀に参列しなかった。ソ連社会主義の崩壊は偏った新興財閥を生んだし、ロシア経済も一時かなり落ち込んだからだ。 

ところでソ連崩壊の頃、東京に「ゴルバチョフ」と言う名のロシア料理屋がオープンした。その強烈な名前に店は繁盛したが、ある時ロシア大使館からクレームが入った。店側は暫くして店名を変える事になったが、当時は日本でも人気を博した。

あれから30年、ソ連の衛生諸国は解放されたが、ロシア人は幸せになったのだろうか?東西の冷戦は終わったものの、こうしてロシアのウクライナやアフガン侵攻を見ていると、ノスタルジーが強い気がしてならない。

Wednesday, 31 August 2022

運転免許の更新

先日、運転免許証の更新に行った。近くの警察署に着くと結構な人が並んでいた。正に密状態で、改めて対象者の多さに驚いた。 

 担当官も次ぐから次へと流れ作業で捌くのだが、視力検査でつっかえてしまった。前に並んでいた男が間違えたようで、検査官から「もう一度!」と言われた。男は「ちょっと待って下さい」と目を擦り再挑戦するが今度も違った。検査官はそれでも忍耐強く「もう一度良く見て下さいね」と促すと、男は「うーん、上かな?」と自信なさそうに答えた。

流石にこれは正解だったようだが、その時分かったのは、正解が出るまで何度でも試せる事だった。所詮解答は上下左右の四コマしかないので、最悪四回やればメクラでも合格出来る仕組みだった。 

 かくの如き形式的な免許証制度に疑問を持つ人は多いと思う。車検もそうだが、国土省の天下り先の為に払っている感覚は拭えない。 

 アメリカやイギリスも10年更新で他国並みなのかも知れないが、フランスのように一度取れば生涯更新なく使える国もある。自動運転の時代に入っているのだから、そろそろ考え直してもいい時期かと思う。

Saturday, 27 August 2022

干ばつと殺人事件

世界的な異常気象が続いている。欧州やアメリカ、中国でも40度越えの日が続いている。熱波で火事も多発し足り、農作物への被害も深刻になっている。

雨も降らないので、湖や河の水位がどんどん下がっている。ライン川の運航船の貨物が半分にしたとか、三峡ダムが緊急放水したとか、ニュースは絶えない。そんな中、思わぬものが出現して話題になっている。中国では長江の川が干し上がると仏像3体が現れた。600年前の物らしいが、ちょっとした観光になるかも知れない。

セルビアでもドナウ川から、第二次大戦時に沈められたドイツ軍艦が現れた。クライブ・カスラーの冒険小説は、こうした難破船を題材にしているだけに、ロマンを掻き立てられた人は多いのではないだろうか? 

 驚いたのは、アメリカのネバダ州の湖底から樽に詰められた遺体が出て来た話だった。服装から1970年代の時期も特定された。50年前だから、ひょっとして犯人は生きているかも知れない。長い間、完全犯罪が成立していたと思いきや、正に天が暴いた一件だった。

一度終わったはずの過去が、突然ある時明るみに出ると誰しもが驚く。思い出したのは、映画「太陽がいっぱい(Plein Soleil)」である。アラン・ドロンの若い頃の作品で、彼が演じる青年がヨット上で殺人を犯す。遺体は海に流して終わったかと思っていたが、遺体が船底に絡まっていて、陸に引き揚げれた船から事件が発覚するのであった。完全と思っていても、どこかに落とし穴はあるものだ。

Friday, 26 August 2022

ガリツィアのユダヤ人

行った事もないウクライナのガリツィアだが、バルザックが遥々パリから文通相手の婦人に会いに行った土地と知って以来、気になっていた。先日本屋に行くと、「ガリツィアのユダヤ人」というタイトルの本が目に留まった。

早速読んでみると、著者は一ツ橋を出た金沢大の先生だった。ガリツィアは元ポーランド領だったが、今は西ウクライナに属する地域で名前も消えている。そこにやはり消えてしまったユダヤ人の研究をしていて、そのマイナーさに変わった人がいるもんだと思った。ただそれは田澤耕氏のカタルーニャ語のような独創性もあって、ついつい引き込まれてしまうのであった。 
 
氏は「隣人が敵国人になる日」も出していた。言わずとポーランド人とウクライナ人の反目である。それに少数民族のユダヤ人が絡むのだが、改めてこの辺りは、昔から争いが絶えない血生臭い土地だと教えてくれるのであった。

ところでゼレンスキー大統領もユダヤ人と聞く。彼は東ウクライナの生まれである。ガリツィアにも現在7万人位のユダヤ人が残っているというが、著者によれば昔からいたユダヤ人はアメリカなどに出て行って、今いる人はロシアから入って来た人だという。だから彼のルーツも同じような経路を辿っているのかも知れない。

いずれにしても、日本と違って大陸に住むと大国のパワーバランスに振り回せれるから怖い。ガリツィアからポーランド人が出て行ったのも、ドイツが敗北した玉突きだった。島国の日本にいると、こうした感覚が中々分からない。

Friday, 19 August 2022

犬とペットロス

愛犬が耳を搔いている。痒そうで後ろ足で何度もボリボリやっている。昔飼っていた犬も同じようなことをしていたので、「ひょっとして?」と思い見ると、耳の中に膿が溜まっているではないか!早速近くの獣医に連れて行くと、「これは外耳炎だね!」と言われた。飛び込みだったが、丁寧に治療してもらい事なきを得てホッとした。

犬を飼って40年、今回ので6頭目になる。長生きするのもいれば、2年弱で死んでしまったのもいた。一緒に暮らしていると家族同様、あるいはそれ以上に情が移るから困ったものである。だから急にいなくなると寂しさと喪失感で変になってしまう。

昨年8歳で死んだゴールデンレトリバーはその典型だった。大人しくて置物のようにじっとしている犬だった。普段は呼んでも来ないが、エサの音がすると立ち上がってやってくる。それがある時突然元気がなくなった。大好きな散歩も嫌がり、2カ月ほどして電池が切れるように息絶えてしまった。暫くは毎日、写真ばかり見ては懐かしんだ。所謂ペットロスになってしまった。 

そんな話をやはり犬仲間のCさんにした。Cさんは奥さんに先立たれ愛犬と二人暮らししている。ただその愛犬も17歳、もういい歳である。そんなCさんを見て「そろそろもう一匹飼ったらどう?」と話した。「そうだな?でも俺も歳だから新しいのが来ても、俺の方が先に逝っちまうよ!」と尻込みする。「そんな事心配しちゃ駄目だよ!新しいのが来れば又変わるから!」と言ったものの、その後どうなったのだろう。犬は可愛い分、付き合い方も大変だ。

Sunday, 14 August 2022

田澤耕氏の人生

馬鈴を重ねて人生を振り返ると、失敗談ばかりが出てくる。「反省は年寄りの特権」と誰かが言っていたが、正にその通りで困ったものである。

その一つが英語である。未だに語彙は少ないから原書も真っ当に読めないし、映画を見ても何を言っているのか分からない。昔英語でプレゼンした時、上司から「それじゃダメだ!」と言われた事があった。その時は「何で?」と思ったが、今になってその意味が分かり恥ずかしくなっている。そして「俺は本気で勉強したのだろうか?」と、安易に過ごして来た日々を後悔するのであった。 

そんな事を思い出させたのが、田澤耕氏の「カタルーニャ語、小さなことば、僕の人生」の一冊だった。同世代の氏は、東京銀行からスペイン留学を経て、カタルーニャ語の権威になった。ひたすら好奇心と知的生活を追って行く内に、気が付くとゴールに立っていた自然体が、読んでいてとても快かった。

 外国に憧れてた動機は俺と同じでも、学生時代から英語の翻訳は友人から「これで食っていけるよ!」と言われるレベルだったと言う。仕事の傍らに受けた日仏の通信講座も、俺も試したが成績も良かったようだ。成る可くしてなった人だったのかも知れないが、やはり本気度が全然違っていた気がした。

 本の最後に癌に冒されている事を述懐していた。まるで遺書のようで、上り詰めた一本の人生を総括しているようだった。人生で出会った人に後年助けられる話や子供の教育など、人間的にも立派な人だったのが伝わってくる。斯くしてスペインの空気の中で送る余生も理想だし、俺もこんな生き方をしたかったと、誠に羨ましく思えたのであった。

Tuesday, 9 August 2022

バッハの無伴奏

久しぶりに生のクラシック音楽を聴きた。ハンガリー人のチェリストを中心にした、シューベルトやベートーヴェンの三重奏、四重奏であった。余り聴き慣れない曲だったが、シューベルトが18歳の時の作品だったり、生涯独身だったベートーヴェンの女性への思慕も入っているとかで、作曲時の風景を思い浮かべながら楽しんだ。
 
中でもバッハの無伴奏は良かった。無伴奏はハーモニーがないので単調である。

ただバッハの曲は、省略された低音や和音が想像力を生み出すと解説にあった。分かったようで良く分からない説明だが、不思議とそのモノトーンが心に響くのであった。 

その旋律を再発見したのがパブロ・カザルスと言う。カザルスは国連でカタルーニャに思いを込めてバッハを演奏した時、鳥はピース!ピース!と鳴くと話していた。以来、鳥の鳴き声を聞くとカザルスとチェロを思い出す。 

今回改めて三重奏を聴いてみると、始めはバイオリンの音に耳が集中した。ただ暫くするとチェロに移った。ヴィオラは最後まで脇役だったが、バイオリンとチェロの間に入っていい味を出していた。色々発見のある一日であった。

Saturday, 6 August 2022

馬鹿の語源

アメリカ下院議長のペロシ氏が台湾を訪問した。女性ながら中々芯が強い人のようで、トランプ氏の議会演説の原稿を破ったビデオも放映されていた。これに対し、中国は当然反発し軍事演習を始めた。日本のEEZ内にも着弾したようで、予期せぬ衝突が起きないか心配だ。

中国共産党は、台湾を含む少数民族を力で抑えている。ウィグルやチベット、香港など、少数民族といってもその土地は国土の半分近くを占めている。ウィグルは天然資源と核実験の希少な土地だったり、台湾は故宮博物館には歴史のお宝が眠っている。もしもこれらを失えば昔の大陸民族に戻ってしまうから、必死なのだろうと思っている。

それにしても中国共産党の思想・情報統制は凄いものがある。ITが進化しているから、益々コントロールは盤石となっている。昔から中国人と話しても全くつまらなかった。本音がなく綺麗ごとばかり並べるからだった。その内何か馬鹿に見えて来たが、今から思うと長年培われた保身術だったのだろう。

その「馬鹿」の語源について、最近出た百田尚樹氏の「禁断の中国史」で紹介していた。それは始皇帝の死後に頭角を現した趙高という男の話である。ある日彼は鹿を連れてきて、臣に「これは馬だ!」と言った。「お前はどう思う?」と臣に聞き、「いやそれは鹿です」と応えた者を後で処刑したという。忠誠の首実検だったようだが、今でもきっと同じ様な事をやっているのだろう。

Friday, 5 August 2022

リンクスのゴルフ場

先週、国内の女子ゴルフ大会で、勝みなみ選手が22アンダーで優勝した。4日間の72ホールでノーボギーで廻った。これは史上初という。日頃ボギーを取り敢えずの目標にしている者にとって、流石プロは違う!と思った。

同じ週、スコットランドでは古江彩佳選手が21アンダーで優勝した。4日目は10バーディーとノーボギーだったという。こちらも立派だった。気になったのは、舞台になったDundnald Linksのゴルフコースである。

場所はグラスゴーの西、スモーキーなウィスキーで有名なアイラ諸島の対岸だった。1900年の初頭に開場した名門倶楽部も、戦時中は陸軍の駐屯地だったという。気になるプレー費だが、この季節、宿泊込みで1ラウンド500ポンド(約8万円)というから決して安くない。 

 リンクスは何度か試してみたが、どこまでも続くグリーンを歩いているだけで幸せな気分になるものだ。木々がないせいか、距離感が掴みにくかったり、一見パターで転がせるような錯覚に陥るのが特徴だ。

気を付けなくならないのがブッシュである。ボールが見つかってもまず出ないし、何よりティッシュペーパーが落ちている事がある。コースにはトイレがないので、ブッシュで用を足すので要注意だ。海岸線だから、海風を味方に出来るかが勝負の分かれ道になる。

今週は渋野選手も出ている全英オープンをやっている。やはりスコットランドのMuifieldで、此方もリンクスコースである。コロナが晴れたら、また行ってみたくなってきた。

Friday, 29 July 2022

人の中で生きる

又コロナ感染が拡大している。慣れっこになっているとはいえ、いつ終わるとも知れない不安が付き纏う。 

コロナ禍で人と人が集まる機会が減っている。今まで義理で集まっていた事が多かったので、かえって煩わしさが減って喜んでいる人は多いのではないだろうか?ソーシャルディスタンスは意外と快いものである。

そんな中暫く前に、テニス倶楽部の✖️✖️周年のパーティーがあった。100人以上の人が集まり皆オシャレしてやって来た。いつもの運動靴姿に見慣れていると別人に見えた。中には和装でめかし込んでくる奥方もいて、思いの外華やかな雰囲気になった。 

 外賓の祝辞が終わると乾杯で交流が始まった。壇上には次々と会員の人が登り、沢山の思い出を述べていた。ここで結ばれた夫婦もいて、倶楽部は生活の一部と言っていたのが印象的だった。

 家に戻ると数々の記憶が甦ってきた。入会して間もない頃に優しく声を掛けてくれたAさん、肉離れを起こしKさんに担がれた事、仕事疲れでトスを上げるとクラクラした事もあった。勤務先の破綻が新聞の一面に載った時は辛かった。いつものように顔を出すと、何故か皆目を伏せて余所余所しい。そんな時にMさんが遠くから声を掛けてくれた。あの時は嬉しかった。 

 そんな事もあり、俺はやはり人の中で生きて来たのを再確認した次第だった。たまに集まりに出るのも悪くないもんだ。

Sunday, 24 July 2022

ガリツィアの日本人

佐々木譲の警察物はあまり読まないが、海外小説はとても面白い。「ベルリン飛行指令」や「エトロフ発緊急電」「ストックフォルムの密使」など、著者はよく調べたと感心する。特に「ベルリン飛行指令」は、ゼロ戦2機で遥々南ルートでドイツまで飛ぶ壮大さが気に入っているし、「エトロフ発緊急電」も開戦間際の緊張が伝わってくる。
  
ふと最近、他に何かないだろうか?と探してみたら、「帝国の弔砲」が出て来た。ロシア革命を挟んで、ロシアに移住した日本人一家の数奇な運命を描いた小説であった。主人公の最後は日本に戻りロシアのスパイとして働くのだが、当時のロシアの様子がよく描かれていて面白かった。 

その中にウクライナのガリツィアが出て来た。今ではポーランド国境に近い南西部の地域は、嘗てはバルザックが恋人を慕い遥々パリから通った時はポーランドの土地だった。そしてそれ以前はオーストリア帝国の傘下にあった。

物語では、駐留するオーストリアの大公を拉致する作戦に主人公が参加した。 ガリツィアには行った事はないが、昔はポーランドやハプスブルグ、最近はやはりソ連の一部だった事がよく分かる。ウクライナになってからの歴史は本当に短いのだった。

Saturday, 23 July 2022

ゴッホのStarry night

先日スコットランドで、ゴッホの自画像が新たに発見された。「農婦の頭部」の裏側にエックス線を当てると浮かび上がったと言う。ゴッホほど世界的に愛される画家もいないから、また一つ話題が増えた。 

ゴッホの絵画は世界中に散らばっていて、どこも美術館も目玉である。アムステルダムのゴッホ美術館は元より、NYやベルギー、見た事はないが日本の安田火災もバブルの時にひまわりを買った。映画「遠すぎた橋」の舞台になったオランダ・アーネム(Arnhem)のクレラー・ミューラー美術館(Kröller Müller Museum)も有名だ。ミシュラン3つ星のというので随分前に週末を使ってパリから車で行ったが、正に遠すぎた場所で帰るに難儀した。
 
ゴッホを身近にしてくれるのは、彼が晩年を過ごしたパリ郊外のオーヴェール・シュール・オワーズ(Auvers-sur-Oise)だろう。有名な「ガシュ医師」や「教会」、「麦畑」など当時の風景がそのまま残っているから、その場に立つとタイムスリップした気分になる。彼の部屋や弟のテオと並ぶお墓にお参りすると、ちょっとした小旅行になる。

 処で「星月夜(Srarry Night)」という作品がある。彼がゴーギャンとの別れ耳を切った後、入院した南仏のサンレミ・ド・プロバンスで描いたものだ。アルルのレストランで夜食事をして外に出ると、同じような色彩に改めて感動した記憶がある。 

その絵画を歌った「ヴィンセント(Vincent)という曲もある。昔カラオケ通いをしていた時、誰かが素晴らしい声で歌っていたのを聴いた。以来そのStarry,starry nightで始まる曲はお気に入りの一曲になっている。ただ夜空の青をChina Blueと表現いるのが、未だに何故Chinaなのか分からないが。

Monday, 18 July 2022

身体の黄金比率

ちょっと前の本だが、 ダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」は面白い作品であった。ワシントンを舞台に相変わらずの謎解きをする。議事堂の地下の部屋やオベリスクの位置など、興味満載であった。 

 最大のオチはその犯人像であった。フルーメイソンの最高位を継ぐスミソニアンの館長の家族が何者かに命を狙われるが、最後に犯人は死んだはずの息子だと分かる。勘当同然の不祥息子が、親の秘密を暴きに戻って来たのであった。

読み終わってふとマッカーサー元帥を思い出した。あの英雄にも一人息子がいた。ただ親父が余りにも有名だったが為に、成人するとNYのソーホーに消えたという。何方も偉大な親を持つ悲劇であった。 

本の中に黄金比率の話が出て来た。1:1.618の究極の美比率である。ダビンチのモナリザの顔の縦横、ピラミッドの床と側面積、螺旋階段などに古くから使われている。 

ラングドン教授によると、ヒトのヘソから足元と身長、又肩から指先と肘から指先までも黄金比率という。早速巻尺を持って来て測ってみると大体合っていた!身近な謎解きはトレビアであったのだ。

Saturday, 16 July 2022

迫力満点のトップガン

毎日よく雨が降る。また梅雨に戻ったようで、天候の不順に振り回されている。こんな時は映画館に行くに限ると、今話題の「トップガン マーヴェリック(Top Gun : Maverick)」を観に行った。平日の昼だと言うのに、満席で人気の高さを伺えた。 

主演のトム・クルーズは、相変わらず格好良かった。いつもの革ジャンにカワサキのオートバイを乗り回し、爽やかな笑顔と引き締まった体は昔のままだった。今年で60歳というが、前作から36年も経ったとはとても思えない。そのせいか、前作がまるで昨日の出来事のようでスッと受けれられた。

最初の「トップガン」は1986年、彼が24歳の時だった。旅行でカプリ島に行った時、地元の人から「最近トム・クルーズがここに別荘を買った」と言っていた。思えば長い間トップスターをやっている。 

作品を見ていて快かったのは、他の出演者も身体も鍛え抜いていて、本物のパイロットを彷彿とさせた事だった。撮影では出演者が訓練を経て実際に搭乗したと書いてあったが、トム・クルーズの拘りが作品をよりリアルにしていたのは確かだ。 

そんな彼は予てよりADHD(注意欠陥、多様性障害)を患っている。イチローやアインシュタインなど兎角天才と言われる人も罹る精神障害であるが、彼の一途で強い思い入れはそこから来ると思っている。

作品は兎に角迫力があった。噂の通り実際のジェット戦闘機を使った映像は、まるで観客自身が搭乗しているかのような感覚だった。息を飲むとはこの事で、特に後半の戦闘シーンは一時も目を離せなかった。最後も昔の恋人と嘗ての名機ムスタングで飛び立つなど、格好良さも満載の映画であった。

Friday, 15 July 2022

旧統一教会の献金

安倍氏の襲撃犯の動機が、旧統一教会の献金だったと問題になっている。先日の教団の記者会見を見ていたら、最低でも収入の1/10は義務という。これはキリスト教会の慣行らしいが、改めてその大きさに驚いた。

幸い今まで宗教被害に会った事はなかった。ただ周囲には結構トラブルになったケースは多い。K君は大学に入学すると原理主義の宗教に誘われ、半ば監禁状態に置かれた。親御さんが助けに行って取り戻したので助かった。やはり学生時代の友人I君もその一人だ。卒業して銀行に勤めたI君だったが、見合い結婚した相手が問題だった。夜になると蠟燭に火を灯してお祈りを始めたと言う。何の宗教だったか忘れたが、暫くして別れたと言っていた。

若い女性も街を歩いていると、「貴方には背後霊が付いています!」と声を掛けられる。「えっ!」とビックリして話を聞いてしまったら最後、取り込まれてしまう。教会に通う内に外国人神父に惹かれ、神様とごっちゃになってしまう悲劇もあった。 

宗教に走るのはそれなりの事情がある。今回の事件のような経済的理由や家庭からの逃避、近親者の死等々。勿論代々教会に通う敬虔な信徒が殆どだろうが、どうしても陰の部分の方に目が行ってしまう。

近所にも旧統一教会の支部がある。沢山の子供が出入りするちょっとした町の集会場である。事件以来、献金で生活が困窮しているのではないか?不動産まで売って破綻した人はいないのだろうか?将又一体どういう家庭の人が入っているのだろう?と、気になり始めている。

Thursday, 14 July 2022

晋太郎氏への思い

安倍さんの葬儀で、麻生さんが代表して弔辞を読まれた。盟友としての率直な語りに、多くの人の共感を誘ったようだ。その中で「天国で晋太郎さんにやって来たことを胸を張って報告すればいい」みたいな件があった。父の急逝を受けて政治家になっただけに、人一倍その継承には強い思い入れがあった。

随分前だが、ひょんなご縁で旧官邸を見学した事がある。二二六事件の時に撃ち込まれた弾丸の痕や兵士が野営した焚火の跡など、昭和の歴史が沢山詰まっていて面白かった。最後は組閣の時に記念撮影する赤い絨毯の階段で写真を撮ったり、地下の和室でお弁当を食べて散会になった。 

その中に(今では殆ど使われていないが)総理の執務室もあった。机の上には(当時は安倍政権だったので)晋太郎氏の写真が飾られていた。安倍さんはよくお墓参りをしていたし、麻生さんの弔辞を聞いてその事を思い出した。 

その見学会だが、途中でひょっこり安倍首相が現れた。記念撮影に華を添えて頂いたが、テレビで見るオーラがあった。当時は国会期間中で、昼休みを使って地下通路を歩いて来られたという。ワシントンの議事堂地下には議員宿舎と繋ぐ地下鉄もあるようだが、こちらも色々秘密が隠されているようだった。

ともあれ奇しくも父と同じとはいえ、67歳は余りにも早すぎた。嘸かし無念だっただろう。

Wednesday, 13 July 2022

安倍さんの訃報

先週の金曜日、ゴルフの前半が終わり食事に入ろうとした時だった。ニュースで安倍さんが撃たれて心肺停止という。一緒に廻っていたMさんと共に一瞬絶句した。

 あれから未だ一週間も経っていないのに、世の中が大きく変わった気がする。昨日は葬儀が営まれた。テレビで見ていたが、増上寺から永田町を経て桐ケ谷斎場までの沿道に多くの人が詰めかけていた。改めて国民に愛された指導者だと思った。

会場ではご自身が奏でる「花は咲く」が流されたという。それを聞いて早速Youtubeで見てみたが、安倍さんがピアノを奏でるとは知らなかったので驚いた。震災を想う曲がまさかご本人を偲ぶとは想像もしなかっただろうが、そのお人柄が伝わって来るようで感動した。 

 ピアノは子供の頃に習ったという。元より生まれと育ちには恵まれた人だったので、これも自然の才能だったのだろう。そんな処が好きな人と嫌いな人に極端に分かれたらしいが、人の好さと品格、ユーモアを兼ね備えた稀有な政治家であった。 

安倍さんには「桜を見る会」で何度かお目に掛った。未だに何が問題だったのかと思うが、芸能人や各界の著名人、各国の外交官など華やかな中心に安倍さんは良く似合った。いつも挨拶の終わりに即興の一句で華を添えた。「風雪に耐えて5年の八重桜」をにこやかに謳っていたのを思い出した。 

ご冥福をお祈りすると共に、長らく日本のリーダーとして頑張って来られた事に改めてお礼申し上げたい。

Monday, 4 July 2022

ワシントンDCの秘密

今から3年前にアメリカの東海岸を旅した。ウイリアムバークやゲティスバークなど、建国の歴史に触れたかと思うと、海軍兵学校のアナポリスや世界最大の軍港ノーフォーク、英霊の眠るアーリントン墓地など、近代アメリカの原動力になった聖地も訪れた。

改めてアメリカという国の大きさに圧倒された次第だが、特にワシントンDCのスミソニアン博物館に至っては、膨大な歴史の収集品は凄かった。

全部で19もある博物館などとても廻れる時間も無かったが、世界の歴史が全部集っているようだった。中でも近代美術品や飛行機は面白かった。ルネッサンスや印象派絵画、日本の零戦・紫電改や月光始め、あのエノラ・ゲイも目の前にすると、何十年前の日々が蘇ってくるのであった。 

そのスミソニアン博物館であるが、先日ダン・ブラウンの旧著「ロスト・シンボル」を読んでいたら、展示しているのは全体の2%に過ぎないと書いてあった。残りのお宝は支援センター(SMSC)と呼ぶ機構が管理しているらしい。一体アメリカの富って何なの?と改めて驚かされた次第だ。

「ロスト・シンボル」の物語は、その館長が誘拐される処から始まる。例によってハーバード大のラングドン教授が登場し、謎を解きながら核心に近づく展開である。

今回の舞台はそのワシントンDCであった。一昨年暴徒に襲撃された連邦議事堂も出てきた。あの時は建物が被害に会ったが議員は無事だった。何と地下には議員宿舎まで繋がる議員用の地下鉄で逃げたという。小説では地下の秘密部屋に、フリーメイソンの祈祷の間もあった。

物語の犯人はその儀式の映像を撮ったので、国家機密を危惧したCIAにも追われた。結局読者はどこまで本当でフィクションかなのか分からない。ただ例の1ドル札のデザインが、13段のピラミッド階段、13本の矢、13本のオリーブの枝などが、アメリカ建国13州とは偶然な数合わせなのだろうか、ピラミッドのプロビデンスの目も気になる。大きな力が今の世界を作っているのかも?と、ふと思ってしまう。

Saturday, 2 July 2022

G7のエルマウ城

先日ドイツでG7サミットが開催された。各国の首脳は、美しい自然をバックに記念撮影していた。会場はバイエルンのエルマウ城(Schloss Elamau)という。そんな処あったけ?と気になったので調べてみた。

名前は城(Schloss)だが高級リゾートホテルであった。2015年のG7の会場にも使われたという。ホテルはどちらも「隠れ家」と呼ぶ二つの棟からなっていて、The Retreatは一部屋960〜2100ユーロ、The Hideway は700〜1090ユーロと、日本円にして凡そ10万円から30万円であった。

戦後になってここで独英音楽フェスティバルが拓かれ、ヴァイオリンのメニューヒンやピアノのケンプも参加した。その名残なのか、今でも各種コンサートが催されてるようだ。施設内には立派なSPAもあり、登山だけでなくセレブがゆっくり過ごせるようになっていた。

勿論行った事はないが、地図で見るとフラスコ画で有名なミッテルワルドの近くだった。ミッテルワルドは家々の壁に絵が施され、それが目の前の岩山に映えてそれは美しい町であった。

その山はドイツ最高峰のツークシュピッツである。一回目は登山電車、2回目はロープウェーで登った。どちらも夏で空気が澄んでいたのだろうか、3000m近い山頂から見下ろすドイツアルペン街道の家々が驚くほどくっきり見えた。

G7では、馬に裸で乗ったプーチンを揶揄する発言があったという。こんな雄大な景色を前にすると、誰しも気持ちが大きくなるのも分かるような気がした。北に100km行けばミュンヘン、東に30kmでオーストリアのインスブルック、西にリンダウ湖を超えればスイスである。南に下ればオーストリアの先にイタリアが拡がる。そんな見どころ満載の土地柄であった。

Saturday, 25 June 2022

結婚しない若者

日本の少子高齢化は大きな問題だ。取り分け少子化は、国の将来が掛かっているだけに深刻な問題である。結婚しても子供を産まないし、そもそも結婚する人が減っている。

一生結婚しない生涯未婚率は、1980年頃までは男女ともに5%未満だった。それがその後増え続け、今では何と男が25%、女が16%という。バブルが崩壊して長期化したデフレのせいなのか、将又ユニセックスする世界的な兆候なのか、男女の役割に大きな変化が出ている事は確かだ。

先日発表された男女共同参画白書でも、「20代男性の4割がデート経験なし」と言っていた。本当かなと思ったが、意外と昔からこの数字は変わらないと誰かが言っていた。変わらないと言えば、「恋愛強者3割の法則」もあるらしい。恋愛関係に入れるのは、格好のいい男性と可愛い女性の3割に集中するという説である。後の7割は恋愛に縁のない人になる。ただ昔は恋愛しなくても結婚に漕ぎつけたのが、ここに来てどちらも無くなってきている。

若者に聞くと「結婚はめんどくさい」と言う。自由がなくなるし相手への気遣いも負担に感じるらしい。人は一人では生きて行かれない、人生の荒波を乗り越えるには伴侶が必要、というのはもう昔の話になっている。 

次の時代の生き方は若者が決める事だ。古い仕来りに拘る必要もないし、お互いそれがいいと思えば新しいスタイルで生きればいい。人口が減って労働生産性を心配する人も多いが、人口密度が改善されて快適になるかも知れない。籍は入れなくてもペットみたいな共同生活もあるし、所詮人間とて動物だから生存本能が何とかしてくれるだろう。

Thursday, 23 June 2022

顎関節症って

一カ月ほど前だったか、食事をしようと口を開けようとすると痛みが走った。また虫歯かな?と思って歯茎に触ってみたが、歯の異常はなさそうだ。ネットで調べて行くうちに、それは顎関節症ではないかと思えてきた。顎関節症は何らかのストレスで歯を食いしばるうちに、顎の筋肉に支障を来す病という。

早速行きつけの歯科医に行って相談した。ただネットでも書いてあった通り、それは歯科医の範疇でなく専門医の職域だと言う。先生は「大学病院に紹介状を書く」と言ってくれたが、自分で探すうちに、近くに顎関節学会の専門医がいる事が分かったので早速行ってみた。

そして受診する事1時間、骨には異状ない事が分かりホッとした。先生から治療は、「只管歯を嚙み締めないように心がける事」だと言われた。人は口を閉じた時に、上下の歯がくっ付かない事もその時初めて知った。そして「歯を離している?」の自己暗示を続けるうちに、大分回復してきた。 

それにしても「俺ってストレスあったのかな?」とちょっと心配になった。若い頃なら兎も角、歳を取っても無意識のうちに競争や時間に追われていたら、それは我ながら可哀そうである。原因不明のアクシデントに、ふと日頃の生活を顧みたのであった。

Wednesday, 22 June 2022

Île とisles

中公新書の物語シリーズは出ると必ず買っている。このブログでも何度も紹介したが、外交官の黒川氏の「物語ウクライナの歴史」は大変面白い本だった。同じくジャーナリストだった波多野氏の「物語アイルランドの歴史」も良かった。

ところが押しなべて学者先生の本は詰まらない。それは年表を追っているからである。最近出た「物語スコットランドの歴史」もその典型で、(作者の千葉大の先生には大変失礼だが)余りの多くの登場人物で何が何だか分からなくなった。

学者先生は年表の羅列しようとする余り、メリハリに欠ける。恐らく実社会の経験がないからか、読者が何を求めているのか気が付かないのかも知れない。つくづく膨大な歴史を物語風にするのは難しい作業だと思うが、市井感覚がないと物語にはならない。

そんな中、ひとつ収穫があった。それは「島」という単語である。スコットランドは800以上の島から成るが、島をゲール語でアイラ「isles」と呼ぶ。そう!あのアイラウィスキーの名称である。ふと気が付いたのは、フランス語でパリ近郊の地域圏を指すイール・ド・フランス(Île de France)であった。

イール・ド・フランスはパリ20区の周りに広がる通勤圏である。云わば東京周辺の関東圏にあたる。ゴッホが晩年を過ごしたオーベール・スール・オワーズやモネやピサロのポントワーズ、将又ユーロディズニーのマルヌ・ラ・ヴァレなど、今でも自然豊かな風景がパリ郊外に残っている。そのÎleはゲール語のislesであったのだ。「なんだお前そんな事も知らなかったの?」と言われるかも知れないが、何か嬉しくなったのである。

Sunday, 19 June 2022

国防費の倍額

ロシアの侵攻で、国防論議が一気に現実味を帯びてきた。台湾有事や北朝鮮の暴発などで同じような事が起きるかも知れない!そんな時に日本は戦えるのだろうか?急に不安になってきた。

国防費の増額や憲法改正も支持する人が増えているという。安倍さんは国防費を今の5兆円から10兆円にしろと言う。ただでさえも世界9位の軍事費である。倍にしたらアメリカ、中国に次いで世界3位になってしまう。流石にこれにはちょっとビビってしてしまうが、NATO加盟国の「GDPの2%基準」を適用するとそうなるらしい。

 立派な武器を持っても所詮戦うのは兵隊だ。戦後75年、一度も実戦がない軍隊って大丈夫だろうか?と心配になる。そんな矢先、今年の芥川賞作家、砂川文次氏の本が書店に並んでいたので買ってみた。 

 氏は元自衛官で、その体験を短編にしていた。「小隊」の舞台は北海道、「戦場のレビアタン」はイラク、「市街戦」は国内の行軍訓練であった。どれも模擬訓練を通した想像の世界で、何か読んでいて虚しくなった。失礼ながら芥川賞ってこの程度?とガッカリすると共に、自衛隊の実態にも心細くなった。

 中国の兵士の士気はもっと低いと誰かが言っていた。兵士になるのは党や官僚になれなかった農家の子供と言うのがその理由らしい。金儲けは好きだが、凡そ国に忠誠を誓う国民性とは縁遠い、そう思うと変に納得した記憶がある。

 誰か強くて弱いのか、今回のウクライナではないが、こればかりは戦ってみないと分からない。一つ言えるのは、対岸の火事の時代は終わったという事である。

Sunday, 12 June 2022

プーチンとピョートル

今年はロシアの大帝ピョートルの生誕350年という。プーチンはその祝賀行事で彼の栄光を称えていた。特にスウェーデンに勝利した話を引き合いに出していた。ウクライナに準えたのだろうか、何か時代錯誤の感は拭えない。

そのピョートルだが、随分前に読んだアンリ・トロワイヤの「大帝ピョートル」は中々いい本だった。工藤康子氏の翻訳も素晴らしいし、彼と彼女の三部作「女帝エカテリーナ」と「イヴァン雷帝」も傑作であった。 

ピョートルは戦略に長けていただけでなく、欧州のシステムを積極的に取り入れた。例えば外国人士官の登用、当時の将軍の半分は外人だったり、文官、武官、宮内官を12の階級に整理した官等表を作り役所の風通しを良くした。

フィスカルと呼ぶ行政監督制度もあった。500人の監督官が腐敗した裁判官や汚職官吏の摘発に励んだ。所謂スパイの先駆けである。この辺がプーチンが慕う理由の一つかも知れないが、ロシアらしかったのは、監督官が課した罰金を国と本人で折半した事である。当然それがまた腐敗を生んだので、制度は廃止になったという。

ピョートルの私生活も波乱に富んでいた。結婚はしていたが、ラトビアの田舎で部下が拾った17歳の少女を洗濯女として身近に置いた。それが後の皇后エリザヴェータであった。ただ一人息子はひ弱で父の期待に沿えなかった。挙句は父に反旗を翻したため、父は死刑を告げるなど、かつてのイワン雷帝と同じ運命を辿るのであった。

Sunday, 5 June 2022

ビゴーの風刺画

明治の外国人画家として有名なのは、ジョルジュ・ビゴーだと思っていた。在日は17年になり風刺画を通して明治を描いたフランス人である。日本人女性とも結婚したので、日本社会の洞察も深かった。随分前になるが、清水勲氏の「ビゴーが見た明治ニッポン」を通じて、彼の観察眼に感心した記憶がある。 

 例えば男女の仲、事を急ごうとする男と逢引から人目を避ける女、果てて疲れた女ともう一戦を嗾ける男などの描写、又下駄や簪の泥棒も、一瞬を捉えて漫画にするセンスに長けていた。勿論政治の風刺も多かった。

男の顔に共通するのは出っ歯と吊り目である。昔から外人が描く日本人は背が低く、丸眼鏡を掛けてカメラをぶら下げる特徴があったが、この頃から歯並びと細い目は気になっていたようだ。
それにしても、彼の風刺画はどれもコミカルである。ロートレックのタッチにも似ているし、思い出すのは暫く前にパリで銃撃されたシャルリー・エプドである。ムハンマドを冒涜したのがイスラムの逆鱗に触れたという。そのシャルリーのタッチもやはり滑稽で心を掴まれたが、フランス人特有のエスプリにはつい頬が緩んでしまう。

 府中美術館の作品の中にビゴーの作品は一点あった。他の作品の多くは英国人画家だったので、ちょっと異端であった。やはり風刺画は絵画のジャンルではなかったのかも知れない。