その刑の執行だが、ボタンを押したり遺体を回収したりは刑務所の看守が行うという。子供の頃、仲の良かった友達のお父さんが刑務所の看守だった。刑務所の塀に隣接する官舎によく遊びに行くと、いつもニコニコ顔で迎い入れてくれた。当時はそんな優しく温厚な人柄が囚人の教育にはピッタリと思っていた。ただ実際刑に立ち会っていたのなら、心労も並々ならぬものがあったに違いない。
そんな事を思ったのは、暫く前に読んだ「パリの断頭台(Legacy of Death)」だった。作者はアメリカの女性作家で、フランスで7代続いた処刑人サンソンの物語である。サンソン家は代々処刑を業とし、初めの頃は斧やロープ、フランス革命になってギロチンを使った。ルイ16世やマリーアントワネット、ロベスピエールやダントンも彼の手に掛った。
ただ社会の非差別と偏見も手伝い、その心痛から2代目のサンソンは晩年血を見ると震えが止まらなくなり、4代目は35歳で卒中に見舞われ、5代目は突然精神に異常を来し、7代目は仕事を逃れるためギロチンを質に入れたり、仕事とはいえやはり人間だった一面が伺える。
その本の後書きにギロチンの効用と反省がある。ギロチンは苦痛と恐怖を与えない装置だが、その迅速さがフランス革命で多くの犠牲者を生んだと。(聊か辛辣だが)因みに絞首刑による絶命時間は7〜15分、電気椅子は4分半という。
こうして死刑囚の死と向かい合うと、いつの間にか犯した罪もどこかに行ってしまう。ヴィクトル・ユゴーの「公共の権威が人間の生命をもてあそぶ時、人間の尊厳に対する観念はその偉大さを失うのみである」の言葉が耳に残るのである。
No comments:
Post a Comment