アメリカを旅していると、意外な所で古い日本に出逢う。一つはテキサス州に残るアラモの砦である。今では女子供が避難した伝道所だけが残る場所だが、その一角に日本人の石碑が建っていた。1914年に早稲田大の̪シガという教授が贈ったもので、少人数で大軍に立ち向かう姿が長篠の合戦と重なったという。長篠の合戦なんてアメリカ人には知る由もないため、当初は嘲笑されたようだ。それにしても変わった日本人がいたものである。
アラモの戦いはジョン・ウェン演じる映画で何度も見たが、250人の守備隊が数千人のメキシコ軍に立ち向かう姿は壮絶である。後に「Remenber the Alamo」がアメリカ人の勇気を象徴する言葉になったのも良く分かる気がする。因みに長篠の合戦は、500人の守備隊が15000人の武田勢と戦ってこちらは城を死守した。長篠城跡にはアラモの碑が建っているというので、いつか見てみたい。
もう一つは、海軍兵学校のアナポリスである。行った時は卒業式の後で校内はガランとしていた。ビジターセンターで受付をして校内を散策していると、日本の酸素魚雷が置いてあった。傍のパネルにはその性能と共に、日米戦の転機となったミッドウェイの戦いについて詳しい解説があった。
またアナポリスの町に入る高台に、第二次大戦で犠牲になったメリーランド州市民の慰霊碑があった。その中のプレートを読むと「日本軍の捕虜に対する扱いは過酷で、捕虜の40%は殺された。特にバターンの死の行進は酷かった」と書いてあった。
アナポリスには多くの日本人も留学し、最近では極めて優秀な成績で卒業する自衛官もいると聞いている。そんな親近感もあるが、こうして何気ない過去に出逢うとドキッとする。
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