Sunday, 10 October 2021

オーストラリア人とガリポリ

先日、オーストラリア政府がフランスとの潜水艦契約を破棄し、代わりにアメリカとの新たな契約を結んだ。どうやら中国の予想外の台頭に、ディーゼルから原潜に切り替えざる理由があったようだが、一方的な転換にフランスは激怒し大使を帰任させた。血は争えないと云うが、改めて英語圏の結束の強さを感じた事件だった。

思い出したのは、メルボルンの戦争博物館である。一昨年旅の途中で訪れたが、ゼロ戦を始め太平洋戦争の日本戦利品コーナーの立派さには驚かされた。特に目を引いたのは、第一次大戦でオーストラリアが初の海外遠征を行ったガリポリ(Gallipoli)の戦いであった。

オスマン帝国のガリポリ半島争奪を巡る戦いは、双方60万人近い負傷者を出す消耗戦であった。中でもANZACと称するオーストラリア・NZ連合軍の被害は大きく、オーストラリア軍の場合、派遣した5万人の内3万人近くが死傷する事態になった。何かの本で「ガリポリは気味悪い響きがする」と書いてあったが、その犠牲は予想外に大きかった。
 
当時のオーストラリアにとって、欧州での戦争は遠い地球の裏側の話だった。そのため遠征にはカンガルーまで同行し、ピラミッドの前で記念撮影するのんびりムードがあった。戦後はPKOなどを除けばオーストラリアが戦争に巻き込まれる事態はない。ただいざという時には西側、取り分け英語圏の一員としての責任と義務が付きまとう。その原点となっているのが、ガリポリの記憶である。

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