登山を始めたのは中学生の頃だったか?近場の秩父や奥多摩を皮切りに、気が付けば南アルプスの北岳、北の穂高と槍の表と裏銀座、中央アルプスの宝剣岳など主だったコースは殆ど踏破した。
ただ多くは単独行であった。サラリーマンだったから、気軽に時間のある時に天気を見ていけるのが効率的だった。思えば最近のゴルフと同じである。
当時の新田次郎の小説「孤高の人」の影響も大きかった。今で言うランニング登山の端がけであるが、天才クライマーの加藤文太郎と我を重ねた。彼はある時頼まれて人を同伴する事になり、その思わぬ気遣いで遭難死する話であった。
以来他人に迷惑を掛けまいと単独行に徹している。ただ最近、1人登山者が熊に襲われたとか、コロナで外出自粛の中滑落して発見が遅れたとか、そんなニュースを聞くと複雑な気分になって来る。
北の裏銀座は、前日六本木で飲み会があって出発が遅れた。それを取り戻そうと三俣蓮華、双六を過ぎた頃から足が動かなくなり、陽が落ちて野ザルも出て来た。猿達に見つめられながら槍ヶ岳山荘に着いた時には暗くなっていて、極度の緊張感で白髪になってしまった。
宝剣岳から木曽駒を通る中央アルプスのルートは人気も少なかった。途中滑落して助けを求めたが通る人もなかった。勇気を出して元来た道に戻ったのが幸いした。兎角疲れていると下山する心理が働くから、あの時の判断で命が救われた。山を見ていると、そんな日々を思い出す。