先日、工藤会のトップ野村被告に死刑判決が下された。画期的な判決に、裁判長始め裁判に関わる人々の勇気と執念を感じだ。日頃その道の方々にお世話になることはないが、今から何年か前に仕事で小倉に泊まった時だった。数日前に地元の中華料理屋が爆破され、中国人が街から排除された頃だった。その晩はお目当ての「ごまサバ」を求めて仲間と夜の町を闊歩していると、気のせいか中華の店がないのはその為かと怖くなった記憶がある。特に手榴弾やロケットランチャーまで持っていると聞いていたので、事件に巻き込まれれば一巻の終わりである。
その日はたまたま銀行でカネを下ろすのを忘れたので、手元の現金は僅かだった。カードがあれば大体何とかなるので左程気にも留めなかったが、いく先々の店でそのカードが使えない事が分かった。ホテルも含めてどこも現金主義だった。そう言えば以前シシリア島でも同じ様な経験をしていたので、マフィアの町は似ていると思った。
本物のやくざは知らないにしても、やくざ映画は時々見る。高倉健や渡哲也の渡世人が、ドス一本と義理人情で生きる姿は凄い迫力である。ただ正直この手の映画はあまり好きになれない。一途だが、掟に縛られて自縄自縛して行く姿にどうしても違和感があるからだ。特に戦争が終わって内地に引き揚げ、軍隊の規律から解放されたエネルギーが吹き出したのだろうか?皆んな戦争の功罪を背負っているようで哀れに映る。一度渡世人の道に入ると、二度と後戻りできないもどかしさもある。尤も新しい社会の秩序もこうした抗争から出来て来たのも事実だし、何とも不条理な世界である。
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