Saturday, 18 September 2021

崇徳天皇の怨霊

大手町の一角に平将門の墓がある。昔近くのビルに働いていた頃、会社は祟りを恐れて墓に背を向けた席配置を行う事はなかったし、毎年の供養も欠かさなかった。暫く前に久々に行ってみたが、周辺の建て替えが進む最中でも、清掃とお参りに来る人は絶えていなかった。その平将門は日本三大怨霊の一つである。あとの二人は大宰府の菅原道真と崇徳天皇という。

井沢元彦を読んでいると、その崇徳天皇が面白い処で出て来た。それは明治天皇の即位である。時の明治政府は即位に先立ち、崇徳天皇が流された讃岐の白峯神社から御霊を京都に移し祀ったという。その宣明が読み上げられ、晴れて明治天皇が即位したという。崇徳天皇の時代は読めば読むほど複雑怪奇だが、その崇徳天皇の怨霊伝説は現代でも続いていて、死後800年忌の1964年に行われた東京オリンピックの前には、高松宮が讃岐の神社まで出向いて霊を祀ったというから驚きである。 

明治天皇こと睦仁は孝明天皇の子であった。孝明天皇は幕末に天然痘で突然死を遂げ、直ぐに息子が即位するかと思いきや、実際に即位したのは亡くなった1867年1月から1年半経った1868年10月であった。この空白時に何があったのか?孝明天皇までは北朝だったが、明治になると一転して皇居に南朝の楠木正成像が建ったり、こうして怨霊退治に今も国のカネが使われていたり、分からない事ばかりである。

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