Tuesday, 28 September 2021

子供の友達には気を付けて

フランスのマクロン大統領が就任した時、彼の結婚話が話題になった。奥さんは彼の友人の母親で、15歳で恋に落ちてから14年の歳月を経て結婚に漕ぎつけた。二人の歳の差は24歳というから正に親子である。当時は冗談に「子供の友達が家に来ると気を付けないと!」と、世のお父さん達が心配した。ただ恋の世界は広いとは云え、これは例外かと思っていた。ところがケン・フォレットの「ピラスター銀行の清算(A Dangerous Fortune)」を読んでいると同じような話が載っていて、西洋では決して珍しい事ではないのかも?と思えてきた。

小説は美貌の母親と、南米の事業家になった息子の友達の話である。息子の友達はある時、銀行の頭取になった母親の息子に融資依頼をする。息子はリスクを考えて一度は謝絶するが、息子の友達は母親との関係を使って融資に漕ぎつけるのであった。ところが心配していた通り、それは不良債権となって銀行が潰れてしまう。物語としてはやや稚拙な処は歪めないが、恋もここまで来ると狂気である。 

小説には一昔前の英国が出て来る。サーカスの曲芸師の女が上流階級の男と結婚するサクセスストーリーや、当時台頭してきたユダヤ系の銀行に対する世間の抵抗感など、ロンドンの賭けも出て来る。一匹の犬と60匹の鼠を戦わせ、どちらが生き残るかを競うのである。最初は犬が次々と鼠をかみ殺すが、残り10匹になった辺りから犬に疲れが出始め、最後は鼠に食われてしまう。日本でも闘犬はいるが、英国では結構残虐な遊びをしていたようだ。

Saturday, 25 September 2021

コマネチの故郷

ルーマニアを旅したのは5年前だった。セルビアのベオグラードを朝発ち、ルーマニアのティミショアラに着いたのは昼頃だった。お腹が空いてたのでレストランに入った。地下のレストランで、入り口は狭いのに中は広々として小部屋が沢山あった。食事を待っていると、何処からか祈りの歌が聞こえてきた。食事を兼ねて集まった集団が歌っていて何か神聖な場所に感じた。

ティミショアラはハンガリー国境にも近いので嘗てはハプスブルグ帝国の一部だった。イスラムとキリスト教が混ざり合う土地柄、民族のアイデンティティを確認していたのだろうと思った。

それから東を目指して車を走らせ、夕方になったのでディーバという小さな町で泊まる事にした。「ホテル」の看板が中々見つからないので、ガソリンスタンドの人に聞くと、ペンションと書いた民宿を教えてくれた。ベルを押すとおばさんが出て来て、手振り身振りで話すとOKが出た。「近くに食事できる所ある?」と聞くと、「私が作ってあげる」と言うのでご馳走になった。素朴な肉料理だったが、甘いルーマニアワインを飲むと旅の実感が湧いて来た。 

そのディーバという町は最近、女子体操のコマネチの故郷だと知った。今では女子体操協会の本部が置かれているらしいが、当時はそれを知る由もなく、丘の上に聳える古城跡に登り町を見下ろした。

コマネチはオリンピックで有名になった後、チャウシスクの息子に関係を迫られ最後は米国に亡命した。そのチャウシスクも悲劇的な最後を遂げ、あれから30年以上が過ぎた。彼女の波乱万丈の人生のスタートがこの小さな町だったか!と、アルバムを見て改めて思うのであった。

Tuesday, 21 September 2021

ラドカヌとルーマニア

 先日の全米オープンテニスで、女子は18歳のラドカヌ(Radocanu)選手が優勝した。予選から勝ち上がり、本戦も全てストレートで勝ち、思いっ切りのいいショットと疲れを感じさせないプレーに若さを感じた。英国選手としては、バージニア•ウェード以来の快挙という。

聞き慣れない名前に初めは南米の人かと思った。しかし聞いていると、父親はルーマニア人で母親は中国人という。カナダのトロントで知り合った2人は、彼女が2歳の時に英国に移住したと言う。ルーマニアは昔から国を出て行く人が多かった。映画「カサブランカ」でもカジノに来た夫婦は、アメリカを目指すルーマニア人だった。若い夫が慣れないギャンブルに入る時、幸い店の主人リックに助けられて事なきを得るが、当時はドイツの侵攻が原因で体制派に追われた。

ラドカヌの父親の場合はどうだったのだろう?子供の頃はチャウシスク時代で多くの悲劇があった。人口増加策で親のない子供が街に溢れ治安が悪化したり、独裁の煽りで亡命も増えた。体操のコマネチもその1人だった。母親もどう言う事情で中国を出たのだろう?テニス選手はシャラポワやラオニッチ、嘗てのアガシやサンプラスもそうだが移民が多い。プレーも去る事ながら、波瀾万丈の軌跡の方が気になる。特にルーマニアのイメージは薄暗くて不気味なだけに、ドラキュラのように想像力を掻き立てる不思議な魅力がある。

Saturday, 18 September 2021

崇徳天皇の怨霊

大手町の一角に平将門の墓がある。昔近くのビルに働いていた頃、会社は祟りを恐れて墓に背を向けた席配置を行う事はなかったし、毎年の供養も欠かさなかった。暫く前に久々に行ってみたが、周辺の建て替えが進む最中でも、清掃とお参りに来る人は絶えていなかった。その平将門は日本三大怨霊の一つである。あとの二人は大宰府の菅原道真と崇徳天皇という。

井沢元彦を読んでいると、その崇徳天皇が面白い処で出て来た。それは明治天皇の即位である。時の明治政府は即位に先立ち、崇徳天皇が流された讃岐の白峯神社から御霊を京都に移し祀ったという。その宣明が読み上げられ、晴れて明治天皇が即位したという。崇徳天皇の時代は読めば読むほど複雑怪奇だが、その崇徳天皇の怨霊伝説は現代でも続いていて、死後800年忌の1964年に行われた東京オリンピックの前には、高松宮が讃岐の神社まで出向いて霊を祀ったというから驚きである。 

明治天皇こと睦仁は孝明天皇の子であった。孝明天皇は幕末に天然痘で突然死を遂げ、直ぐに息子が即位するかと思いきや、実際に即位したのは亡くなった1867年1月から1年半経った1868年10月であった。この空白時に何があったのか?孝明天皇までは北朝だったが、明治になると一転して皇居に南朝の楠木正成像が建ったり、こうして怨霊退治に今も国のカネが使われていたり、分からない事ばかりである。

Thursday, 16 September 2021

言霊信仰って?

昔SNSもない頃、飲み会に行く度に会の名前を付けた事がある。そもそもは次回集まり易いと思ったのが切っ掛けである。例えば友人と神谷町で飲むと「神谷会」、居酒屋の三河屋で飲むと「みかわ会」、それが9月だったら「長月会」と・・・。すると不思議とメンバーが固定され、集まりに選民意識が働く。面白いのは次第に会の名前は独り歩きし始める事である。周囲に「今度XX会があるので」と云うと、必ず「それってどういう会なの?」と聞かれ、中には「俺も入れてくれよ!」と言いだす人が出て来る。その時は勿体ぶって「会のメンバーに聞いてみないと・・・」と焦らすのが常だったが、どうでもいい飲み会が、いつの間にかエクスクルーシブなステータスを得るので可笑しかった。

確かにそれは、人が多い割にはモノが不足していた時代だった。だから人は差別化を図るべく、他人が知らない世界を求めていたのかも知れないが、それは後になって分かった事である。今の日常の中でも、意外と知らずに騙されている事があるのではないか?最近そんな思いを強くしたのが、言霊(ことだま)信仰である。例えば昨今のコロナワクチン、政府は安全だと接種率の向上に努めている。ところがワクチンの死亡保険は4420万円だから、万が一を想定している。でも政府は「ショックでお亡くなる場合もありますが、その時は保険金が払われるのでご安心下さい」とは絶対言わない。当たり前である。言った瞬間に「政府は国民を殺そうとしているのか!」と反感を買うからだ。それは「政府は一部の犠牲も容認している!」に繋がる。 

実はこの「言霊信仰」は、日本史の井沢元彦の本「日本史真髄」に出ている言葉である。氏はこの他にも「ケガレ忌避信仰」や「怨霊信仰」など、日本人の心に潜む謎に迫っていて大変面白い。悪事を水に流す日本人と死んでも罪を許さない中韓の文化など、朱子学が分かるとお隣との違いも分かってくるようだ。また一度勤めた会社を退職すると二度と暖簾を潜れなかったり、昔は離婚した娘に敷居を跨がせなかったのも、そのケガレと関係ありそうだ。大作の「逆説の日本史」はとても全部は読み切れないが、昨年は宮脇淳子に凝ったように、今年は井沢元彦に傾注している。

Monday, 13 September 2021

カジノと横浜

横浜の市長選が終わり、予想外の大学の先生が当選した。自民党が推した小此木さんが敗れて菅さんまで総理を退く原因にもなったし、元知事の田中、松沢氏も落ちる散々な選挙だった。

争点だったカジノは、これで実現は困難になった。以前からカジノについては抵抗が強かったので、妥当な結果だと思う。そもそもカジノはギャンブルや賭博と思っている人が多いが、元々は社交場の娯楽で綺麗なイメージがある。ラスベガスやマカオの大型施設はむしろ例外で、一般的にはこじんまりした佇まいである。本来カネを賭ける事はあまり得意ではないが、今まで行ったロンドンはサラリーマンが仕事の後に立ち寄る倶楽部の雰囲気だったし、フランスの避暑地ドーヴィルはモネの絵に出て来るような華やかさがあった。エストニアのタリンは外が寒いせいか、暖を求めて若者が集う場所だった。そんな文化もない国が、突然大型施設を作るIRなんてやはり無理があった。また「カジノはギャンブル依存症になる」と言われるが、もっと懸念されるのは、行く場所がない男たちの溜まり場になる事だ。朝から仕事もせずにルーレットの前でブラブラ過ごす姿を考えただけでも、廃案になって良かったと思っている。 

その横浜だが、吉村昭著「アメリカ彦蔵」を読んでいると、日本で最初に新聞が出来た町だという。破船漂流してアメリカに渡った彦蔵がアメリカの通訳として帰国し、今まで伝聞に頼っていたニュースを紙にしたのが始まりだった。面白いのは、日本語に弱い彦蔵がその道のパートナーを探すのに、外国人経営の洗濯屋の情報網に頼った事だった。その甲斐あって辞書で有名なヘボンに仕える日本人を見つける事が出来た。横浜は当時まだ寒村で、江戸に出れない外国人の街だった

Saturday, 11 September 2021

眞子様とメーガン妃

小室さんと眞子様の結婚が近づいていると、大きな話題になっている。個人的には二人の意思を尊重され、目出度くゴールイン出来ればいいなと思っている。ただマスコミで囁かれるNYでの生活が始まれば、生活費やセキュリティーなど大変なのは事実だ。小室さんの母親の借金問題もまだ燻っているようだし、悠仁様が将来天皇になれば「天皇の姉」としての立場も続いて行く。全く難問ばかりで、公家に生まれた宿命とは言え可哀そうな気がする。

眞子様はよく英国のメーガン妃と比べられる事がある。メーガン妃は離婚歴と黒人の血を引く異例の女性としてロイヤル入りをし、最近は王室を離脱してアメリカで生活を始めた。これには当初国民の怒りが高まるかと思われたが、意外にも支持する人が多く、今では皇室人気の№1はエリザベス女王を凌いでハリー王子だと言うから驚きである。そう言えば次期国王のチャールズ皇太子がダイアナ妃の死後、元愛人を妻にしたのも大きな事件だった。ただその後の様子を見ていると、国民は二人を許容している感がある。その証拠にロンドンの土産物の売店には、昔と変わらぬロイヤルの写真が売られていて買い求める人は後を絶たない。007やMr.ビーンの映画にも女王が登場するお国柄は、英国王室の日頃の努力の賜物だと思っている。

こう考えると今はパッシングを受ける小室氏だが、時間が経てばヒーローになる可能性もある。晴れて弁護士資格を得て、NYで独立出来れば見る人の目も変わってくるというものだ。眞子様にも窮屈な天皇家から離れ、NYで自由を満喫する姿が紹介されれば憧れる女性は多いはずだ。何より妹の佳子様も元気付けられる。日本人の意識も昔と大分変ってきているし、皇室が時代に合わせて変身しようとする姿に、国民は必ず勇気付けられるはずである。

Sunday, 5 September 2021

武将の末裔

幕末史に凝っていると、俳優の近藤正臣が出て来た。地味な俳優だが、彼は安政の大獄で捕らえられた近藤正慎という侍の末裔だという。正慎は僧侶の月照の行方を聞かれ、黙秘を貫いた後自害したと云う。京都の清水寺の「舌切茶屋」はその親戚が営んでいると聞いて、歴史がグッと身近になって来た。因みに月照はその後、西郷隆盛と鹿児島の錦江湾で入水して亡くなった。初めてこの男同士の心中話を聞いた時は、何か気持ち悪いものを感じた。その後の西南戦争の動きなどを見ても、西郷隆盛は往年の面影もなく病気ではなかったか?と思っている。

今に生きる芸能人が歴史上の人物の末裔だった例は多い。歌手の加山雄三が岩倉具視の玄孫だったり、スケートの織田信成が織田信長の末裔は有名な話である。調べてみると他にも結構な数がある。例えばサンドイッチマンの伊達みきおは伊達家の末裔は驚きだし、女優の釈由美子は蜂須賀小六、歌手の吉川晃司は毛利元就、松田聖子は筑後の大名蒲池鑑盛(かまちあきもり)、宝塚の寿美花代は松平定信等々。武豊も血は繋がっていないが西郷隆盛の系統を継ぐという。 

歳を取ると自分のルーツを知りたくなるものだ。系図作りの会社もあるし、これを契機に自分探しを始めたくなってきた。

Thursday, 2 September 2021

やくざと現金の町

先日、工藤会のトップ野村被告に死刑判決が下された。画期的な判決に、裁判長始め裁判に関わる人々の勇気と執念を感じだ。日頃その道の方々にお世話になることはないが、今から何年か前に仕事で小倉に泊まった時だった。数日前に地元の中華料理屋が爆破され、中国人が街から排除された頃だった。その晩はお目当ての「ごまサバ」を求めて仲間と夜の町を闊歩していると、気のせいか中華の店がないのはその為かと怖くなった記憶がある。特に手榴弾やロケットランチャーまで持っていると聞いていたので、事件に巻き込まれれば一巻の終わりである。

その日はたまたま銀行でカネを下ろすのを忘れたので、手元の現金は僅かだった。カードがあれば大体何とかなるので左程気にも留めなかったが、いく先々の店でそのカードが使えない事が分かった。ホテルも含めてどこも現金主義だった。そう言えば以前シシリア島でも同じ様な経験をしていたので、マフィアの町は似ていると思った。 

本物のやくざは知らないにしても、やくざ映画は時々見る。高倉健や渡哲也の渡世人が、ドス一本と義理人情で生きる姿は凄い迫力である。ただ正直この手の映画はあまり好きになれない。一途だが、掟に縛られて自縄自縛して行く姿にどうしても違和感があるからだ。特に戦争が終わって内地に引き揚げ、軍隊の規律から解放されたエネルギーが吹き出したのだろうか?皆んな戦争の功罪を背負っているようで哀れに映る。一度渡世人の道に入ると、二度と後戻りできないもどかしさもある。尤も新しい社会の秩序もこうした抗争から出来て来たのも事実だし、何とも不条理な世界である。

Wednesday, 1 September 2021

アフガンは遠い国

アフガニスタンから米軍が撤退した。カブール空港に押し寄せる群衆を見て、切羽詰まった緊張感が伝わってきた。各国の救援機の中に日本の自衛隊機も行ったが、結局まだ500人もの日本人が取り残されていると聞き心配だ。それにしてもイランやかつてのベトナムもそうだが、米軍の撤退には多くの人の命が掛かっている。

そんな事を友人のМさんと話していると、「タリバンは怖いよな!後藤健二さん殺害の時のオレンジ服が忘れられないよ!」と言うので、「それってイスラム国(IS)じゃないの?」「そっかー!でもオサマ・ビン・ラディンも死んだし、今は誰が指導者なのだろう?」「オサマはアルカイダじゃなかったけ?」と話がかみ合わない。そもそもタリバンとIS、アルカイダの違いもよく分からないし、アフガニスタンの国が地図上どこにあるか聞かれても答えられない。 

恥ずかしながらアフガニスタンと聞いて思い浮かべるのは、ランボーの映画「怒りのアフガン」である。でもあの時はソ連相手に戦っていたからちょっと今とは違う。最近では「ホースソルジャー」やビンラディン暗殺を扱った「ゼロ・ダーク・サーティー」も見たが、所詮は娯楽映画である。砂漠の中で髭を蓄えた男たちは元来悪役で、どうして戦っているのか考えた事もなかった。アフガニスタンが少し身近になったのは、医師の中村哲さんが殺害された時であった。テレビで特集が組まれて故人を偲んでいたが、中村さんが「タリバンは何でも壊してしまうんです。願いは一日三度の食事を取れる事です」と嘆いていた言葉が耳に残っている。相変わらず遠い国には変わりないが、これから新たな国作りが始まるしタリバンとて所詮同じ人間である。未知の国を知るにはいい機会だ。