中岡慎太郎を輩出した安芸郡にはもう一つ、三菱の祖岩崎弥太郎の記念館もあった。最近出来たのだろうか、CGで彼の生い立ちが分かり易く紹介されていた。父の急変で江戸から徒歩で13日走り詰め投獄された逸話や、倒幕の武器調達で財を成した話など興味深かった。成功の秘訣は創業時に親子兄弟4代の社長が続いた事だと分かった。慶應義塾や東京帝大の卒業生を積極的に採用したのも画期的だった。
十分予習をした後は近くの生家を訪れた。武家屋敷から離れた田んぼの先に、小綺麗な旧家が残されていた。係の人の話だと、弥太郎の家は地下浪人(元郷士)と身分が低かったので、玄関がなく直接居間に上がる作りだという。確かに質素だがそれにしても良く手入れが行き届いていて、三菱グループの聖地保存の努力の跡が伺えた。帰り際、やはり係の人が特別にと奥の部屋を見せてくれた。そこは弥太郎、彼の継いだ弥之助、久弥も生まれた場所で、三菱関係の人が来ると、座敷を撫でて後利益に預かるスポットらしい。
弥太郎が生まれたのは1835年、龍馬もこの頃に生まれているので二人は殆ど同世代である。方や31歳の若さで幕末の露と消えたかと思うと、三菱は今や4000社を超え従業員も87万人を抱える大企業集団である。どちらも名を馳せようとした訳ではないだろうが、幕末の動乱が二人を数奇な運命に導いた。それにしても、こんな片田舎からどこからあのエネルギーが出て来たのか?想像すら出来ないのであった。
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