その「プロイセンから受け継ぐ騎士道」と言われても正直ピンと来ない。何故ならプロイセン王国もドイツ騎士団も現存しないからである。ただ旅をしていると思わぬ処で地図にない歴史に出合う事がある。
あれはチェコ国境からバルト海のグダニスクに向かう途中だったか、トルン(Torun)という町に立ち寄った。今ではポーランドで有数の世界遺産の町として有名だが、どこか中世ドイツの町に似ていた。調べてみたら、やはり嘗てはプロイセン王国の傘下であった事が分かった。この町はコペルニクスが生まれた町でもあり、その為か彼はドイツ人かポーランド人か今でも議論が続いているという。彼の地動説はひっそりと公表されたので、宗教上の対立には至らなかったようだ。それは町の市長でもあり司祭でもあった彼が周到に用意したためだ。そう思うとドイツ的な感じがした。
ヨーロッパにはこのように戦争を挟んで国が変わる町が多い。ドイツとフランス国境のアルザス地方もそうだ。アルザスは普仏戦争でドイツ領になったが、第一次大戦が終わるとフランス領に、第二次大戦が始まるとドイツ領になり終わると又フランス領に戻った。現地の人と話していた時、父はフランス人だが祖父はドイツ人で曾祖父はフランス人だったと、その時は何が何だか分からないような話を聞いたのを覚えている。そう言えばエストニアのタリンで道を聞いた年配の女性も「英語は駄目だけどドイツ語なら分かるけど」と話していたり、リトアニア人がポーランド人に似ていたり、機内で隣合わせた人が「私はアメリカに住むモンテネグロ人です」とか、聞くとハッとする事が多い。
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