モンテネグロは同じ正教徒のセルビアと親しかった。最後は別々の道を歩むのだが、そのセルビアを代表するのが世界一のジョコビッチ選手である。ただ彼は実力の割には今一つ人気がない。人々は大国を傘にしたサラエボ包囲やイスラム系へのジェノサイトを連想するのだろうか。勿論本人とは関係ないが、ただ彼が勝った時に両手を差し出すポーズは、旧ロシア正教を汲む仕草と分かるので変な気持ちになる。古くはローランギャロスのコートで背中を刺された女子のセレシュ選手もいたりセルビアの根は深い。旅するとのどかなバルカン諸国だが、未だに火薬の匂いが残っている。
Sunday, 30 May 2021
ラオニッチとユーゴ解体
先日アイルランドのRyanairがハイジャックされた。アテネからリトアニアの首都に向かうと途中、ベラルーシ軍から緊急着陸の指示がありミンスク空港に不時着陸した。何と反体制派の男を捕まえる国家によるハイジャックと分かりビックリした。Ryanairは今まで何度も使ったのでとても他人事ではない。欧州を低価格で移動出来て、例えば閑散期ならバルト三国からストックホルム迄は5千円程度と有難い。特徴は着陸した時にファンファーレが鳴る。”安かろう悪かろう”で、無事着陸出来た乗客は一斉に拍手するのであるが、ジョークにしても何と怖い飛行機だと最初は思った。
そのベラルーシだが勿論行った事もなく、頭に浮かぶのはチェルノブイリ原発とシャラポア位である。後にテニスのシンデレラになったシャラポア(Sharapova)は、父に連れられ原発事故後のベラルーシからアメリカに渡った。着いた時に父のポケットには50ドルしかなかった話は有名である。テニスの選手にはこうした生い立ちが多い。例えばカナダのラオニッチ(Raonic)選手、錦織と同じ世代でビックサーバーの持ち主で、端正な顔立ちは生い立ちの良さを物語っている。彼の両親はエンジニアだが祖父はモンテネグロの副首相まで務めた政治家であった。詳しい事は分からないが、ユーゴスラヴィアが解体し、独立に至る過程で旧体制だったソ連寄りの人が多く排除され殺された。飛行機で隣合わせた夫人もその恐怖からアメリカに逃れたと言っていたが、ラオニッチの両親も1986年に出国しそれから4年後に彼が生まれた。
Tuesday, 25 May 2021
プロイセン王国の町
その「プロイセンから受け継ぐ騎士道」と言われても正直ピンと来ない。何故ならプロイセン王国もドイツ騎士団も現存しないからである。ただ旅をしていると思わぬ処で地図にない歴史に出合う事がある。
あれはチェコ国境からバルト海のグダニスクに向かう途中だったか、トルン(Torun)という町に立ち寄った。今ではポーランドで有数の世界遺産の町として有名だが、どこか中世ドイツの町に似ていた。調べてみたら、やはり嘗てはプロイセン王国の傘下であった事が分かった。この町はコペルニクスが生まれた町でもあり、その為か彼はドイツ人かポーランド人か今でも議論が続いているという。彼の地動説はひっそりと公表されたので、宗教上の対立には至らなかったようだ。それは町の市長でもあり司祭でもあった彼が周到に用意したためだ。そう思うとドイツ的な感じがした。
ヨーロッパにはこのように戦争を挟んで国が変わる町が多い。ドイツとフランス国境のアルザス地方もそうだ。アルザスは普仏戦争でドイツ領になったが、第一次大戦が終わるとフランス領に、第二次大戦が始まるとドイツ領になり終わると又フランス領に戻った。現地の人と話していた時、父はフランス人だが祖父はドイツ人で曾祖父はフランス人だったと、その時は何が何だか分からないような話を聞いたのを覚えている。そう言えばエストニアのタリンで道を聞いた年配の女性も「英語は駄目だけどドイツ語なら分かるけど」と話していたり、リトアニア人がポーランド人に似ていたり、機内で隣合わせた人が「私はアメリカに住むモンテネグロ人です」とか、聞くとハッとする事が多い。
Saturday, 22 May 2021
ドイツ民族の心
3年前にポーランドを旅した。戦跡巡りを趣味とする者にとっては、ノルマンジーやワーテルローなどの華やかな表舞台も沙流事ながら、暗い過去にも触れない訳には行かなかった。訪れたのはベラルーシやウクライナ国境近くの多くの強制収容所である。地の果てに寒々しく広がる広大な施設は当時のまま保存されていて、歩いているとヒトの声が聞こえて来るようで怖かった。そんな旅の中で是非行ってみたい所があった。それはドイツ軍の大本営跡である。別名「狼の巣」と呼ばれるヴォルフツシャンツェ(Wolfsschcanze)である。琥珀で有名なグダニスクの町から車で数時間走っただろうか、森の中に佇むブンカーを見に多くの観光客が集まっていた。
コンクリ-の廃墟を歩き回る事一時間、一番のスポットはヒットラーの暗殺未遂に終わったブンカ-跡である。今では取り壊されていたが、1944年7月に側近の大佐が爆弾を仕掛けてクーデターを試みた場所である。トム・クルーズ主演の映画「ワルキューレ」など多くの作品でも見たので、それと重ね合わせ中々臨場感があったのを覚えている。その主役であるクラウス・フォン・シュッタウフェンべルグ(Claus von Stauffenberg)を扱った小説、「Secret Germany」を10年振りに読み返してみた。副題はStauffenberg And The Mystical Crusade Against Hitler(ヒットラーに対抗した謎の聖戦)である。どこか神秘的な響きがあるかと思って改めて著者を見ると、あのThe Holy Blood And The Holy GrailのMichael BaigentとRichard Leighだと分かった。昨年ダ・ビンチ・コードで有名になったキリストの聖地「レンヌ・ル・シャトー」の謎に凝っていたので、確かに同じ匂いが伝わってきた。
Secret Germanyなる言葉は、Stauffenbergが師事したドイツの詩人Stefan Georgeから引用している。中々難解な本だが、ドイツ人がプロイセンから受け継ぐ騎士道と崇高な精神を歴史を絡めて語っている。最初に読んだ時には地元のヴァーヴァリア地方特有の思想かと思ったが、良く読むとそれはFolk Soul(民族の魂)と呼ぶドイツ人全体を指していた。本の中でロシア人を物質主義者と呼んでいたので、それと対比すると分かり易かった。貴族であるStauffenbergは正にその精神の継承者で、それがクーデターの動機にもなった。ヒットラーが民衆の支持を得たのも、皮肉にもその精神を煽ったからである。本には精神の支柱としてゲーテがよく登場した。今まで殆ど縁がなかったがドイツを知る上で不可欠のようだ。これを契機に興味が沸いてきた。
Monday, 17 May 2021
林住期を生きる
今年も長野の山奥で過ごそうと思っている。自然は飽きないし、陽が昇ると目を覚まし陽が暮れると酒を飲んで床に就く。不思議に一日はあっという間に過ぎていく。何より気圧が低いのが快い。誰かが胎内と同じ環境と言っていたが、暫くいるとそれが段々分かってくる。そんな生活振りを見て旧友のMさんは、「それはヒンズー教の林住期を地で行っているね!」という。話を聞くと、古代インドでは65歳を過ぎると家族と離れ、森の中で修行と瞑想に耽るらしい。漢字を一つ間違えれば臨終期になってしまうが、今でいう終活の一種のようだ。
瞑想とは聞こえはいいが、晩年は自身の過去と向かい合わねばならない。上手く行った体験もあるが、思い出すのは殆ど失敗談である。若気の至りで不徳を重ねた付けを償うのは大変だ。出てくるのは後悔と恥ずかしさばかりで、今ならもっと上手くやれるのにと思っても時既に遅しである。色々な人の顔も浮かんでくる。先日も今から20年も前に自宅で行った桜の花見を思い出した。友人の一人が気を利かせ知り合いの若いサックス奏者を連れてきた。その人が素晴らしい演奏をして会に華を添えてくれたのだが、その時は「有難う」を言って帰って行った。ただ彼はプロだったので謝礼を包まなくては行けなったのではないか!そんな事にハッと気が付いた。死ぬまでこんな葛藤が続くのだろうか?正に人生は修行である。
そんな事を考えていたら、ジョージ・オーウェルの「1984」の中に、ある老人が「年寄りになると、若い頃と同じ悩みをしなくて済む」みたいな話をしていた。確かに若い頃は仕事や恋愛で悩むことが多かった。これから先、俺の人生はどうなるのだろう?毎日そんな不安を持って生きていた気がする。幸いその心配は今もうないし、そう思うと気が少し楽になる。折角ここまで来たのだから、余り自身を責めないで生きて行きたいものだ。
Saturday, 15 May 2021
復古版の魅力
先日丸の内の丸善に行くと、店頭に中公新書の「ルワンダ中央銀行総裁日記」が山積みされていた。昭和47年に発行された復古版で懐かしかった。著者は日銀の服部正也氏、若くしてアフリカの中央銀行総裁を委嘱された国際バンカーである。当時は開発経済学に興味を持っていたので、アフリカの最貧国で6年も暮らした様子に感動した記憶がある。就職の時にアンケートで「感銘を受けた本」という欄があったので迷わずこの本を挙げると、暫くして会社の推薦図書になった。それにしても今頃どうして?と不思議だった。
そんな事で本棚から取り出し何十年ぶりに読み返してみると、若い頃に見えなかった景色が見えて来た。例えば当時は氏の赴任経緯や生活振りに感心があり、仕事の中身は二の次だった。ただ本書はあくまで業務報告書だから今回はその仕事振りに感心した。中央銀行を立て直すにはどうするか?著者は帳簿付けから始めたというが、国際収支の項目を一つ一つ数字を掘り下げる手法に「仕事はこうやるのか!」と教えられた。その意味でとても実務的な人だったが、もう一つは稀有の優秀な人だと思った。大統領から経済再建計画案を頼まれると一人で仏語で書き上げて、タイプに回すと完成していた件りでそれが伝わってきた。
ところでそんな忘れられた名著は多い。例えばボブ・ラングレーの「北壁の死闘」やコリン・フォーヴズの「氷雪のゼルヴォス」は暫く前に復古で出ていた。居ながらにして山岳のスリルを楽しめると、アームチェアークライマー(安楽椅子登攀者)なる言葉もその時知った。その頃は山岳小説に凝った時でもあり、夢枕獏の「神々の山嶺」や新田次郎の「孤高の人」も良かった。一押しは何と言ってもハンス=オットー・マイスナーの「アラスカ戦線」である。ドイツ人がアッツ島の基地探索を行う日本兵を描いた異色の作品である。その他ジュール・ベルヌの「アドリア海の復讐」は以前書いた通りだが、ジョン・トーランドの「勝利なき朝鮮戦争」やラリー・ガーウィンの「誰が頭取を殺したか」、アリステア・マクリーンの多くのフィクション小説など、復古させると絶対売れると思うのだが。
Friday, 7 May 2021
原発と天の裁き
先ごろ東芝が、CVCの買収提案を巡って社長が辞任する事態になった。粉飾事件から回復している最中だがまだまだ道険しの感がした。嘗ての名門企業をここまで貶めたのは原発である。東芝はGEの沸騰水型原子炉(BWR)を推し進め、三菱重工が窓口となったウェスティングハウスの加圧水型原子炉(PWR)と対抗していた。ところがPWRが世界の主流となるや、一転して競合先のウェスティングハウスを買収する事にした。しかも買収金は市場の3倍の6000億円強、それがケチの付く始まりだった。
この話は、暫く前にベストセラーになった小出裕章氏の「原発のウソ」にでていた。原発への過信は時として天の裁きを受けるのではないか?それは福島事故の時に直感した。いい例がソ連崩壊となったチェルノブイイの事故である。東芝もその轍を踏んでしまったのか?原発輸出を巡っては日立の英国や三菱重工のトルコ始め、リトアニア、ベトナムでも苦戦を強いられている。今更ながら自国で散々痛い目に遭っているのに、それを輸出の目玉にする事自体ナンセンスだったのではないか。
その本の中に原発冷却水の海洋放出の話があった。一般には人体等に影響はないので各国が行なっている処理だが、その量は年間で1000億トンという。日本の川の水量が全体で4000億トンというからその量に驚いた。海に出た時には7度の湯になるそうで、この海温の上昇が魚に影響しない訳はない。昨年来サンマの漁獲が激減しているが、日本列島に寄って来ない事が原因という。マスコミなどは中国漁船が乱獲していると言っていたが、本当にそれだけなのか?原発については日頃あまり考えないようにしている。気にすれば心配で何も出来なくなるからだ。しかしそれもそろそろ限界に来ようとしている。
Wednesday, 5 May 2021
銀行家の死
暫く前にRon Chernowの大作「モルガン家」と「ウォーバーグ」を読んだ。勿論翻訳版であったが、それを友人のモルガンに勤めていた人に云うと、「ああ、House of Morganね!原書で読んだの?」と聞かれ返事に困ってしまった。それから暫くして、書棚にやはりRon Chernowの「The Death of the Banker」の原書があるのに気がついた。いつ買い求めたのか?きっとどこかの空港の書店で目に入ったのだろう?忘れて眠っていたのだった。こちらは100頁程度と薄いので、だったらこの際チャレンジしてみようという事になった。ところがいざ読み始めると見知らぬ単語がやたらに多い。丹念に辞書を片手に紐解いて行くうちに、2週間で500語程になっただろうか?改めて自身のボキャブラリーの無さを痛感したが、おかげで精読出来た。
本書はモルガンとウォーバーグに代表される銀行家の時代が終わって、今に至る質から量の時代を俯瞰している。先の大作にも出てきたが、戦後アメリカで個人投資家が台頭し、ソロモン・ブラザースやメリルリンチなどのインベストバンクが老舗に取って代わる様子を分かり易く解説していた。アメリカを中心にした大量の引き受けとドレーディングの時代が、伝統的なシティーの論理に取って代わったのであった。
兎角我々の知る銀行は競争が厳しく、晴れている時に傘を貸し、雨が降ると取り上げる、言わば顧客を差し置いて自己の利益追求する会社になってしまった。日本もそうだろうが、古き良き時代はもっと高貴で役割も大きかった。一体何をやっているのだろう?という気持ちになってきた。
Monday, 3 May 2021
二つの命
愛犬が急に食べなくなった。動物病院に連れて行くと脾臓が膨らんでいる事が分かった。放っておくと手遅れになるので手術をするなら早い方がいいと言われた。ただ手術をすると、術後の命も短くなる話はよく聞く。老体にメスを入れ、1週間も見知らぬ病院で過ごすのも可哀そうだ。悩んだ挙げ句、最後は自然体で過ごす事に決めた。今回はまだ9歳にもならないから余りに早かった。頭を撫でながら、1日でも生きて欲しいと祈っている。
そんなある日、家の前で大きな望遠レンズのカメラを持った人がいた。カメラが此方を向いているし、自宅を撮影しているのかと思って、「何をしているのですか?」と聞くと、「その桜の木にシジュウガラの巣があるのですよ!」という。近づくと木の隙間からピーピーと雛が鳴く声が聞こえてくるではないか。その人は野鳥愛好家で、親鳥が器用に巣からフンを取り出す様子などを撮った写真を見せてくれた。以来時々その木の下に行って、雛鳥の鳴き声を聞いて楽しんでいる。パブロ・カザルスが「鳥はPeace! Peace!と鳴く」と言っていた。そう思うと余計幸せな気分になる。
終わりが近づいて来た愛犬と 新たに生命を宿りこれから巣立ちを迎えるシジュウガラ、2つの命が交差しようとしている。
Saturday, 1 May 2021
孫文の日本滞在
暫く前だが文京区に行った時、時間があったので白山神社に寄った。高台にある小さな寺だったが、庭に孫文の碑があった。孫文のモチーフには「孫文先生座石」と刻まれてあった。どうやら近くに住んでいた宮崎滔天という浪曲家が彼を匿っていたようで、その縁で寺にもよく寄った因縁らしい。それにしても意外な所で意外な人と出会った。
孫文は辛亥革命で清国を倒して中華民国を作った生みの親である。ただハワイ出身の客家(ハッカ)だった事もあり、革命後の実権は軍人の袁世凱が握った。その後も蒋介石の国民党に移って行ったので、彼の表舞台は辛亥革命までで終わった気がする。それはそれとして、昨年はその辛亥革命(1911年)から数えて100周年の記念すべき年だった。こうして多くの日本人が孫文を支えた事を思うと、「近代中国は日本が作った!」と言っても過言ではない。確か歴史家の宮脇淳子さんも同じような事を言っていたが、マスコミは何故この事実をもっと取り上げないのだろう?とても不思議である。
勿論、今の中国共産党はそうは言ってはいない。習近平体制にとっての100周年は2049年だからである。スタートは中華人民共和国が建設された1949年にしている。何を始めとするかは、今を正当化する上でとても大事である。毛沢東の共産党も国民党に勝って初めて表舞台に出て来たし、そもそも外国からみれば、孫文も蒋介石も毛沢東も所詮は皆大陸内部の話に過ぎない。やはりアンシャンレジームの清朝が滅亡した1911年が近代代中国の出発点なのである。この事がはっきりすると、お互いの立ち位置も変わってくる。
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