Friday, 12 March 2021

モルガンお雪の話

Ron Chernowの「モルガン家(The House of Morgan)」は、密度が濃くとても斜め読みは出来ない本である。日本との関りも所々に出てきて、例えば関東大震災の復興公債を通じて知り合った井上準之助蔵相や三井財閥の團琢磨など、モルガンのラモントからとても信頼されていた事が分かる。同じ頃に高橋是清がユダヤ系のウォーバークと親交が深かったように、当時の国際人脈は豊かだった。Morgan Guarantyの東京支店開設に尽力した人物として樺山愛輔氏も登場する。どこかで聞いた名前?と思っていたら、松本重治氏の「上海時代」に日本人で初めて上海倶楽部に入会を許された樺山翁だった事を思い出した。そしてもう一人、「モルガンお雪」なる女性もいた。初めて聞く数奇な話にビックリ!したのである。

時は日露戦争の3年前、2代目モルガン家党首のJohn Piermont Morganを叔父に持つGeorge Denison Morganなる人物が日本に美術品収集で滞在した。京都を訪れた彼は、祇園で芸妓のお雪を見染め結婚を申し込んだ。彼女は19歳、以来4年に渡り三度の訪日を経て遂に二人は結ばれたが、その時の身請け金は4万円(現在の8億円)と破格の玉の輿で話題になった。そして二人はNYに移ったがWASPのモルガン家から相手にされる訳もなく、当時の新聞にも「彼は正気か?(Has the boy lost his senses?)」と書かれたように孤立した。その為フランスに移り住んだが、間もなくGeorgeは39歳で他界しお雪は一人になってしまった。彼女の晩年は、莫大な遺産に支えられニースと京都で暮らしたという。 

モルガンが身近になったのは80年代初めだっただろうか、日本経済の絶頂期にトリプルAの邦銀に世界から起債や共調融資の話が舞い込んだ。その中にMorgan Guarantyもいたが、当時の頭取はDenis Weatherstoneという叩き上げの人だった。兎角モルガンと言えば、プロテスタント系の白人で学歴・財産を備えた人を指していたので、ブックキーパーからトップに登り詰めたキャリアは話題だった。況や時代は遡るが、日本人のしかも芸者ガールを妻を娶ったファミリーの苦悩は容易に想像出来る。同じように銀座のママからインドネシアの大統領に嫁いだデヴィ夫人もいたが、その後の人生は様々だ。

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