ロレンスがアラビア半島に派遣されたのも、そのスエズ運河の防衛が重要な任務だった。反オスマンの首領を集めてアカバ港への奇襲や、灼熱砂漠をラクダで渡るシーンは何度見ても感動的だった。オスマン軍に捕らえられ男色の屈辱を受けた事で人が変わり、後に残虐になった件も心に残った。ちょうどDVDが出始めた頃で、会社で英語学習と称して無料貸与され何度も見させて貰った。
Wednesday, 31 March 2021
ロスチャイルドとロレンス
先日、スエズ運河で日本のコンテナ船が座礁した。水路は通行止めになり、石油の価格が一時大幅に上昇したと言う。本物を見た事はないが、写真で見ると本当に狭いことが分かる。昔に映画「アラビアのロレンス」で砂漠の先に突然船が現れるシーンがあったが、誠に不思議な光景であった。
そのスエズ運河だが、D.ウィルソン著「ロスチャイルド、権力と富の物語」の中に当時の様子が良く書かれていた。時は1875年、オスマントルコがヨーロッパの病人と呼ばれ衰退の一途を辿っていた頃で、傘下のエジプトはスエズ運河の資金繰りに窮していた。それを救ったのが英国であった。英国はロスチャイルドから即金で4百万ポンドの拠出を仰ぎ、44%の経営権を握ってフランスと並ぶ大株主なったのであった。一方で議会を通さない手法は後に国内から非難されたが、ロスチャイルドの大きさを象徴する出来事だった。
Sunday, 28 March 2021
ワクチンの保険金
コロナワクチンの接種が始まると言う。やっと光が差してきた。でもどこか副作用がでないか不安である。以前インフルエンザの注射をした後グッタリ経験から、今回は打つべきか、あるいは様子をみるべきか悩んでいる。そんな時に友人のFさんが、「何かあった場合は4,000万円が出るそうだよ!」と教えてくれた。どうやらワクチン注射で死亡した場合、国から4,000万円(正確には4,420万円)の保険金が出るようだ。Fさんは「俺も先が短いから女房に残しておくカネが出来たよ」みたいな冗談を言っていたが、だったら俺も打つか!みたいな気持ちになってきた。
それにしても4,000万円は大きなお金である。早速テニスコートで順番待ちしていた時、隣の人にこの事を話してみた。最初はあまり反応しなかったが、「4,000万円、4,000万円だよ!・・・」と呟くうちに、やっとその大きさに気が付いたのか、「それは凄いね!」と目がキラリと光ってきた。
人は何やかんや言ってもお金に弱い。お金のためなら命を差し出すというが、こういう事なのだろうか?保険金が下りた時にはもうこの世にいないのに、何か今から得したような気分になるから困ったものである。悲しき性である。
Tuesday, 23 March 2021
ロスチャイルドの失敗談
30歳代の頃、仕事で良くタイに行った。何回か通う内に片言のタイ語を覚えた。ところがいざ使ってみると、タイ人からクスクス笑われた。それは女言葉だったからである。後で分かったのだが、例えば「こんにちは」は、男言葉がサワディクラップで女言葉がサワディカーと語尾が微妙に違うのであった。学習した場所が一目で分かってしまうし、誠に恥ずかしい思いをした記憶がある。同僚のKさんに至っては、如何わしい店で覚えたチャカチ(くすぐったい)や、ゴルフ場でキャディーが叫ぶアンタライ(危ない)が持ち駒だったりして、もっと質が悪かった。
そんな事を思い出したのは、エドモンド・ロスチャイルドの「ロスチャイルド自伝(A Gilt-Edged Life Memoir)」に出て来た失敗談である。戦後何度も日本との経済交流で訪れたロスチャイルド氏であったが、初めての来日に先立って日本語を覚えた。ところがそれを得意げに使うと、聞いていた財界人は笑いを押し殺していたという。やはり女言葉だったようだ。
自伝は絵に描いたような人生を綴っている。職業の銀行業はじめ趣味の園芸、若い頃の世界旅行など、余りの別世界に途中まであまり親しみを持てなかった。ところが後半の多くを日本の思い出に割いていて、本当に日本が好きだった事が分かった。日本人は勤勉で秩序を重んじ清潔云々は、黒船のペリーが遠征記で語っていた印象と同じであった。皇居の庭園に落ちていた椿の種をこっそり持ち帰り、英国の庭園で育て17年後の花が咲いたエピソードや、武見太郎がヒースロー空港の税関に腹を立てそのまま帰国してしまった話、当時上映され日本を舞台にした「007は二度死ぬ」の舞台になった九州で、イアン・フレミングに教えられて別府に行った話等々。芸者パーティーも気に入っていた。同僚のウォーバーグ氏と比べるとソフトな感じがした。
Saturday, 20 March 2021
ドン・キホーテの善意
犬が好きなので、時々ペットショップを覗くことがある。子犬がいじらしく眠っているのは見ているだけで楽しいし、指でも出すと甘噛みするから可愛い。ただ子犬は1週間ごとでショップを巡業するらしい。買い手が付くまで彼方此方回ると聞き、商品だと分かると今更ながら哀れになる。そんな中、生後8カ月の大きな犬がいた。値札を見るとタダみたいな値段だった。きっと引き取り手がいないまま大きくなってしまったのだろう。この先どうなるのだろう?「誰も出て来ないなら俺が引き取ってやろうか?」そんな気持ちになってきた。
それから何日かして今度は回転すし屋に行った。最近では個別注文出来るので、必ずしも寿司レーンから取る必要もない。目の前を通り過ぎる皿は食欲を駆り立てるデモ用なのか、時々手を出す人もいるが売れ行きは余り良くない。そんな事を考えながら見ていると、同じ皿が2回3回と目の前を通り過ぎていく。鮮度がどんどん落ちていき、時間が経つほど売れないのが伝わってくる。これも先の犬ではないが気の毒になってきて、「だったら俺が喰ってやるか!」と、つい手が出てしまうのである。
そんな正義感は凡そドン・キホーテなのに、現実に直面しないと中々気が付かない。海外を歩いていると時々「金を恵んでくれ!」と寄ってくる男がいる。しつこいので小銭を渡すと「1ユーロコインにしてくれ」と更なる要求に代わる。その時初めて相手は乞食と言う職業だった事に気が付き、善意が打ち砕かれるのである。また女性にも親切を施し過ぎると良からぬ誤解を生むから怖い。昔勤めていた職場で田舎から出来てきた若奥さんがいた。あれこれ都会の観光スポットなどを教えてあげると、その人が辞める時に「あの時は優しくしてくれて」と言われた。これには流石ドキッとした。
Friday, 19 March 2021
人の不幸は蜜の味?
文春砲が後を絶たずうんざりしている。今週もオリンピックのクリエイティブを務める佐々木氏が、女優の容姿を侮辱したと辞任した。内輪のLine会話のはずなのに、誰が何故外に出したのだろうか?そちらの方がよっぽど気になった。NTTの接待問題も同じである。この件では谷脇審議官や山田報道官が辞任する事件に発展したが、大会社の会食記録を誰がどうやって外に出したのか?もしも内部通報なら守秘義務や利益相反はどうなのだろうか?そもそも会食して何が悪いのか?素朴な疑問は尽きない。
よく会食の倫理規定が云々されるが、かねがね人と人の信頼関係を築くには酒宴が不可欠と思っている。それは政治家・官僚を問わず、人間社会の営みの一つだからである。「大いに酒を酌み交わし明日の日本を語ろう!」の時代に育った者にとっては、誠に嘆かわしい世の中になってしまった。バブル期のノーパンしゃぶしゃぶに代表される接待の反動が今に至っているのかも知れないが、その風潮は余りにも稚拙である。例えば国賓が来日して皇居で晩餐の際に、簡素な握り飯やハンバーガーだったらどうなる?を想像すれば、自ずと答えが出てきそうなものである。癒着で行政が歪める事を懸念するのは勝手だが、結果責任を問えばいいのであって、人の営みを断ち切ってしまえば元も子もない。
それにしても最近は政治家がターゲットになるケースが多い。思い出すだけでも、オリンピック委員会の森会長、銀座三兄弟や石破さんのフグ会食、菅原経済相の香典、河合夫妻の選挙贈賄など、辞任に追い込まれた人も多い。難を逃れたのはモリカケの安倍総理ぐらいである。
何も辞める事はないのに?と思ってしまうが、マスコミや野党はここぞとばかり騒ぎ出す。寒い中で尾行し待ち伏せするパパラッチや記者の執念にも脱帽する。ただいくらカネになるからと言って、人の粗を探す探偵紛いの仕事なんて死んでもやりたくない。政治家の次に多いのは芸能人である。アンジャッシュの渡部、福原愛、小川アナの夫など、思えば殆どが不倫疑惑である。本来は夫婦二人の問題なのに、一枚の写真で人の人生は大きく変わるし何より子供が可哀そうだ。人は誰しも脛に傷を持つし魔が差す事もある。もっと大目に見てもいいじゃないか!と思う。「人の不幸は蜜の味」もいいが、毎日聞かされると食傷気味になってくる。
Sunday, 14 March 2021
伝書鳩の時代
一番好きな本は何か?と聞かれれば、A・デュマの「モンテクリスト伯」である。長編だが何度読み直してもその度に発見があり、深い慈悲と執念に打たれるのである。壮大な復讐劇の末に、最後の一文「待て、しかして希望せよ!」はフィナーレに相応しい名言である。そんな名作をパクッた小説がある。あの「80日間世界一周」の著者、ジュール・ヴェルヌが書いた「アドリア海の復讐」である。ストーリーは良く似ているが、作者が作者だけにこれも格段の出来になっている。
舞台はハプスブルグ帝国が黄昏を迎える19世紀末、アドリア海を囲むヨーロッパとバルカン諸国である。小説の始まりは、イタリアの港町トリエステである。そこで伝書鳩が死んでいて、電文を読むとハンガリー独立派の暗躍が発覚するのであった。伝書鳩と聞いてのどかな時代を思い浮かべたが、最近「The House of Morgan」を読んでいたら、彼らもやはりそれを使っていた。時は普仏戦争の頃というから先の小説と同じ頃である。モルガン商会がフランス公債の引き受けに成功して今日の礎を築いたのであったが、ロンドンとパリの間の交信は伝書鳩だった。ただ鳩は良く撃ち落され、兵士の食用になったというオチもついていた。
モルガンのこぼれ話は面白く、例えば本社のあるNYのWall Street 23に因んで当時の電話番号もHanover5-2323で、社用車のキャデラックの番号もG2323だったという。また野村の田淵社長が「日本の金融国際化で(モルガンが持ってきた)SONYのADR発行が一番画期的だった」と語っていた件や、Jackは日本は好きだが中国を嫌っていたり、お雪だけでなく楽しめた本だった。
Friday, 12 March 2021
モルガンお雪の話
Ron Chernowの「モルガン家(The House of Morgan)」は、密度が濃くとても斜め読みは出来ない本である。日本との関りも所々に出てきて、例えば関東大震災の復興公債を通じて知り合った井上準之助蔵相や三井財閥の團琢磨など、モルガンのラモントからとても信頼されていた事が分かる。同じ頃に高橋是清がユダヤ系のウォーバークと親交が深かったように、当時の国際人脈は豊かだった。Morgan Guarantyの東京支店開設に尽力した人物として樺山愛輔氏も登場する。どこかで聞いた名前?と思っていたら、松本重治氏の「上海時代」に日本人で初めて上海倶楽部に入会を許された樺山翁だった事を思い出した。そしてもう一人、「モルガンお雪」なる女性もいた。初めて聞く数奇な話にビックリ!したのである。
時は日露戦争の3年前、2代目モルガン家党首のJohn Piermont Morganを叔父に持つGeorge Denison Morganなる人物が日本に美術品収集で滞在した。京都を訪れた彼は、祇園で芸妓のお雪を見染め結婚を申し込んだ。彼女は19歳、以来4年に渡り三度の訪日を経て遂に二人は結ばれたが、その時の身請け金は4万円(現在の8億円)と破格の玉の輿で話題になった。そして二人はNYに移ったがWASPのモルガン家から相手にされる訳もなく、当時の新聞にも「彼は正気か?(Has the boy lost his senses?)」と書かれたように孤立した。その為フランスに移り住んだが、間もなくGeorgeは39歳で他界しお雪は一人になってしまった。彼女の晩年は、莫大な遺産に支えられニースと京都で暮らしたという。
モルガンが身近になったのは80年代初めだっただろうか、日本経済の絶頂期にトリプルAの邦銀に世界から起債や共調融資の話が舞い込んだ。その中にMorgan Guarantyもいたが、当時の頭取はDenis Weatherstoneという叩き上げの人だった。兎角モルガンと言えば、プロテスタント系の白人で学歴・財産を備えた人を指していたので、ブックキーパーからトップに登り詰めたキャリアは話題だった。況や時代は遡るが、日本人のしかも芸者ガールを妻を娶ったファミリーの苦悩は容易に想像出来る。同じように銀座のママからインドネシアの大統領に嫁いだデヴィ夫人もいたが、その後の人生は様々だ。
Sunday, 7 March 2021
タイタニック号の呪い
数年前に北アイルランドの首都ベルファーストを訪れた事がある。この町の観光スポットはタイタニック博物館である。以前は寒々しいドックヤード跡だったが、テーマパークのような設備を入れ、訪れた人が当時を体験出来るようなアトラクションも備えていた。やはりデュカプリオの映画がヒットしたことが大きかったようだ。土産物屋を覗くと、「(タイタニック号を)造ったのはアイリッシュだが、運航したのはイングリッシュ」と書いたマグネットを売っていた。北アイルランドは英国に組み入れられたとは言え、まだまだアイルランド人の思い入れの強さを感じた一コマだった。
そのタイタニック号を保有していたのは英国のWhite Star Line汽船であった。ところが最近ウォーバーグに続いてやはりRon Chernowの「モルガン家(The House of Morgan)」を読んでいたら、White Star汽船はアメリカのIMM(International Mercantile Marine)の子会社だった事が分かった。そしてIMMのオーナーはJP Morgan の二代目John Pierpontであった。その為、船の命名式には彼がベルファーストにやってきて、自身の専用ルームを見て回ったという。
その一年後、運命の航海で船は沈没して1500人の犠牲者が出た。当然JP Morganも船の豪華さ故に安全性を問われ、その心痛と老いが重なったのか、Piermont は事故から1年も経たないで亡くなった。タイタニックを巡るエピソードは多く、ローズの婚約者だったホックリーという富豪は救助船に乗って助かったものの、1929年の大恐慌で拳銃自殺している。やはり女子供に紛れて救助船の乗って助かったバックレーという青年も、第一次大戦で戦死したがそれは終戦前日だったり、何かタイタニックの呪いを感じるのである。
Wednesday, 3 March 2021
孤児院通り
暫く前だがベルギーの女性が、前国王のアルベール2世の隠し子だった事が判明した。長年の法廷闘争に終止符を打ったのはDNA鑑定だった。女性は晴れて王女になったが、自身の父親がはっきりした安堵感は何よりだったに違いない。隠し子ではフランスのミッテラン大統領にも愛人との間に発覚した事があった。ただこちらは公然と開き直っていたので、やはり国王と政治家では少し事情が違うようだ。
自分の親が誰なのか?これが分からないとさぞかし不安で心細いだろう。最近のコロナニュースで、生活支援の食糧配給所に並ぶ男性がインタビューに応えていた。顔は伏せてあったが、「自分は孤児院で育ったので家族というものを知らない。その上コロナで隔離された生活が続くので、最近では結婚して家庭を持ちたくなった」と語っていたのがとても印象的だった。
孤児について、ドイツのレーベンスボルンの話が心に残る。アーリア人増殖の目的で人工的に出産された子供達である。TVのドキュメントで知ったのだが、戦後大きくなって出自を知る過程は残酷であったし、それを隠し通した母親の苦悩も凄かった。また旅で訪れたルーマニアのブカレストでは、ストリートチルドレンに気を付けろと言われた。チャウシスク時代に親に捨てられた膨大な数の孤児が治安を悪くしていた。彼らは被害者なのだが、大きくなると加害者になったのが何とも痛ましい。かつてエストニアに住んでいた時、アパートの通りの名前は「孤児院通り(ラステコド)」だったり、モンテクリスト伯でも捨てられた孤児が成長して親に復讐する件があったり、兎角この手の話題は尽きない。
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