児島襄氏の「日露戦争」の小話が中々面白い。例えばバルチック艦隊を最初に発見した日本人は誰か?バルト海から喜望峰を廻りウラジオストックを目指す事19千海里、その長旅も終わり差し掛かった頃、艦隊はベトナムのカムラン湾で停泊した。その時、ドイツ皇太子の結婚式に参列する日本船と擦れ違った。乗っていたのが有栖川宮威仁親王だった。
有栖川の肩書は海軍大将だが、明治維新の公武合体で徳川家茂に嫁いだ和宮の元婚約者の方が有名である御仁である。加治将一の「禁断の幕末維新史」では、北朝の末裔として本来天皇になるだった人として描かれている。加治氏の天皇すり替え説では、明治維新で北朝から南朝にスイッチしてしまったが、彼の落とし子が今でも北朝の血を引き継いで生きていると興味深い話を披露していた。そんな彼だったが、その時は双眼鏡で望見しただけで終わった。
そのバルチック艦隊は50隻の大船隊だったからロジも大変だった。食料となる牛馬、豚、鳥などの家畜に加え、犬猫サル延いてはトカゲや蛇のペットも乗船していたようだ。その動物臭がシャワーのない船員の体臭と混ざって放つ異臭は想像しただけで気持ちが悪くなるし、野菜不足で壊血病が蔓延したという。よくもアジアまで曳航出来たとそれだけでも感心してしまった。その他、大陸の寒冷地で行軍する兵の放尿が凍って凍傷を誘発したり、士気を鼓舞する指揮官の方が玉に当たる確率が高いなど、そのリアルさが小説をより高めていた。東郷元帥が持っていた双眼鏡が、ドイツのファイス社から小西六が輸入した2台内の1つだった事も、当時の希少な様子が伝わったきた。
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