コロナ感染者数が東京で500人を超えるなど、いよいよ第三波が来たのだろうか?会食中もマスク着用して小声で話すなど、段々注文が多くなっていく。仕方がないと思う一方で、やはり不自由さは歪めない。ただものは考えようで、本来静かに飲んで食事するのは快いものである。逆境を逆手にとって快適な空間造りに励むと、新たなビジネスが生まれるかも知れない。
思い出すのは、昔よく通った神楽坂の「伊勢籐」である。伊勢籐は毘沙門天の前の路地を入った古風な一軒家である。暖簾を潜ると明治にタイムスリップしたような気分になる。店内では、囲炉裏で熱燗を浸けている。それが何とも風情があるが、お通しも酒2合程度に合わせて小鉢で運ばれてくる。店内はとても静かで、客同士は遠慮してヒソヒソ話をしているようだ。それもそのはず、大きな声が聞こえると店主から注意されるからだ。ただでさえ神楽坂は高台なので都会とは思えない静寂さがある。店はそれを上塗りするようで、訪れた客はその余韻を楽しんでいる。静けさは格式ある酒の嗜みを生む。話題も自然と高尚になり、酒飲みが文豪に変貌していく。特に神楽坂は泉鏡花や永井荷風と関係が深いから、題材には事欠かない。
静けさが心いいのは温泉も同じである。多くの人が入っていても、話し声が止む一瞬があると湯の流れる音が耳に入る。変化はチャンスともいうから、この際この静けさが商売になるといいのだが・・・。
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