Friday, 23 October 2020

お金が生む不信感

先日テレビが突然点かなくなった。早速電気屋を呼んで見てもらうと、アンテナ入力の端子が壊れていた。電気屋は、「これ修理に出すと時間かかるね!もう10年程使ったのでこの際買い替えたらどう?」と言う。何日もないのは困るし、「在庫があるので直ぐに持ってくる」と言うので、この際思い切って新しいのを買う事にした。新しいテレビは、50インチの大型で料金は12万円だった。電気屋が帰ると、気になったのでネットで一応料金を調べてみた。すると楽天のオンラインショップで同じものが7万円で出ていた。ちょっと位高いのは許せるにしても、あまりの格差に驚いた。最新と言っていたのも、2年前の型式だと分かった。早速電気屋に「これってちょっと酷いんじゃない!」と言うと、最終的に9万円に下がった。この電気屋とは長年の付き合いで、思い返せば今まで3台のテレビを買ったが、同じように吹っ掛けられていたかと思うと何か裏切られたような気になった。
 

思い出したのは、暫く前に起きたかんぽ生命の不適切販売だ。保険の乗り換えを客に勧める一方で、解約されるはずの保険を解約せず、二重に付保させたという。正に詐欺まがいの事件だった。多くの人は長年に渡り、地元の郵便局員として信頼していただけに、社会的な影響が大きかった。過大に請求されたお金はその後戻って来ただろうが、不信感の払拭には時間が掛かる事が容易に想像できる。

些細な事だが、おカネが絡むと一喜一憂するのは悲しい性である。それも金額が小さければ小さい程、敏感になるのはどうしてなのだろう?

Sunday, 18 October 2020

格差が残る南イタリア

中公新書の「イタリア人と日本人はどっちがバカ?」は面白い本だ。著者はイタリア人の建築家で日本に長く住んでいる人で、イタリアも日本もアメリカ文化に毒されていると嘆いていた。イタリア人は働かないというイメージがあるが、本に出てくる30歳を過ぎて定職のない息子の話は必ずしも本人の問題でない事が分かる。心配する母親が仕事を探す姿も気の毒だ。特にイタリアは南北格差が大きいという。貧しい南は被支配の歴史から犠牲者意識が残っているらしい。イタリアサッカーは守りが強いのが特徴だが、この起源も土地柄と関係ありそうだ。ナポリ周辺やシシリー島など旅行するとその素朴さに打たれるが、現実の生活は中々厳しいようだ。

イタリアの町を旅すると、昼から路上でおしゃべりする男の年配者が目立つ。皆いい服と皮靴で決めている。元々多かった公務員が年金の受給年齢が下がったので退職者がふえたのか、それとも失業者なのか?聞いてみないと分からないがこの光景は異常だ。イタリアはアングラマネーの国で、非効率だが闇で経済が廻っていた。ユーロを導入してから少し変わったが、あのままリラを続けていれば、リラ安の恩恵で輸出は潤い、外国の旅行者は安価な製品を挙って買い自助反転したはずだ。  

イタリアというと、国中が歴史の博物館みたいでイタリア料理やワインは美味しい夢みたいな国である。ただコロナでそんなイメージが損なわれつつあるのは残念だ。タイトルの「バカ」は外人が良く使う言葉だが、日本人にとってはストレート過ぎる。せめて「どっちもどっち」位がよかったかも知れない。

Friday, 16 October 2020

P.A.サムエルソンの時代

70年代の経済学で、代表的な教科書はP.A.サムエルソンの「経済学(Economics)」だった。赤い表紙の上下二巻に渡るボリュームは、読む前から圧倒された。加えて担任のT先生は原書で読めと言う。ただでさえも難解な世界が、英語になるとチンプンカンプンだった事を思い出す。ところでその翻訳者は一ツ橋の都留重人氏であった。ハーバード大でサムエルソン博士との親交の関係らしいが、最近その都留教授が共産主義者だったと知った。確かに経済学部で近経かマル経を選択した時代だったし、マッカーシー旋風の頃だったから不思議ではないが、近経の著名な先生がマルキストだった事は意外だった。
 
日本学術会議の会員選考で、中国の千人計画に参加した人の疑いが取り沙汰された。本当なら唯識事態である。今の時代でも赤化の誘いは尽きないと改めて諭された。社会主義がいかに非人間的な社会を生むのか、住んでみないと分からない。まず気が付くのが街並みである。巨大なモニュメントと灰色のアパート群、そして青空市場、ただ配給制だから個人の商店街はない。流石最近では新しい店も出来始めたが、昔から続くレストランやパブ、八百屋、魚屋、洋服屋等がない風景は何か寒々しい。何より店員の笑顔である。象徴的なのが年配の給仕に未だに笑顔がない事だ。怖い顔で「何が食べたいんだ?」みたいに聞いてくる。田舎に行っても、分散村と称して家々は離れていて中心地がない。これもコルホーズの名残で、旅行者から見ると拠り所がない殺風景な風景は何とも到達感がない。  

そんな事もあり、あの時日本が日露戦争で負けていたら同じ運命を辿ったかと思うと、東郷元帥や乃木大将が神様に思えるのである。ひょんな事で、赤化の恐怖を思い出した。

Thursday, 15 October 2020

理科系の世界

日本学術会議の会員選定を巡り、会の在り方が問われ始めた。野党は問題のすり替えだと批判しているが、時の政府が(会員の)決め事が出来ないなら、当然の流れだと思う。これを契機に、欧米のように独立した機関に目指すのだろうか?問題はお金である。ただでさえ財政事情が厳しい国立大学が、掛かる経費を賄えるか甚だ疑問である。中でも事務局の人件費は大きく、今でも6億円と聞いている。若くて優秀なスタッフがいなければ、折角の提言を文章化は出来ない。

それにしても学術会議って何だろうか?今ではシンクタンクや研究所も豊富だし、政治家のネットワークも国際化している。政策提言なら特にこれに頼る必要もない気がする。そもそも理科系の世界は、東大を頂点にしたヒエラルキーで成っている。国の予算をその道の大御所が取り、全国の地方大学に散らばっている門下生に配分する。門下生は大学に残れなかったポスドクを雇って研究をする。ポスドクは基本的に1年契約だから給与は低い。研究が続くうちは雇用が確保されるが、ボスが異動すると身の保全に励まなくてはならない。昔は頭がいい人が理科系を選んで進んだが、結果的に文科系を出て平凡なサラリーマンになった方が生活は安定した気がする。 

そんな雇用を維持するために、大きな流れを作るのが学術会議なのかも知れない。だから変革は会員の教授にとって大きな問題である。よくテレビに出る大西前会長の話を聞いていると、「自分は菅総理より偉いんだ!」の自負が伝わってくる。長年国立大学にいると、「国のお金=自分のお金」みたいな感覚が生まれるのだろう。これには違和感がある。何故なら政治家は国民が選んだ代表だが、国立大学の教授はそうでないからだ。そんな市民感覚を反映した議論をして欲しいが・・・。

Friday, 9 October 2020

妻のトリセツ考

日本学術会議の会員選考を巡り、政府が一部の推薦を拒否したと野党が騒いでいる。雲の上の世界の話なので良く分からないが、政府の機関なら当然の気がする。世の中で不採用の理由を尋ねる応募者はいないだろうし、仮にいても採用側は応える義務がないのがは常識である。ところでそのコメントに、菅総理が俯瞰的に判断したという言葉を使っていた。俯瞰的という言葉は安倍前総理も良く使っていたが、中々いい表現だと思っていた。ところが暫く前にベストセラーになった「妻のトリセツ」の中に、それは男性脳の世界だと書いてあった。
著者の黒川伊保子さんによると、男の子は生後8カ月で3mの俯瞰があるそうだ。俯瞰とは鳥の眼で捉える目線だが、これが女の子にはないそうだ。一方、女性にあるのは感情と共感という。やや不謹慎な表現だが、昔から「男は頭で女は子宮で考える」と言われて来たのに似ている。記憶を辿る時も、男性は行動の文脈から紐解くが、女性は感情の連鎖が基になる。だから果たして総理の言葉が上手く伝わったのか、甚だ疑問になったのである。

「妻のトリセツ」は1時間程で読める面白い本だ。結婚記念日に妻にプレゼントする時は、何か物語が付くといいと言う。物語は過去の記憶を呼び起こす効果があるからだ。確かにこれは女性に限った事ではないが、行為に脈絡が付くと重みが増す。また記念日に食事に行く時も、前もって準備の時間を取るのがコツだという。女性は何を着て行こうかと考えている内に、あれこれ楽しい記憶が蘇るからだ。その他にも、女性は話にオチを求めないとか、怒りは期待の裏返しなど、言われてみれば思い当たることばかりだ。ただどれも尤もだと思いつつ、読み終わる同時にスッと頭から消えてしまうのは何故だろう?

Thursday, 8 October 2020

松本重治氏の上海時代

隣の国なのに実は殆ど知らない中国の歴史、知ろうと言う気にも成らなかったのが正直な気持ちである。防衛大学学長の国分良成さんがその著書「中華人民共和国」の中で、「70年代に中国の本を読んでいると、誰か来るとつい本を伏せてしまった!」と正直に語っていたように、昔はマイナーな世界だった。自身も大学の教養課程で、第三外国語で中国語を選択した事があった。ただこの事は会社に入ると絶対公言しなかった。中国を齧った事が分かると、その予備員になってしまう事を警戒した。ただ最近はそんな心配も無くなったし、宮脇淳子さんの本を通じて少し興味が湧いて来た。

 

と言う事で、松本重治著「上海時代」を取り出し読み直してみた。中公新書で上中下の三冊に渡る大作である。若い頃途中で挫折したが、今回は頑張って最後まで行った。著書は1932年~1938年の6年に渡る駐在経験を綴った特派員メモである。時恰も満州事変から日中戦争に掛けての動乱期だから、歴史の裏側が語られる事を期待した。ただ読んでみると、特派員の世界で誰と会って何を聞いたという件が大半で、膨大さに圧倒されても意外性は少なかった。中国の地名人名を読めない事も一因だ。恥ずかしながら、例えば蒋介石は読めるが汪兆銘を何と発音するのか分からないし、長春は何処にあるか何となく分かるが、天津や華北と言われてもピンと来ない。それでも時折入るよもやま話は面白く、例えば上海倶楽部を訪れた樺山愛輔氏が流暢な英語で欧米の倶楽部会員から優遇扱いされたとか、日本領事館で出世の遅れた館員が失踪した際、中国人に嫌疑を掛けた領事のミスがあったなど、小話中心の方が今風には受けたと思えた。

 

その上海倶楽部に入会を認められた日本人は、松本さんが二人目だったという。欧米知識人との交流の場所で、何度か需要な面談の場所として登場した。日比谷の外国人特派員クラブも同じ趣旨の倶楽部である。何度か会員の人に呼ばれてご馳走になったが、交流というより今ではサラリーマンのステータスシンボルで、知人を連れ来てビックリさせる場所になっているのは残念だ。また松本さんは戦後、六本木の鳥居坂にある国際文化会館の館長を務めた。70年代に何回か集まりで使ったが、担任のT先生が「ここの階段は音が出ないように、館長の意向で金具は使っていない」と語っていたのを思い出した。ともあれ日中戦争がどうして起きたのか?当時の雰囲気は伝わってきた一冊だった。

Saturday, 3 October 2020

埼玉事件とカルメン

毎日どこかで起きている若い男女の痴情の縺れ、別れる別れないのドラマは人間の性である。先日も埼玉の路上で35歳の男が23歳の女を刺した。男は出血が続く女性を膝に抱えたまま現場に佇んだという。それにしても何も殺す事はなかっただろうに、23歳で命を落とすのは痛ましい。

そう言えば、ビゼーの歌劇「カルメン」もこれをテーマにした作品だった。妻帯者のドンホセがジプシー女のカルメンに魅かれる。カルメンは誘惑しただけだったが、男は本気になってしまう。求愛するドンホセは、カルメンが投げた花を拾って「花の歌」を歌う。一方カルメンは、恋は気まぐれをテーマにした「ハバネラ」で返す。観衆は情緒的な美しい旋律にグッと引き込まれてしまう。二人のすれ違いはエスカレートし、最後は遂にドンホセがカルメンを刺してしまう。その劇的な幕切れも、闘牛士の歌う「トレアドール」をバックに最高潮に達するのである。

それにしてもどちらも同じ殺傷事件なのに、かくも受け止める方の違うのはどうしてなのだろう?芸術性があると感動を呼ぶのは、不謹慎だが事実である。逆に人の手が加わらないと、ただ残虐で非情な行為にしか映らない。何か不公平な気がするが、日頃我々はこうしたトリックの中で生きている事に気付く。