Saturday, 26 September 2020

無念のミッドウェー

今月から上映が始まった「ミッドウェー(Midway)」を観に行った。CGの技術力で凄く、実戦の迫力が存分に伝わってくる映画だった。従来このテーマを扱った日本の作品は、とかく南雲中将の優柔不断を問題視した件が多かった。つまり魚雷から爆弾、そしてまた魚雷に積み替える時間が致命的な敗因になったと。確かに今回もそれは再現されていたが、アメリカ側から見るとちょっと違っていた。それはインテリジェンス(情報)で、日本艦隊の現れる場所を特定していたからだ。面白かったのはその手法で、例えば多くの花屋に注文が入り、レストランの食材が沢山仕入れられると、そこには必ずパーティーが披かれるという三段論法である。だから戦う前から半分勝負は付いていたのかも知れない。

そうは言っても、当時の空母は日本10隻に対し、アメリカは3隻と圧倒的に日本が有利だった。あの敗戦がなければその後の戦局、延いては今の日本も少し違ったものになっていたかも知れないと考えるのは当然である。しかもミッドウェーの敗戦は、真珠湾の奇襲からたった半年後であった。これを契機に戦局は悪化し、3年余も負け戦を強いられるようになり多くの人命が亡くなった。昨年訪れた海軍兵学校のアナポリスにも、その事が記されたプレートがあった。日本の酸素魚雷の横に掛けられた一文を読むと、アメリカにとっても大きなターニングポイントだった事が分かった。

敗れた南雲中将とは対照的に、この一戦に勝ったミニッツ提督は英雄になった。10年ほど前になるか、彼の故郷であるテキサス州サンアントニオ郊外に建てられた太平洋戦争博物館を訪れた。火炎放射器で焼き尽くす海兵隊の実演や、太平洋から持ち帰った数々の戦利品などが置かれる壮大な施設だった。その中にハワイ奇襲の座礁した特殊潜航艇もあった。捕虜第一号になった坂巻中尉も紹介されていて複雑な思いになった記憶がある。ともあれこれまで南雲の判断ミスばかり責めていたが、罠に嵌った経緯もあった事がよく分かった。

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