Tuesday, 11 August 2020

天皇と血のリレー

以前読んだ明治維新の本の中に、攘夷で有名な水戸の第11代将軍徳川斉昭に子供が54人いた話があった。彼の次男で将軍を継いだ家慶も34人いたとか、いくら世継ぎが大事だといえその数の多さに驚いた。

そんな中、大宅壮一の「実録・天皇記」を読むにつけ確信を得た。著者が調べた限りでは、第12代景行天皇が81人、第50代の恒武天皇が35人、第60代の醍醐天皇が38人、第90代の亀山天皇が36人等々、生涯をこの一点につぎ込んだのがよく分かった。子の数は生んだ側近の数に比例した。明治天皇の父の孝明天皇の子は6人だったが、妻を含めて17人の側室がいたという。勿論天皇を継ぐ子は一人だから、その他は出家に出された。寺や武家で第二の人生を送る運命は過酷だ。著者は御子様たちの生き方と称して、出家年齢と行先など事細かに調べていた。目に付くのは早世する子が多かった事である。明治天皇の子供は4人だが、最初は15人生まれた。間引きもあったし、子供の内に親と離れ寺に預けられれば精神的におかしくなった。著者はそれを女王バチと働きバチに比べていたが、驚くほどよく似ている。以前読んだ「昭和天皇の妹君」という本に寺に隠居した尼の話があったが、何も驚くことでない気になってきた。

改めて天皇制を考える。側室がいない(?)今の天皇家が先細りなのも当然だと思う。英国のヘンリー8世なんか、子供が出来ないと分かるとさっさと離婚して処刑し、次から次を娶る国もあった。どちらがいいのか分からないが、血を絶やさないのは並大抵ではない。著者の歯に衣を着せない表現は的を得ていた。例えば世継ぎを生む局(つぼね)を「天皇製造の女子従業員」、支える公家を「天皇に寄生する男子従業員」、「血のリレーと血の予備軍」など、とても戦後10年の作とは思えない。また共同作業した若き草柳太蔵氏が古本屋で資料を集めた件も面白かった。

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