ジョコビッチ選手が企画したテニス大会で、参加した選手がコロナに感染して話題になった。本人を含め、ティエムやディミトロフなど地元の選手が多かった。そのジョコビッチだが、何故か実力の割には人気がない。守りのテニススタイルか、将又奇怪な宗教のポーズや不気味な笑みが嫌われているのか分からないが、彼がセルビア人である事と関係しているのは間違いない。
BBCによると、今日はセルビア人によるジェノサイト25年目の日だそうだ。3年前その現場を訪れただけに、記事が目に留まった。事件は1995年7月11日に、8000人のイスラム系ボスニア人が虐殺された。殺された多くは男で、女はレイプされたという。場所はボツニア・ヘルツゴビナの首都サラエボから、車で3時間余の山奥であった。途中若いフランス人カップルのヒッチハイカーを乗せ、暑い道のりだった。山間の村ではスカーフ姿のイスラム装束が目に留まった。事件が起きたスレブルニツァ(Srebrenica)の村に着くと、壮大な墓地と無数の墓標が目に入ってきた。夏だったので各地から多くの人が墓参に来ていた。ジェノサイトが何故起きたのか、よそ者には感覚として未だによく分からない。ただ村は山を隔ててセルビア側と接していたので、地理的な要因かと想像出来た。実際にそこから南に下り、次の目的地であるドリアの橋に行こうとした時だった。道を聞いた人から猛然と、「そっちから行っては駄目だ!遠回りしろ!」と反対された。入り組んだ地形の為、どうやら一度セルビアに入り、又ボツニア・ヘルツゴビナに戻るルートだった。今でも現地の人々が隣国に過敏になっていた。
ユーゴの内戦ではサラエボの街も大きな被害にあった。町は山に囲まれた盆地みたいな地形だが、その山頂からセルビア軍の戦車から砲弾が降ってきたという。よく耐えたと感心した。ユーゴ内戦では独立を願ったクロアチアやボツニアなどに対し、セルビアは大セルビア主義で主導権を取ろうとした。その軋轢が対立を招いたようだが、今でも彼方此方残る戦争の爪痕に、昨日の事のように映る。
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