昨年の今頃、アメリカの東海岸を旅した。レンタカーにゴルフバックを積んで、行く先々で気軽なゴルフも楽しんだ。東海岸と言ってもNYではなく、ワシントンDCから南に下った辺りである。正にアメリカ誕生の地で、ゲティスバーク(Gettysburg)やヨークタウン(Yorktown)など、独立戦争や南北戦争の面影が沢山残っていた。特にウィリアムズバーク(Williamsburg)は、イギリスの植民地時代の街並みが復元され、靴屋や洋服屋など当時の生活を見ることが出来た。実際に当時の洋装をした人が働いていて、タイムスリップしたような気分になった。その中の一軒が奴隷の市場だった。アフリカから連れて来られた黒人が、競りに掛けられる様子を再現していた。ビジターの中には黒人の子供たちもいて、複雑そうな顔をして聞いていたのが印象的だった。
あれから1年、今アメリカは大変な事になっている。警官の暴行で黒人が死亡したのを契機に、最近ではセルドア・ルーズベルトの銅像が撤去されたりホワイトハウス前のジャクソン大統領も壊されそうにもなった。海外でも豪州でトーマス・クック像が、ベルギーではレオポルド2世像が、イギリスでも奴隷貿易商の像が破壊されたり、波は世界に波及している。そんな中、今週は「風と共に去りぬ」の放映を巡って騒ぎがあったという。先日その大作を読んだだけに、ちょっと気になっている。「風と共に去りぬ」は南北戦争時の南部の人々の生活を描いた作品である。攻め入る北軍に家や畑を焼かれ、南部では大きな被害が出るが、その中には長年雇用されていた黒人達もいた。奴隷解放とは聞こえはいいが、ある時突然「お前は自由だ!」と言われても、行く先もなく職を失う現実に、あれで本当に良かったのだろうか?という気になってくる。白人と黒人は運命共同体で、お互い支え合って生きていた南部は、足を鎖で繋がれたイメージとは大分異なる。
この感覚はアメリカに限らず、例えばロシアにも言える。トルストイの「戦争と平和」はロシア貴族の生活ぶりを描いた小説だが、小作人との関係はやはり大家族的な共同体だった。その後のロシア革命で、独裁者が登場して粛清が繰り返されたのを思うと、昔の方がまだマシだったというノスタルジーが湧くのである。今更時計を巻き戻すことは出来ないが、昨今のエキセントリックな風潮を見ていると、つい無知でファッショ的なものを感じるのである。
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