以前、仕事で行った先の近くに愛宕山があった。昼休みに登ってみると、山頂には粋な茶店と池があり、とても新橋駅の徒歩圏とは思えない静けさだった。「都会にもこんな憩いの場が残っている!」と驚いたが、更にビックリしたのは、そこが井伊直弼殺害時に、水戸藩士の集合場所だった事だった。確かにここから皇居桜田門まで、歩けば20分程で着ける。普段は地下鉄で動き回っていると、中々気が付かない距離である。それから暫くして、井伊大老の墓がある豪徳寺を訪れた。立派な三重塔に小京都を思わせる佇まいだった。寺の奥に井伊大老の墓がひっそり建っていた。歴史の裏舞台に立ち、ブラタモリの気分に浸った。
その事件を描いた小説、吉村昭著「桜田門外ノ変」を改めて読んでみた。殺害のリーダーだった関鉄之助にスポットを充て、特に事件に至る経緯を詳しく書いている。赤穂浪士の討ち入りのように、主君の怨念を晴らす流れになっている。読んでみると面白い箇所が沢山あった。事件後に残党組が薩摩との合流を目指して関西を目指すが、途中に泊まった中山道や北国街道など、今でも馴染みのある町村名が出て来る。彼らは商人に化けて逃れるが、茨城弁は隠し切れずに晴れてしまうのは滑稽だ。また安政の大獄に至った水戸藩の危機感は、海に面した地形と関係が深かったようだ。外国との対峙が現実味を帯びたのが、攘夷思想を生んだという。中でも井伊大老の首級を持って逃げた有村次左衛門が息絶えた但馬守屋敷に、彦根藩の侍が首を取り返しに行く。流石に殿の首とは言えず偽名を使ったようで可笑しかった。
主人公の関は逃亡の果て、最後は地元の袋田近くで捕まる。何年か前に昔の友人たちと、温泉旅行で袋田の滝を見に行った事もあり懐かしかった。今でも閑散としている山間だったが、昔から集落があったようだ。ともあれ奇襲現場に指や耳鼻が散乱した描写や、関が糖尿病で治療を受けていたなど、氏の丹念な取材が光っていて、物語をよりリアルにしていた。
暫く前に、中公新書の小笠原弘幸著「オスマン帝国」を読んだ。オスマンの歴史は、多くのスルタンが登場するが、馴染みのない名前が中々頭に入らない。この本も例外でなく、年表を読まされているような気分になってしまった。興味が湧かない理由の一つが、オスマン帝国と現在のトルコがあまり関係ないことにある。どうしても現在との接点で歴史を振り返ろうとする者にとっては、きっかけが掴めない。ともあれ登場人物は男ばかりで女が皆無の歴史、兄弟殺しや鳥籠と称する隔離、イェニチェリと称する軍団など陰湿で残虐なイメージが付きまとう。
そのオスマン帝国だが、バルカン半島を旅すると当時の面影が沢山残っていたので、少しは親近感がある。セルビアのニシュという町には、ドクロ塔と称してオスマン軍がセルビア兵士の生首を埋め込んだ塔が現存していたり、露土戦争の激戦地だったブルガリアのシプカ峠では、山頂に陣取るオスマン軍に対し、登ってくるロシア兵士の様子が再現されていて生々しかった。またやはりブルガリア南部のプロヴィデフという町は、今のトルコ国境まで200Kmの処だったこともあり、退路の確保跡が残っていて空想を掻き立てられた。
またルーマニアの田舎では、捕虜になったオスマン兵の悲惨な逸話に触れたり、ハンガリーのブタペストには150年も統治したグル・ババの霊廊に寄った。そう言えばスペインの建築の半分はイスラム様式だった。今やトルコがEUに入ろうかという時代である。入れない理由の一つが死刑制度だという。かつての栄光がまだトルコ人の血に流れているのだろう。
ブックオフに寄ると、黒木亮の「排出権商人」が目に留まった。懐かしい表題に、そんな言葉があったのかと早速買って読んでみた。未だあれから10年しか経っていない。それなのに本はセピア色して遠い昔の事に思える。当時あれ程騒いだ京都議定書も、結局期限の2018年が来ても何も起きなかった。その後の叱責も皆無だった。正に大山鳴動して鼠一匹、一体国連って何なんだろう?と思ってしまう。そんな中、中島みゆきの「時代」のメロディーが脳裏を掠めた。”そんな時代もあったねと・・・”、そういえば、バブルの時も同じ替え歌が流行った。サラリーマンは何度も肩透かしを食う度に、このメロディーが聞こえてくる。
本ではエンジニアリング会社の若手が、CO2削減プロジェクトを求めて世界を駆けまわる。中国、マレーシア、ウクライナ・・・と、炭坑や養豚場など、普通の人が行くの憚る場所だ。一見華々しいが、冷静に考えればとても儲かる事業ではない。本では利益が出ないので、最後は連結から外して凌ぐことになる。粉飾である。今から思えば、削減したクレジットは政府が買い上げるから体のいいODAであった。儲からないのは当たり前、当時はそれが分からない時代だった。
黒木さんは元銀行員で、沢山のビジネス小説を出している。早稲田大で瀬古選手と一緒に箱根駅伝も走ったと言うから、文武に秀でた人のようだ。授かった知識を基に、こんな人生を歩めるのは実力があったのだろう。正直羨ましい。ただ本を読む限り、やたらに固有名詞が多く、まるで調査報告書を読んでいるような感じがした。門外漢の人が読むなら未だしも、実際はそんな格好いい世界ではなから違和感もある。華々しかった世界からサラリーマンが落ちていく、そんな悲哀を描ければもっと深みが出た気がする。今や温暖化の世界は、国連主導の時代から小学生でも知っている地球に優しい時代に代わった。京都議定書も無駄ではなかった・・・そう思いたい。
昔から、女性作家の小説は苦手である。余計なセンチメントが、物語の展開を邪魔するからだ。改めて読み直した長編小説「風と共に去りぬ(Gone with the wind)」も例外ではなかった。主人公のスカーレットは、幼友達のアシュレに思いを寄せ処から物語は始まる。しかしアシュレにはメラニーがいたのでその思いは実らない。一方でバトラー船長から求愛を受け、3度目の結婚でそのバトラー船長の妻になるのだが、ある時アシュレとの密会現場を目撃され、最後は彼からも見放されるのであった。映画では情熱的な南部の女性という設定だが、小説で読む限りは、「どうしようもない女の一人」に過ぎない気がする。長々と読ませておいて、「最後までこれか!?」とがっかりした。宝塚歌劇なら兎も角、小説にしては締まりがない。
ただ南北戦争を南部から描いている点は興味深い。一般的には北軍が奴隷解放の正義で勝っている印象を持っていたが、読むと実は南部は黒人と上手く共存していたのが良く分かる。スカーレットの家も100人を超える黒人を抱え、家族同様の生活を営んでいた。黒人を蔑視するニガー(Nigger)という言葉は、北が使うのを南の白人が憤慨する件や、解放は南アフリカの時の様に混乱と失業を生んだり、本当にそれが良かったのかという気持ちになってくる。一方、北は南の戦争被害を戦後に補償したり、今に通じる融和策も講じた。尤もスカーレットの父親の様に補償を拒否する人も多く、当時のヤンキーに対する溝は深かった。
昨年、その雌雄を決したゲティスバークの古戦場を訪れた。最後は高台に陣取った北軍の勝利で終わるのだが、衝突場所ごとに大砲と慰霊碑が並べられ、正にアメリカの聖地であった。有志が鎮魂ラッパを吹き始めると、訪れた人々は直立で慰霊していた。ヨーロッパからやってきた移民が二手に分かれて戦い、100万人近い人が死んだ戦争だった。二大政党の原点もその辺にあるようだし、アメリカの原型が伝わってくる。
Next to Hemingway, I am reading “Gone with the wind”
by Margaret Mitchell. It is a classic novel and this is the 2nd time
to read since my junior high school days. To be honest, it is boring as so
many pages are devoting much space to emotional expression of Scarlett O’Hara. I’m
not interested in such psychological description of woman but it helps me to
know how south people survived at civil war era. Captain Butler made success for
his trading business using his 4 ships that took advantage of the confusion.
Anyway this kind of business sense is important as of today. Due to spread of
infection of coronavirus, major companies are beginning to bankrupt. Nieman
Marcus, Virgin Australia and retail giant JC Penney are named. In Japan, big
fabrication company Renown applied for civil rehabilitation this week that I shocked
very much. Its CM song was popular in 1980s with dancing girls and Alain Delon
made French lesson narrating "c'est l'elegance de l'homme moderne" in D'Urban CM film that reminds me of my young days.
More shops and companies may suffer damage by virus and are obliged to stop their normal life of business. However unlucky may also bring an oppotunity of success. Remember captain Butler in south who made a fortune and grabbed Scarlett's heart !
I like to see the old DVD based on Ernest Hemingway novels. "For Whom the Bell Tolls" and "Old Man and the Sea" are good that makes me overlap with Hemigway's adventurous life. I feel an affinity with "A Farewell to Arms" since I visted the Italian border named Kobarid three years ago. It was a battlefield called Caporretto in WWI that an American soldier Gary Cooper in the movie ran away for seeking his fiance. I took a walk in the mountain for a hour and found a lot of trench ruins that reminded me of fierce battle more 100 years ago.
If I were asked by someone which is the best film, I should say it is "The Snows of Kirimanjaro". The picture was taken in Africa in the foot of Kirimanjaro mountain. Gregory Peck acted for Hemingway injured by tenanus and waited for rescue plain to come. He felt his end of life to come and looked back in the camping bed for passed wonderful life. Many images came and went in his mind's eye that experienced meeting and parting with a lot of women and joined Spanish civil war, WWI and WWII as a soldier and journalist.
He lived in Ritz Hotel in Paris and enjoyed party every day with his friends. After WWII was over in 1956, he again had a chance to stay at Ritz and then found his old trunks accidentally that he left before WWI in 1928. When he opened and saw it, he found his files and notebook that encouraged him to start again for his new life. This story represents how Ritz is linked by fate for his gorgeous life in Paris. He ended his own life by gun in 1981.
It's boring to stay home so long days. I have nothing to do besides cleaning up the room. Wiping furniture makes me refresh and change pace. It also help me to find forgotten things and I am seeing them with nostalgic mind.
Yesterday I found old newspaper of July 2003. It said in the front page that WHO declared to terminate SARS. I had few memory for SARS as Japan was not damaged so seriously. China, Hong Kong, Taiwan and Korea had huge infected people totally over 8000 which 10 % of them were killed. It was developed in Guandong in China. New coronavirus was also developed in Wuhan and I wonder why China always be a source of infection.
Anyway, a friend of mine is tennis lover who sent me a interesting youtube that was called Federer challenge. Things is how many times to continue the volley with hitting the wall. Federer did it over 200 times a minute ! It is incredible to hit the ball from such a short distance ! I am enjoying to challenge for it in my garden and it helps me to kill time. https://www.youtube.com/watch?v=otQ4jTRR1aY