Friday, 14 February 2020

日独を繋いだ潜水艦

古本屋で買った吉村昭氏の「深海の使者」はいい本だった。相変わらず氏の精力的な取材が光っていて、当時をリアルに再現していた。物語は太平洋戦争の最中、日独を行き来する潜水艦の奮闘を描いていた。3万キロの航海を、無線も無しで到達する船員の気力も沙流事ながら、周到に事を進めた両国の信頼関係に打たれた一冊だった。

本では当時を偲ばせる逸話が数多く紹介されていた。例えば、日本からドイツに行く時は、先方が不足していたゴムやコーヒー、酸素魚雷を持って行ったとか、反対に無線やジェットエンジンの技術を持ち返ったとか・・・。また軍の関係者だけでなく、当時のヨーロッパに駐在していた東大や企業の技術者、商社マンなどが登場した。昔知人のWさんが、「子供の頃にドイツに駐在していて終戦になり、イタリアの収容所で過ごした」と話していたのを思い出したが、聞いた事のある苗字に、「あの人は御子息では?」と思えてハッとした。また陸軍の大型飛行機(A26、キ77)が当時の世界飛行記録を出し、ドイツまで飛び立ったのも今から思えば大したものだった。

そんな中、日独会話を傍受した日系人の話が印象的だった。日本は敵の傍受を恐れて、在ドイツ大使館とは鹿児島弁で交信した。アメリカ軍は中々解読出来ないでいたが、陸軍に勤務していた日系人が分かってしまった。彼は日系人牧師の息子で、若い頃に故郷の鹿児島に留学していたからだった。戦後は駐留軍の通訳として東京裁判などで働いたが、同胞を売った罪悪感から最後は自害してしまう。彼がアメリカ陸軍に入った経緯も、父の若い頃の葛藤を小説にして勘当されたためだった。とても人間臭い話で心に残る件だった。

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