Tuesday, 29 December 2020
全米オープンの決勝
Monday, 28 December 2020
酒場詩人の追っかけ
Tuesday, 22 December 2020
悪女とカネ
Thursday, 17 December 2020
キヒヌ島の出会い
Sunday, 13 December 2020
ナイキの創業逸話
Thursday, 10 December 2020
バルト諸国とマネロン
Friday, 4 December 2020
小池知事と長幼の序
Wednesday, 2 December 2020
William Warwick巡査シリーズ
Monday, 30 November 2020
ユタ州のモノリス
Friday, 27 November 2020
(小澤)征爾の由来
今年の子供の名前ランキングが発表された。一位は男の子が「蒼」、女の子が「陽葵」という。以下男の子は「樹」「蓮」、女の子は「凛」「詩」と続く。読み方は2文字が多く、世相を反映しているらしい。何か芸能人や漫画の主人公のような名前にも聞こえるが、もう若い人のセンスには付いて行けない。
字は体を表すという。いい名前だな!と思うと、人柄もそれ相応に映る。命名は大事だ。
Sunday, 22 November 2020
大人になった紅衛兵
Friday, 20 November 2020
神楽坂の静かな店
Monday, 16 November 2020
便利なAirbnb
Friday, 13 November 2020
希望の電池
Tuesday, 10 November 2020
仲よき事は美しき哉
Friday, 6 November 2020
大統領選挙と内戦の危惧
Thursday, 5 November 2020
59万円のコート
Tuesday, 3 November 2020
晩秋の蕎麦
Friday, 23 October 2020
お金が生む不信感
Sunday, 18 October 2020
格差が残る南イタリア
Friday, 16 October 2020
P.A.サムエルソンの時代
Thursday, 15 October 2020
理科系の世界
Friday, 9 October 2020
妻のトリセツ考
Thursday, 8 October 2020
松本重治氏の上海時代
隣の国なのに実は殆ど知らない中国の歴史、知ろうと言う気にも成らなかったのが正直な気持ちである。防衛大学学長の国分良成さんがその著書「中華人民共和国」の中で、「70年代に中国の本を読んでいると、誰か来るとつい本を伏せてしまった!」と正直に語っていたように、昔はマイナーな世界だった。自身も大学の教養課程で、第三外国語で中国語を選択した事があった。ただこの事は会社に入ると絶対公言しなかった。中国を齧った事が分かると、その予備員になってしまう事を警戒した。ただ最近はそんな心配も無くなったし、宮脇淳子さんの本を通じて少し興味が湧いて来た。
と言う事で、松本重治著「上海時代」を取り出し読み直してみた。中公新書で上中下の三冊に渡る大作である。若い頃途中で挫折したが、今回は頑張って最後まで行った。著書は1932年~1938年の6年に渡る駐在経験を綴った特派員メモである。時恰も満州事変から日中戦争に掛けての動乱期だから、歴史の裏側が語られる事を期待した。ただ読んでみると、特派員の世界で誰と会って何を聞いたという件が大半で、膨大さに圧倒されても意外性は少なかった。中国の地名人名を読めない事も一因だ。恥ずかしながら、例えば蒋介石は読めるが汪兆銘を何と発音するのか分からないし、長春は何処にあるか何となく分かるが、天津や華北と言われてもピンと来ない。それでも時折入るよもやま話は面白く、例えば上海倶楽部を訪れた樺山愛輔氏が流暢な英語で欧米の倶楽部会員から優遇扱いされたとか、日本領事館で出世の遅れた館員が失踪した際、中国人に嫌疑を掛けた領事のミスがあったなど、小話中心の方が今風には受けたと思えた。
その上海倶楽部に入会を認められた日本人は、松本さんが二人目だったという。欧米知識人との交流の場所で、何度か需要な面談の場所として登場した。日比谷の外国人特派員クラブも同じ趣旨の倶楽部である。何度か会員の人に呼ばれてご馳走になったが、交流というより今ではサラリーマンのステータスシンボルで、知人を連れ来てビックリさせる場所になっているのは残念だ。また松本さんは戦後、六本木の鳥居坂にある国際文化会館の館長を務めた。70年代に何回か集まりで使ったが、担任のT先生が「ここの階段は音が出ないように、館長の意向で金具は使っていない」と語っていたのを思い出した。ともあれ日中戦争がどうして起きたのか?当時の雰囲気は伝わってきた一冊だった。
Saturday, 3 October 2020
埼玉事件とカルメン
そう言えば、ビゼーの歌劇「カルメン」もこれをテーマにした作品だった。妻帯者のドンホセがジプシー女のカルメンに魅かれる。カルメンは誘惑しただけだったが、男は本気になってしまう。求愛するドンホセは、カルメンが投げた花を拾って「花の歌」を歌う。一方カルメンは、恋は気まぐれをテーマにした「ハバネラ」で返す。観衆は情緒的な美しい旋律にグッと引き込まれてしまう。二人のすれ違いはエスカレートし、最後は遂にドンホセがカルメンを刺してしまう。その劇的な幕切れも、闘牛士の歌う「トレアドール」をバックに最高潮に達するのである。
それにしてもどちらも同じ殺傷事件なのに、かくも受け止める方の違うのはどうしてなのだろう?芸術性があると感動を呼ぶのは、不謹慎だが事実である。逆に人の手が加わらないと、ただ残虐で非情な行為にしか映らない。何か不公平な気がするが、日頃我々はこうしたトリックの中で生きている事に気付く。
Tuesday, 29 September 2020
ハルビンのアルバム
ハルビンは昔の満洲国の町である。今では人口が10百万人というから東京並みである。行ったことは勿論ないが、当時も大都会だったのだろう。夫婦がどういう経緯で住み移ったのか分からないが、満洲開拓団だったのだろうか?満州国が出来た1932年前後から入植が始まり、その数は27万人という。問題は引き揚げだった。敗戦でソ連が南下し置き去りにされた人々が犠牲になった。山崎豊子の「大地の子」で描かれる中国残留孤児の話は中でもとても痛ましい。
宮脇淳子さんの本によると、満洲国は五族協和で平和な時代だったようだ。土地は、第一次大戦のシベリア出兵や、ロシアが仕掛けた日露戦争で得た戦利品である。だからそれを守るために国際連盟を脱退した訳だが、今考えてもあれ以外の選択はなかった気もする。一方日露戦争と日清戦争を契機に大陸に出て行った日本人にとって、初めての外地であった。加えて外交と統治は日本人が苦手とする処だ。仮に太平洋戦争に負けなくても、日本の管理が続いていたかは甚だ疑問だ。まして当時でも日本人の占める割合は2%程度だったから多勢に無勢であった。そんな時代に翻弄された人がまだ生きていた。
Saturday, 26 September 2020
無念のミッドウェー
そうは言っても、当時の空母は日本10隻に対し、アメリカは3隻と圧倒的に日本が有利だった。あの敗戦がなければその後の戦局、延いては今の日本も少し違ったものになっていたかも知れないと考えるのは当然である。しかもミッドウェーの敗戦は、真珠湾の奇襲からたった半年後であった。これを契機に戦局は悪化し、3年余も負け戦を強いられるようになり多くの人命が亡くなった。昨年訪れた海軍兵学校のアナポリスにも、その事が記されたプレートがあった。日本の酸素魚雷の横に掛けられた一文を読むと、アメリカにとっても大きなターニングポイントだった事が分かった。
敗れた南雲中将とは対照的に、この一戦に勝ったミニッツ提督は英雄になった。10年ほど前になるか、彼の故郷であるテキサス州サンアントニオ郊外に建てられた太平洋戦争博物館を訪れた。火炎放射器で焼き尽くす海兵隊の実演や、太平洋から持ち帰った数々の戦利品などが置かれる壮大な施設だった。その中にハワイ奇襲の座礁した特殊潜航艇もあった。捕虜第一号になった坂巻中尉も紹介されていて複雑な思いになった記憶がある。ともあれこれまで南雲の判断ミスばかり責めていたが、罠に嵌った経緯もあった事がよく分かった。
Thursday, 24 September 2020
Qアノンとは?
トランプ大統領の発言は、相変わらず首を傾げるものが多い。先日も、西海岸の森林火災の責任は管理者にあると言った。すかさずバイデン候補は地球温暖化を軽視したからと反論し、放火魔と呼んでいた。その前は、記者からコロナの初期対応を暴露された。意図的に被害を過小に扱ったという。その他にも、姪が出した暴露本では替え玉試験など、聞いていてうんざりする。以前、話題になった「炎と怒り」を読んで気分が悪くなったので、もう関係する本は買わないようにしている。
ところでそんな悪態をつくトランプ氏だが、一時大きく水を開けられていたバイデン候補との差も縮まっている。先の選挙でヒラリー氏に逆転した事を思うと最後まで分からない。その彼の支持層に、最近Qアノン(QAnon)と名乗る一派が出てきた。傍から見ていると何を主張しているのか分かり難いが、反エスタブリッシュメント主義者という。トランプのアメリカファーストは、国際ユダヤ資本に対抗していた言葉だから、ディープテートと称する闇の保守から国を守る考えなのだろうか?
確かにドル一つとっても、FRB(連邦準備銀行)は100%民間だから、通貨発行で得た利益は株主のソロモンやロスチャイルド に行ってしまう仕組みになっている 。トランプ氏がこの矛盾に立ち向かっているようにも見える。実の処よく分からないが、この活動が気になっている。
Monday, 21 September 2020
1800kmのパブ通い
ロンドンに住む友人の情報源はもっぱらBBCだと言う。BBCテレビのドキュメンタリーは有名だし、ネット配信のニュースも豊富だから飽きないようだ。ロンドンでは 感染が又拡大し始め、一日の感染者は3000人、死者も30人を越えていると云うから東京の比ではない。暫くは今のような生活が続くと諦めている。そんな事もあって 最近のBBCを見ると、山奥に開いたパブの話があった。場所はオーストラリア、砂漠の僻地に佇むパブに、ニューサウスウェールズ州からクインズランド州まで飛行機で 1800kmを通うオーナー家族の物語である。1800kmと言うと東京から上海に匹敵する。どうしてそんなに遠くに自分の店を持ったのかよく分からないが、コロナ 回避とは言え、世の中にはいろいろな人がいると感心した。https://www.bbc.com/news/av/world-australia-54173968
又こちらはCNNだが、同じオーストラリア人の飼っていた犬の話もあった。ヨットでアメリカに行った家族がコロナで引き返すことになったが、一緒に居た犬は飛行機に 乗れない。仕方がないので人間だけ戻り、犬はニュージーランド経由で5ヶ月1万6千キロ掛けて取り戻したという。https://www.news18.com/news/buzz/dog-separated-for-5-months-from-owners-due-to-covid-19-travels-10000-miles-to-reunite-2845871.html
どちらもネットニュースの軽妙さがいい。Saturday, 12 September 2020
アヘンは半夢
アヘンについては、古典と言われる陳舜臣「実録アヘン戦争」に中で、ジャン・コクトーの言葉を何度も引用していた。コクトー曰く、「ケシは気が長い、一度アヘンを飲んだ者は、又飲むはずだとアヘンは待つことを知っている」とか、「アルコールは発狂の発作を誘致するが、アヘンは節制の発作を誘致する」、「アヘンは半夢」とか。アヘンは静かで受動的で妄想的だから、東洋人の気質に合っていると著者も語っていた。確かに中華民族の体質に合っていたのかも知れない。パール・バックの「大地」に出てくるワンルンの世界を思い出した。家の中で朝から吸引する無気力な老人が当時を象徴していた。
そのアヘン戦争のアヘンは、インドのベンガル産が多かったという。それまで英国は清からお茶を輸入する入超だった処から、東インド会社を支えるためにアヘンに手を出したようだ。今から思えばひどい話である。清はアヘンを取り締まろう没収し、それを不服とした英国と戦争になった。最後は賠償で清は倒れるのだが、中国近代化のスタートになったのは皮肉だった。その時の清の皇帝は満洲人で、以来漢族が支配するようになった。
Thursday, 10 September 2020
歴史は復讐するか?
中国は一見とても巨大な国だ。しかし良く見るとウイグル、チベット、内モンゴルなど自治区と呼ばれる5つの面積を差し引くと、国土が6割程度になってしまう事に気が付く。況や香港や台湾などが離れれば、経済的にもグッと小ぶりな国になる。民族の数は56もある。その9割が漢民族とはいえ、地方自治の国なので漢族の一体感はないようだ。先の本でも多民族の維持に多大な費用が掛かる事を指摘していたが、もっと身軽なる選択肢はないのだろうか?最近ではウイグル自治区で不妊の強制治療が進んでいるとか、若者の強制移住などジェノサイトまがいの虐待が伝わっている。いくら山奥とは言え、隠すのも限界があるから猶更である。
かつてのスペイン、オランダ、大英帝国、最近ではソ連も植民地が独立し身軽になった。所詮台湾などは、国民党が逃げ込んで大きくなったような場所だ。中華人民共和国の前身の中華民国は国民党が作ったものだから、敬意を表してもいい気がするが。尤も今の中国の勢いは凄い。先の本でも2020年の一人当たりGDPは3000ドルになると言っていたが、実際は1万ドルを超えた。歴史は繰り返すのか、将又新たな歴史を作るのか、素人にはよく分からない。
Tuesday, 8 September 2020
長野で旧交を
長野とは言っても、今では新幹線で1時間ちょっとで着く。駅前の蕎麦屋で昼を取り、近くの温泉で汗を流し、夜の肴をスーパーに買い出しに行った。準備が出来ると、夕方から近くに住んでいるMさんもやって来た。Mさんは、自宅で育てている山椒で握り飯を作ってきた。それに揚げナス、新鮮なトマトとレタス、自分用のノンアルコールビールも一緒だった。
三人でたわいもない昔話に花が咲いた。終わってみれば何を話したのか、もう忘れてしまった。ただ一つ、皆で昔に合格電報屋をやった時、私は一人で合否確認した事にずっと不安でいた。ひょっとして人の一生を左右する見落をしたのではないか?そんな迷いが歳と共に募っていった。その心情を吐露すると、Mさんが「大丈夫だよ、俺も後から見に行ったから!」と言ってくれた。初めて聞く救いにホッとした。こうして気軽な仲間と酒を酌み交わすのが何より楽しい。
Monday, 7 September 2020
故Tさんへの優勝報告
ところでその時に使ったのがODAのパターだった。彼是10年以上前になるだろうか、お向かいのTさんが亡くなった時に奥さんから頂いた名パターである。Tさんは大会社の元社長さんだった人だが、若い頃から知っていたので「Tさんのおじさん」と呼んでいた。たまたま大学が同じだったこともあり、Tさんも後輩扱いしてくれた。亡くなって暫く経った頃、掃除をしていると奥さんにバッタリ会った。奥さんは遺品の跡片付けが大変だと云う。特に「ゴルフのクラブやボールが沢山あって、子供もやらないので処分しようと思っている」と話す。それを聞いて「捨てるなら頂けますか?」と聞くと喜んでくれた。翌日引き取りに玄関先に行くと、Sヤードのセットと新品のボールが30箱、パターも5本用意されていた。その後、ボールはいつの間にか林に吸い込まれて無くなってしまったが、クラブは重宝してアメリカや豪州の海外コースでも活躍した。
だから、今回の優勝を真っ先に報告したかったのはTさんだった。早速、倶楽部の名前の入った粗品を持ってT邸を訪れ、奥さんに墓前の報告をお願いした。Tさんは社長になっても電車通勤していた。厳つい肩のトレンチコートを着て、足早に歩いていた背中が忘れられない。
Sunday, 6 September 2020
冬支度と伐採道楽
一息入れ、今度は輪切りにする作業に取り掛かる。40~50cm毎に切るのだが、これが又力が要る。一気に切り落とすのに、一本2~3分は掛る。休み休み、やっと出来た丸太は20本程になった。それを一本一本軒下に運び綺麗に積み上げて終わる。こうしておけば水分が抜け、数年後に斧を入れると割れる状態になる。
これが薪になっても、一週間で燃えてしまう。苦労した割にはあっという間になくなるし、何より伐採は命がけである。歳のせいか昔に比べて疲労は半端でない。自然を相手に戦った一日だったが、道楽とは言えいつまでこんな事が出来るやら。
Wednesday, 2 September 2020
安倍首相の降板
後任は誰になるのか?早速派閥の駆け引きが始まり、菅さん支持を取り付けたようだ。ただ選挙で石破さんや岸田さんも出るようだし最後まで分からない。今回は予想外の事態だ。会社でいえば社長の緊急降板だから、筆頭副社長が昇格するのが定石である。その意味から菅さんが路線継承で登板するのは理に叶っている気がする。
安倍さんを嫌いな人も多いが、個人的には素晴らしい政治家だと思っている。見た目もいいし、話し方も品がある。育ちがいいから、ゴルフ外交を自然に出来る数少ない政治家である。何年か前に、旧官邸ツアーに参加した事があった。ニ二六事件の時に歩哨が焚火した跡や弾丸の穴、組閣の時に写真撮影する赤い階段など歴史を感じさせる建物を見て廻った。安倍首相の机にはお父さんの晋太郎さんの写真が飾ってあった。一通りのコースが終わる頃、安倍さんがひょっこり現れた。国会中だったが、地下通路を通り昼休みにやってきた。並んで写真を撮ってもらったが、思っていた以上に背の高い人だった。コロナで休みを取っていないと聞くので、せめてこれからは好きなゴルフでも再開して元気になって頂きたい。
Saturday, 29 August 2020
水の一滴、血の一滴
水は大事である。中国でも「黄河を制するものが国を制する」と宮脇淳子さんの本に書いてあった。あの黒ビールのギネスが成功したのも、水利権を得たからだ。年間45ポンドの9000年リースは有名な話である。ウィックロー山地から流れる水を、永遠にタダ同然で確保したのが成功の秘訣だった。水利権は時によって紛争のタネにもなる。最近でもナイル川を巡る対立で、上流にダムを持つエチオピアと、下流で水を待つエジプトとスーダンが対立している。ダムで水を貯えたい一方、砂漠で水を待つ方は死活問題である。
今一番気がかりなのは、中国の三峡ダムの水位である。三峡ダムは揚子江に注ぐ世界最大のダムである。長期の大雨で水位が上がり、暫く前から制限水位を超えている。放水が続いているが、もしも決壊すれば4億人の生活に影響するというので、国体をも揺るがし兼ねない事態になる。ソ連の社会主義はチェルノブイイの事故で瓦解した。敵は思わぬ所に潜んでいると思ったが、今回の自然災害もそれに似た側面を持っているので目が離せない。
Friday, 28 August 2020
壊れたレコード
暫く前に出た文芸春秋にも認知症の特集があった。面白かったのは阿川佐和子さんの看病記だった。ボケと物忘れが出てきたお母さんを、お父さんの阿川弘之さんがよく叱咤したという。ただ弘之さんが亡くなると、お母さんの表情は穏やかになったという。ガミガミ言われている内に傷付いてしまったようだ。頭はおかしいが感情は残っているので、気を付けなくてはいけない。先日も久しぶりに旧友のT君に会った時、90歳を超えた母親の介護を嘆いていた。物忘れが激しく、財布や保険証を探すのが日常化していたり、出掛ける靴が左右違う靴だったり、賞味期限切れの食材を食べたり・・・。ある時ガスの火を消し忘れ、空焚きがあったのを見てゾッとしたという。流石に以来火を使うことは禁止したようだが、徘徊や詐欺など心配は尽きない。周りにも変だと思われる人が多い。まだ70歳のKさんは会う度に同じ話を繰り返す。「元気?この前山に行ってきました」と、それってこの前話したじゃない!と聞き流しているが、まるで壊れたレコードである。
そんなボケ人にイライラする対処法は、自分が最初にボケる事だと綾小路きみまろが言っていたが一理ある。ボケるのは必ずしも悲しい事ではない。記憶には楽しかった思い出もあるが、辛く痛ましい断片もあるからだ。そんな罪意識から解放されれば、誰でも気が楽になるというものだ。最近はそう思って、老いを受け入れてもいいかなと思うようになってきた。
Wednesday, 26 August 2020
韓国はコリキスタン
スペイン風邪は先日も池上彰さんの解説で紹介していたが、世界で5億人の感染者を出した。今回の新型コロナの比ではない。名前の由来は、スペインが第一次大戦の中立国だった処から、感染者の数が多かった為である。イギリス、ドイツなどの当事国は情報統制で数を抑制したからだ。
もう一つは朝鮮の立ち位置である。日露戦争で日本がもしも負けていたら、朝鮮半島はロシアの領地になっていた。それを称して、コリキスタン(Korikistan)と呼んでいたのには思わず笑ってしまった。コリキスタンになっていれば、ソウル市はソルストックだろう。確かに高麗人と呼ばれる朝鮮人は、今でも旧ソ連下のウズベキスタンに20万人、ロシアやカザフスタンに10万人強、キリギスに2万人もいる。日本からの出張者が、ロシアの山奥で日本人に似た人を見かけて驚く話は尽きない。満洲国を治めた日本人の多くも日本名の朝鮮人だった。そのため兎角言われる現地の悪行の数々も、実は抑圧された民族の反動だったり、確かに言われてみればベトナム戦争に派遣された韓国兵の蛮行はそれに繋がる。高麗人は長年シナやモンゴルの下僕だったようだようだし、韓流ドラマの派手な演出とは裏腹に、知れば知るほど冷ややかな気持ちになっていく。
Sunday, 23 August 2020
大鵬とロシア革命
もう一つは日本人の自虐史観である。戦後の左翼の影響だろうか、未だに明治以降の歴史を否定する処から入るのが定石である。ただ丹念に事象を追うと、当時の日本人の判断は今と左程変わらない事に気付く。これは勇気のいる作業だが、出来ると過去と現在が繋がって元気が出て来る。
「満洲国の真実」の中に大鵬の話が出て来た。第一次大戦の末期にロシア革命が勃発し、赤白に分かれた内戦が始まった。日本はシベリア出兵で貢献するのだが、反革命派のロシア人が日本に亡命してきたので受け入れた。その中の一人が相撲の大鵬親子だったり、野球のスタルヒン、チョコレートのモロゾフだった。大鵬の父はコサック騎兵、日本人の母親と二人で船で日本を目指した。母親の船酔いが激しく、途中の稚内で下船したのが幸いした。船はその後襲撃を受けて沈没したという。大鵬は成長して相撲界を代表する力士になった。彼の数奇な運命を知り、当時がグッと身近になった。
Thursday, 20 August 2020
李登輝と客家(ハッカ)
ところで、そんな彼のルーツは客家(ハッカ)という。客家とはシナの少数民族で、世代に渡って移住を続けた処から”よそ者”の意味もあったという。先の宮脇淳子さんの本にも、その一人である孫文が出てきた。孫文は本土生まれだが、ハワイにいた兄を訪ねる処から海外生活が始まった。日本にも亡命し、その支援を受けて1912年には中華民国を設立するに至った。孫文は英語が上手かったがよそ者だったので、初代大統領は袁世凱に譲ったという。鄧小平も客家の一人という。ただこちらは中枢に上り詰めた。
調べてみると、客家は世界4代移民集団の一つだという。残りは有名なユダヤ人とアルメニア人、そして印僑であった。客家出身にはシンガポールのリークアンユーやタイのタクシンもいるから、今の華僑のルーツなのかも知れない。また印僑はインド系である。クイーンのフレディー・マーキュリーや米国連大使のニッキー・ヘンリーや今回民主党の副大統領候補に指名されたカマラ・ハリスもいた。外の血が混じると人は強くなるいい例であろう。
Wednesday, 19 August 2020
悪夢の民主党時代
その一つが民主党政権時の「朝鮮王室儀軌」の返還だ。野田政権が李明博に頼まれて特例として返した日韓併合時の資料である。一度許すと、今度はそれに乗じて返還運動が盛り上がったという。長崎の宝物殿から慶典が盗まれたのもその頃だった。尖閣もそうだった。石原知事が東京都に組み入れようとすると、当時の政権はあっさり国有化してしまった。今に至るパンドラの箱を開けたきっかけを作ったのはやはり民主党だった。素人集団は今から思えば恐ろしい限りである。安倍さんが”悪夢の時代”と言ったのはよく分かる。選挙の看板にしていた高速道路無料化はあっさり諦めたし、公共工事の象徴だった八ッ場ダム廃止も今回の台風で残しておいて良かったと証明された。蓮舫が頑張った仕分けも、長期の施策が毎年入札される事態になり、かえってコストが高くつく結果になった。
そう云えば、南京大虐殺の記念館の建設費用を出したのも日本社会党だった。いつの間にか犠牲者が30万人で今では40万人になっているらしいが、自虐的なツケは余りにも罪深い。宮脇さんは、歴史は日本ではヒストリーだが、中国ではプロパガンダ、韓国ではファンタジーと表現していた。その視点で読み解くと、隠れた過去が少しづつ見えてくる。暫くは氏の門下生になってみる。
Sunday, 16 August 2020
ヨセミテ公園の流れ星
あれは20歳の時だったか、アメリカをヒッチハイクで一周した事があった。まず最初に行ったのはヨセミテ国立公園だった。ロスアンジェルスから車を乗り継ぎ山に入った。当時はベトナム戦争の頃で、若者はヒッピーと呼ばれるスタイルが流行った。手を上げて車が止まるとそのヒッピー達が群がりいつの間にか仲良くなった。夕方になったので、彼らと川辺で泊まることにした。風呂代わりに真っ裸で川に飛び込み、アメリカ人の知人に貰ったシェラフに潜り込んだ。夏だというのに、歯がガチガチする程寒く中々寝付けなかった。ただ夜空は眩いばかりの星のパノラマだった。見ていると流れ星がスースーと数分おきに通って行った。あっ又通った!と見入った。
あんな光景は先にも後にも一度だけだけが、こうして星を見ていて思い出した。あれから何十年も経ったが、まるで昨日の事のようだ。
Thursday, 13 August 2020
個別事例を公表する地方
東京ナンバーの車だと冷やかな視線を感じる。先日もどこかの県でプレートが悪戯される事件があったが、あまり歓迎されていないので注意している。夕方のニュースで感染者が発表されるが、東京みたいに大雑把でなく、「事例XX番、XX町のXX才の男性」と個別に公表される。そのため地元の人なら誰だか直ぐ分かってしまうらしい。だから先日も、感染した年配の女性が嫌がらせを受け転居を余儀なくされたり、感染者の出た銀行のガラスが割られたりした。田舎の人間関係は密なだけに怖い。
それにしても、日本の国民はなんやかんや言っても、政府や知事の要請に良く耳を傾けていると感心する。テレビのコメンテーターも、「政府は何もしていない!」と批判する人ほど、国が何かしてくれるのを待っているから可愛い。会社勤めの人は帰省で何かあれば、隔離され会社を休まざるを得ない。人事評価にも影響するから従順である。感染予防の所々に、日本らしさを感じる今日この頃である。
Tuesday, 11 August 2020
天皇と血のリレー
そんな中、大宅壮一の「実録・天皇記」を読むにつけ確信を得た。著者が調べた限りでは、第12代景行天皇が81人、第50代の恒武天皇が35人、第60代の醍醐天皇が38人、第90代の亀山天皇が36人等々、生涯をこの一点につぎ込んだのがよく分かった。子の数は生んだ側近の数に比例した。明治天皇の父の孝明天皇の子は6人だったが、妻を含めて17人の側室がいたという。勿論天皇を継ぐ子は一人だから、その他は出家に出された。寺や武家で第二の人生を送る運命は過酷だ。著者は御子様たちの生き方と称して、出家年齢と行先など事細かに調べていた。目に付くのは早世する子が多かった事である。明治天皇の子供は4人だが、最初は15人生まれた。間引きもあったし、子供の内に親と離れ寺に預けられれば精神的におかしくなった。著者はそれを女王バチと働きバチに比べていたが、驚くほどよく似ている。以前読んだ「昭和天皇の妹君」という本に寺に隠居した尼の話があったが、何も驚くことでない気になってきた。
改めて天皇制を考える。側室がいない(?)今の天皇家が先細りなのも当然だと思う。英国のヘンリー8世なんか、子供が出来ないと分かるとさっさと離婚して処刑し、次から次を娶る国もあった。どちらがいいのか分からないが、血を絶やさないのは並大抵ではない。著者の歯に衣を着せない表現は的を得ていた。例えば世継ぎを生む局(つぼね)を「天皇製造の女子従業員」、支える公家を「天皇に寄生する男子従業員」、「血のリレーと血の予備軍」など、とても戦後10年の作とは思えない。また共同作業した若き草柳太蔵氏が古本屋で資料を集めた件も面白かった。
Monday, 10 August 2020
女は魔物
その「点と線」だが、久々に読み返してみた。有名な4分間のアリバイ作りも去る事ながら、病床の妻が夫の愛人のカネまで工面し、最後は2人を殺してしまうストーリーが凄かった。堀辰雄の小説「菜緒子」も別居の夫婦をテーマにしていたが、こちらはもっと詩的で刹那的だった。今風に言うなら、調子に乗って遊んでいるうちに、長年の妻の憎悪と執念が爆発したという処だろう。
夫婦の関係は微妙なバランスの上で成り立っている。同じ浮気でも、東出昌大と杏みたいに離婚に至る事もあれば、中村橋之助と三田寛子のように許してもらえるケースもある。寛容な妻かと思っていると大間違いで、本心はどう思っているのか分からない。用心に越したことはない。
Sunday, 9 August 2020
続ウィスキーガロア
物語は第二次大戦下のスコットランドの島村である。ある日、島の近くでウィスキーを積んだ船が座礁した。アメリカ向けにウィスキー5万ケースが積まれていたので、島民は夜中に小舟を出して回収を試みた。持ち出したウィスキーは村中で隠し飲んで楽しんだ。ただ駐留のイングランド兵の監視があった。長年の両国の対立を象徴した設定だったが最後は事なきを得た。土屋さんが抱腹絶倒と評していた割には、平凡な物語だったのでちょっと期待が外れた。
ただスコットランドの田舎の風景が良かった。映画を見ていて、昔旅したスコットランドのスカイ島を思い出した。陸路で行ける島で、その時は島に唯一佇むタリスカー(Talisker)蒸留所を訪れた。寂しい場所だったが、碑に「ここで働く男たちは孤独と厳しい自然の中で生きるので、ユーモアが大事だ」と書いてあったのが印象的だった。スコットランド音楽もそうだが、その陽気さが人を惹きつける。
Sunday, 26 July 2020
ラ・マルセイエーズの歌
ラ・マルセイエーズは迫りくるプロイセン軍を前に、ストラスブルグに駐留の大尉が一晩で作ったというから驚きだ。血なまぐさい歌詞も、軍歌と思えば理解出来る。この曲を聴くと誰しも拳に力が入るのはその為だ。タイトルの語源は、マルセイユからパリを目指した義勇兵が口ずさんで拡がったのに由来していた。つくづく国歌は高揚感が大事だと思った。君が代では力が湧いてこない。どうして第二の国歌と言われる「海ゆかば」にしないのか?未だに不思議である。
パリに駐在していた頃、昼休みに出るとオペラ通り近くで国民戦線(FN)の集会に出くわした。党首のル・ペンが来て演説をして散会する最後に、集まった支持者達がラ・マルセイエーズを合唱し始めた。見ていた通行人までが合唱に加わり、これから革命でも始まるのではないかという雰囲気になった。フランス人は元来話し好きで情熱的ある。この曲が入るとその情熱に火が付くのである。映画カサブランカでも、リックの店でドイツ兵が歌う「ラインの守り」に対抗して歌われる。思わず目頭が熱くなるシーンを思い出した。
Saturday, 25 July 2020
日本の10倍の中国新幹線
また新幹線の話も面白かった。これも知らなかったが、中国の新幹線は今や2万9千キロにもなっているらしい。日本が3千キロだから約10倍である。ただ国土が広すぎてあまり使われていない路線が多いという。やはり遠距離は飛行機の方が便利なようだ。万里の長城もそうだったが、大規模な土木工事は時の権力の象徴で、中国のお国柄らしい。そう言われれば、一帯一路も土木工事だった。使われようと使われまいと採算も二の次で、一度決めたら突き進む末路はどうなるのだろう?
また東南アジアの新幹線も期待出来ないと云う。理由は国土が狭いのと、暑いのでドアツードアの自動車の方が便利という。現地に住んでいる人だから、見えてくるものがある。
Wednesday, 22 July 2020
ファッションが語る歴史
本にはTシャツはヨーロッパの労働者の下着だったのを、アメリカ兵が持ち帰ってファッション化したとか、踵の低いローファーの靴が出てきて面白い。知らなかったがローファー(loafer)の意味は、紐を結ばない処から「怠け者」や「浮浪者」と云う。昔ある女性服装ジャーナリストが、安倍首相が公の場所でそのローファーを履いていたのを見て場違いを指摘していた事を思い出した。そのほかヘミングウェーが愛用したLL Beanの靴やマリンボーダーのシャツ、肝臓を守るための皮ベストなども紹介されていた。イタリア、スペインで戦争に参加し、パリで社交界の華になり、晩年はキューバで過ごす破天荒な生き方には、拘りのグッズが不可欠だったのだろう。
服装の歴史を紐解くと中々面白い。有名な話がジーンズである。イタリアのジェノバ(Genova)港から輸出された処から、ジェノヴァが英語のJeanに転じたとか、生地のデニムも、フランスのプロヴァンス地方のニーム(Nîmes)に前置詞を付けてニーム産になったとか。袖ボタンの由来も、ナポレオンが寒さで鼻水を拭う兵士の規律を正すために軍服に付けさせたという。ただ未だに分からない事もある。スロヴェニアのマリボール(Maribor)という町に泊まった時、中世の女性の鉄製コルセットのオブジェがあった。この町はそのコルセットの産地だったのか?色々調べても結局分からなかった。
Tuesday, 21 July 2020
英語を最初に覚えた日本人
森山は日本に漂流したマクドナルドというアメリカ人から習って覚えた。マクドナルドは、スコットランド人とインディアンの間に生まれたハーフだった。白人社会で差別を受ける内に、未知の日本への密航を計画し捕鯨船に乗り込み上陸に成功する。ボートは北海道の利尻島に着いたが、鎖国下にて捕らえられ長崎に送られた。そこで森山と出会うのであった。例によって吉村氏のち密な取材には頭が下がる。微に入り細に入りよく調べていた。例えば森山の好んだ芸者を内縁の妻にした話や、英国公使ハリスの世話役を依頼した女に幕府が18両払ったとか。通訳だったヒュースケンにも15歳の世話役がいたようだ。以前、南麻布にある彼の墓を訪れた縁で興味深かった。各国の100を超える捕鯨船が遥々日本の漁場まで来ていたのも驚きだった。
マクドナルドは島に上陸すると村民から食べ物を与えられ、宗谷に移される。どこかと思ったら今の稚内だった。魚が美味しそうだし、いつかその利尻島に行ってみたくなった。