アフガニスタンの復興に従事してきた中村医師が銃撃され亡くなった。昨日棺が福岡に帰って来て、多くの人が悲しみに暮れていた。
中村医師の事は余り知らなかったが、ニュースで伝えられる数々の言葉は苦労した人だけに心を打つ。例えば、「私の願いは2つだけ、一つは一日三回ご飯を食べられる、もう一つは家族が一緒に住める国にする事」は、現地の厳しい現実が伝わって来た。アフガニスタンはソ連に侵攻され、出て行ったかと思うと今度はタリバンが支配した国である。「何でも壊してしまうから・・・」と嘆いていた姿も印象的だった。水路が完成すると、「これで生きて行かれる」と現地の人の言葉を引用していた。また10歳で早世した息子さんについて、「何歳で死のうが人はいつか誰でも死を迎える。その時まで懸命に生きるだけ」みたいな話も聞いた事がある。特に医師として、その胸中は如何なものだったかと思ったが、人としての生き方を諭されるようだった。
過酷な海外の地で働く人は多い。さだまさしの「風に立つライオン」の舞台になったケニアでも、長崎大学の医師が地域診療に励んでいた。彼も最後は地雷に倒れてしまった。イラクでは、ラグビーで有名だった外交官の奥大使も倒れた。こうして平和で何不自由ない日本にいると、何か後ろめたい気持ちになって来る。
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